東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

赤羽駅の駅弁

2010-05-04 20:24:21 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1010364 今でこそ、赤羽って「住んでみたい街」の上位にランクされているそうですが、、。一住民としては、悪くない気分ではありますが、昔だったら「あの闇市の?」「ピンクサロンで有名な?」といった形容がされていたように思いますし、「赤羽って埼玉じゃなかったの?」と言われていたこともありました。

「住みたい街」である理由のひとつは交通の利便性でしょう。新宿、渋谷、お台場まで埼京線りんかい線で一本。横浜、鎌倉、湘南へも湘南新宿ラインで直通電車が停まります。上野、東京、横浜までも京浜東北線で一本。上野まで急ぎだったら高崎線東北線でふた駅。JR線とは直結していませんが、地下鉄南北線も走っています。確かに便利。駅も新しくなって便利だけれど、、、、。

押し入れの中を探しものしていたら出てきた駅弁の包み紙。赤羽駅にも駅弁は存在したんです 。

あの頃、、、昭和40年代後半から50年代前半。京浜東北線もともと高架といったらよいのか、高いところを走っていてホーム(1番線、2番線)も高かった。高崎線東北線(3番線4番線)ホームは地上。赤羽線は5番ホームだったか定かではないけれど、地上にあって池袋と折り返し運転をしていた。

3番4番ホームには急行電車もよく停まったし、「急行 ××1号 ××行き ×号車」といった乗車口の表示板がぶる下がっていた。 機関車が牽引する茶色や紺色の客車の普通列車の中には「福島行き」なんてのもあったような気がする。 こういうホームだから上野駅には及ばないけれど、啄木の「ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」といった風情は多少はあったと思う。 

「御寿司」と書かれた包み紙。中身はただの助六だったけど、れっきとした駅弁です。木箱に入れて、停車中の汽車の窓から売り歩くおじさんは見たことないけれど、駅弁を売るスタンドがありました。ホームに立ち食いそばのスタンドがあって、その臭いがなぜかローカルムードを高めていました。

赤羽に住んでいて、なんで駅弁なんか買うのか?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。あの頃、小遣いがあんまりなかったから、どこかへ出かけることもできず、ホームで駅弁を買って通り過ぎる長距離列車を眺めながら旅情に浸っていたのです。

それにしても、赤羽の名所なのか「荒川鉄橋」というところが悲しいですね。あの頃の川は汚くて臭かった。「ばらばら事件」とか「マムシに噛まれて死んだ」とかいう話も聞きました。

あの頃、、、、ユーミンではないけれど「あの日に帰りたい」という気分です。あの歌がヒットしたのもあの頃くらいではなかったかな、、?2007_0101_000000p1010363


ところ変われば猫変わる

2010-05-04 18:44:08 | おともだち

2007_0101_000000p1010354 見舞いに袋(現・赤羽北)の病院へ。袋という地名は、昔は普通にあったのですが、赤羽北というとどこからどこまで、、、?ちょっとはっきりしない新町名ですね。

昔、幼稚園の頃のおぼろげな記憶では茅葺きの旧家もぽこぽこ残っていた。池袋、沼袋同様、水に関係あるみたいですね。2007_0101_000000p1010357 2007_0101_000000p1010353 水神様が保存されていて、解説板には、昔この辺りが新河岸川の船による通運が盛んで、船主たちが無事を願って建立したものであるが、また、上流の秩父地方に大雨が降ると、この辺りはいつも大水に悩まされていたから、後には水難よけの信仰で講もできた云々。

境内の空き缶回収ボックスの上で気持ちよさそうに昼寝していた猫さん。川風に当たって気持ちいいところをお邪魔してしまいごめんなさい。

不審なおじさんにちょっと身構えてしまった猫さんでしたが、また回収ボックスの上で寝ていました。この猫さん、ちょっと「ラスカル」に似ていませんか?


大発見!?

2010-05-04 18:28:07 | ご近所

2007_0101_000000p1010351 ゴールデンウィーク。以前の自分だったら、こんなにまとまった休みがあれば、大旅行とはいかなくてもどこか他所の土地に出かけていたもの。

最近は体が辛かったり、いろいろ身辺に辛いこともあって、出かけることに憶病になってきています。

せっかくの休みなので、普段できない夜更かしで、犬と一緒に夜中に隣の志茂を探検。

まだ通ったことのない道、路地、、、こんなに近くでまだ知らない世界。真っ暗なこともあって、入り組んだ道は迷路のよう。出逢ったたくさんの猫さん。そして辿り着いたのが、志茂熊野神社裏手の児童遊園でした。

見てください。この遊具。ちょっとタイムスリップしたかのようです。今日改めて行って写真に撮りました。町の中心だったら、とっくに撤去されていたかな?誰も遊んでいない。

これは時代の遺物として保存されるべきではないかと思いました。園内には他にもコンクリートのライオンなどまだあります。2007_0101_000000p1010352 私にとって大発見でした。