東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形「狐 馬」(尾張屋春吉翁 作) ※★(検索 今戸焼 干支 馬)

2010-10-22 09:25:59 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010784 最後の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)による今戸焼の土人形です。

この人形は手が込んでいて、馬と狐それぞれを別々に型抜きして成形してから組み合わせてできています。馬の部分だけ単体で仕上げた人形もあります。

春吉翁作の狐の人形の面描きですが、狐拳・子守狐・口入稲荷狐・羽織狐・三方狐・鉄砲狐の極く一部は鼻と口を描き分けていますが、鉄砲狐そしてこの狐馬は一点で省略しています。狸の人形と共通していますね。これはどんな意味があるのでしょうか?

狐馬の人形は都内の近世遺跡のあちらこちらからかなり出土しており、人気のある人形だったのではないでしょうか?また、作者も複数いたのかもしれません。

「狐馬」という言葉の意味ですが、、、

狐馬」とは、「狐に馬」もしくは「馬に狐」を略したことわざ。そのことわざは「馬の背に狐を乗せたよう」もしくは「狐の背に馬を乗せたよう」を略したもの。狐が馬に乗っているところから「落ち着きがないこと。言うことが当てにならず、信用できないこと」。狐が馬を化かして背に乗っているのか、もしくは狐がたぶらかされて馬の背に乗っているのか。すまして、でも居心地悪く馬の背に乗る狐。前を向いて、しかし不安に狐を乗せる馬。はたから見るとふらふらしていて危なっかしいけれど、何やら滑稽でもある。(以上はよそのページから引用させてもらいました。)

とあり、皮肉なモチーフで江戸っ子好みだったのかもしれません。春吉翁によるこの人形でもまた配色といい、筆の穂先の美しい面描きといい洒落たものだと思います。

本来今戸焼の土人形に限らず、全国の土人形の産地では「十二支」の干支ものを揃えて作るとか、縁起ものとして干支の人形をひととおり集めるとうことはそれほど盛んではなかったのではないかと思います。そのためどこの産地にも十二支が揃っているということでもなく、今戸の古典にもそれらしいものは確認できません。「狐もの」のくくりとしては今戸の狐のバリエーションは多く、春吉翁以前の時代にはより多くの種類があったという近世遺跡からの出土品の例が少なくありません。しかし、今戸の古典的な馬の人形に限ればいくつもあり干支の馬として拾えば、多いかもしれません。この「狐馬」はその代表的なものと言ってよいほど昔からポピュラーなもののひとつだったと思われます。

 この記事はだいぶ以前にアップしたものですが、急ブログサイトの閉鎖と引っ越しなどにより埋もれていたものを虫干しのためサイドアップしたものです。

 

 

 

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2 コメント

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狐馬とは始めて聞きました。面白い組み合わせを考... (都月満夫)
2010-10-28 16:40:36
ところで、今戸焼きの「招き猫」は鈴をつけていましたか?他の招き猫は鈴をつけていますが、以前見たときにつけていなかったような気がしたもので・・・。
したっけ。
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都月さま (いまどき人形)
2010-10-29 11:33:34
コメントをありがとうございます。
今戸焼の招き猫が鈴をつけているかどうかのお問い合わせですが、江戸時代から戦前の最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)作へ至るまでの古い型の招き猫の場合、鈴は本物の鈴をぶらさげるのではなくて、鈴の形の彫りに金色や黄色を塗って表現するという例は観ていますが、本物の鈴をぶらさげるのは戦後になってからの工夫ではないでしょうか?また、型自体、鈴の彫りをつけたものとつけないものと両方あります。
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