東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

羽子板市 2018 二日目

2018-12-19 22:51:06 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 初日は朝から雨が降っていたので、どうなるのだろうと案じていました。二日目、我が家のワンちゃんたちのお墓に用事があって、自転車で赤羽→舟渡→志村→本町→仲宿→西巣鴨→巣鴨→染井→病院→道灌山下→西日暮里→根岸→入谷→国際通りと経由して観音様にたどりつきました。羽子板市の露店の配置は去年まで同じだったのが、今年は全然違うところに並んでいるんですね。目指すは「吉徳」さん。自分のお納めしていた今戸人形が気になります。

 初日にお出かけになった方々の画像を観て心配していました。これまでは初日9時開始までに行列になっていて、丸〆猫(まるしめのねこ)が1時間そこらで売れきれてしまうので、多めに用意してください、という由承っていたので多めにお納めしましたがどうなんだろう、というところでした。実際二日目に伺ってみて種類によってまだ並んでいる人形もあるので、今年はあまり捌けないのかと思っていたのですが、一気になくならず、あとからいらっしゃるお客様にもお求めいただけるよう配慮されているそうで、売れていますよ、と聞いて安堵しました。干支の「瓜乗りウリ坊」は既に売り切れ、「てんてれつくの猪のぴいぴい」も売り切れでした。二本足で走るへんてこで地味な形なのでどうだろう???と心配していたのですが、忠臣蔵五段目を連想してお買い求めいただけたのかな?と思いました。

 今回の吉徳さんの位置は宝蔵門の斜めそばでした。門にかかる大草鞋は山形の楯岡(村山市)で作られて奉納されているんです。バラの花で有名な「東沢公園」の後ろの山の上で作られているんです。楯岡には割とご縁があって何度もお邪魔しているのですが、草鞋を編んでいるところはまだ、、。自分が山形生まれというわけではありませんが、亡父のふるさとであり、子供の頃から毎年のように夏休みを過ごしたところなので、「山形」と聞けば気になりますし、誇らしい気持ちがします。

 このあと食事時も過ぎた時刻だったので大黒屋に寄って待つことなしに中の天丼を食べて家路につきました。


東西南北

2018-12-19 21:38:02 | 日々

 去る14日に吉徳さんへの納め。翌土曜日は雑司ヶ谷へ手持ちの納め。久しぶりに雑司ヶ谷墓地近くの大好きな「ターキー」のラーメンを食べて帰宅しました。この日は体へとへとだったので電車と都電で移動。小春日和のような日だまりの中、都電の車窓はのんびりよかったです。日曜日は吉徳さんに渡し忘れたものがあって再び浅草橋へ。月曜日は銀座と高幡不動へはしごで納めのため移動。その途中三宅坂の国立劇場の前売りに立ち寄りました。よい天気の中、西へ向かう京王線の車窓。高幡不動近辺に残る里山や遠くに見える山々、紅葉の匂いがしました。

 そして急ぎの納めはまず落ち着いて、今日は羽子板市の様子を見たいのと、家族だったワンちゃんのお骨を納めている板橋舟渡のペットのお墓への更新手続きの必要もあり、自転車でまず舟渡へ向かいワンちゃんたちに手を合わせ、ここから自転車で中山道沿いに巣鴨まで、巣鴨から染井経由で通院している病院へ。不忍通りから西日暮里を経て根岸入谷経由、金美館通り、国際通りで観音様境内へ向かいました。

 かつて生活を共にしていたプードルと黒ラブちゃんが眠っているのはお堂の中のロッカー式の納骨スペースです。お堂の横にブルドッグの遺影つきのお墓が見えます。

 舟渡を出発して志村の坂の途中にある「薬師の泉庭園」と山上に聳える「総泉寺」のお堂。こじんまりしていますがいろいろな草木が楽しめるところ。江戸時代からある庭園なんだそうです。「総泉寺」はかつて隅田川沿い、今戸町の北隣の橋場にあった古刹で関東大震災だったか空襲だったかで現在地へ移転したと思います。今でも橋場に「妙亀塚」という碑が残っていますが、このお寺にゆかりのものです。

 庭園内の泉の湧く井。今は水道で流れを再現されているのか水は出ていませんがいい感じです。

 冬枯れの中の小菊たち、、。

 この赤い実の植物は何という名前なんでしょうか、、、?

 志村の長いダラダラした坂を上って坂上から凸版印刷へかかる手前の立派な一里塚。道両岸に石垣で囲まれた塚がありますが、同時に両側がカメラに納まりません。

 日本橋に向かって左側の塚。

 その隣に構えている立派な荒物屋さん。

 志村から蓮沼町、清水町から旧中山道沿いに進んで本町にある「縁切り榎」。輿入れの行列はここを避けて通ったとかいいます。

 本町と仲宿の間に流れる石神井川に架かる「板橋」。「板橋」という地名のもとがこの橋です。今ではコンクリートの欄干ですが、、、。

仲宿も上りの坂道でそんなにきつい勾配ではありませんが、志村の坂と連続するとしんどいです。このあたりも面白そうなものや店がありますが、今日は割愛して、、。

 招き猫関係の本によく登場する西法寺の招き猫の石像。このお寺もかつては浅草にあったのが現在の西巣鴨と新庚申塚との間へ引っ越してきたと言われています。この猫さんは何代目かの高尾太夫を怪蛇から守ったという話で有名ですね。但し20余年前にはこの猫像はお寺の門柱の上に鎮座していたと記憶していますが、いつからか高尾太夫の墓所の傍らに移動したようです。気の毒なのは左側の額の上が以前よりかなり損失していて、もしや門柱から落ちて怪我したのかどうか、、、お寺の方へお訊ねする余裕がなかったので、、、。今戸焼とは関係がないとは思いますが、浅草つながりの猫さんではあるので、いつか時間があればこの石像をもとに小さな土人形に仕立ててあげたいという気分です。その昔、浅草寺仁王門と弁天山の間に鎮座していた「粂平内堂」の石像を今戸人形で作って江戸以来「元祖 浅草の縁結びの神様」であったみたいに、この猫さんを作ってあげたいと思います。

 このあと巣鴨から染井、道灌山経由で浅草に向かったのですが、画像に撮ったのはこれだけです。