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東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼(23) 蔵の形の貯金玉

2010-05-30 02:29:10 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010459 「今戸焼(22) 宝珠型の貯金玉」に次いで、登場したと言われている貯金玉(貯金箱)です。作者としては、寺島(向島)の「高野安次郎」や、今戸、長昌寺前で芋屋渡世の傍ら土人形を作っていたという「鈴木たつ」の名前が有坂与太郎の著作に記録として残ってますが、他にも作った人はいたかもしれません。

葛飾区立天文と郷土の博物館で発行した「窯業関連資料1・今戸焼」図録の中に、現在プラスチックの植木鉢の製造に転じられた、春日部市の「井上歳正氏」寄贈の写真資料の中に、「昭和7年 浅草聖天横丁にあった 井上釜次郎さんの妻の兄弟の妻は本屋をし、本屋の後ろで消壺も売っていた。」という解説のある写真の中に、消し壺とともに蔵の形の貯金玉が写っていて、大同小異のもののようです。

蔵は富を蓄える象徴で、それを貯金玉の形にしたところが、宝珠の意匠同様、なかなかのアイデアですね。

2007_0101_000000p1010460 成形の方法は当然割型によるものなのですが、単なる2枚型だとすれば、抜きにくいんじゃないかと思うんですがどうでしょう。仮に2枚型だとすれば合わせ目をどこに入れたら抜けるのか?屋根の鬼瓦部分や張り出した軒がひっかかるのではないかと思うのです。何とも不思議です。

 

 

 

 

 

 

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今戸焼(22) 宝珠型の貯金玉

2010-05-15 19:14:57 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010391 貯金箱のことを古くは貯金玉と呼び、我が国におけるその発生は今戸焼から、と言われています。

その一番古い形は、画像のような宝珠の形だったそうです。もともとは幕末頃、博打の寺銭入れとして考案されたもので、かなり大きな宝珠だったらいいのですが、明治のはじめにお金を貯めるための目的で作られるようになったといいます。2007_0101_000000p1010392 この宝珠の形をした貯金玉にはふたとおりの製法があって、ろくろ挽きで成形したものと、割型を使ったものとあるそうで、ろくろ挽きのほうが古い作り方なのだそうです。画像のものは、底に糸切り痕が見られ、両方ともにろくろ挽きの製法のもののようです。

貯金玉、貯金箱というと人や動物、郵便ポスト、など置物としても飾れるような形がポピュラーなイメージですが、それらが出てくるのは後のことのようです。宝珠型に続いて今戸焼に登場した貯金玉は蔵の形、そして招き猫、その後いろいろな形が出てきます。

画像左のものは、彩色された形跡が見られないので素焼きの地肌のままで売られていたのでしょう。右のものはペンキのようなもので塗られています。宝珠ですから、金や銀で塗られたものが多かったらしいです。

左の宝珠の背面には取り出し口らしき穴が切出されています。古い貯金玉だと、取り出し口のないものが多く、割らないとお金を取り出せないのですが、古い形でありながら、取り口を持っているという点で時代はどのくらいなのか迷ってしまいます。

今戸に古くからお住まいになられていらっしゃる方から、戦前のことをお聞きしたことがあるのですが、子供の頃、近所の「小川源太郎」という名前の今戸焼屋さんがいて、外にたくさんの「宝珠の貯金玉」を干していた。遊んでいて、干してあるのを落としてしまい、よく怒られたそうなのですが、この「小川源太郎」という人こそ、宝珠の貯金玉の作者として、戦前の有坂与太郎の著作に出てくるのです。

地元の方の思い出のお話から、名前が出てくると、遠い昔のこともリアルな感じがして、嬉しくなりました。


今戸焼(21)  河童の火入れ(尾張屋春吉翁 作)

2010-05-09 12:49:04 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010382 最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の作です。素焼きの生地に胡粉で下塗りし、染料や胡粉で着色して仕上げたもの。今戸の土人形であると同時に実用品としての性格もあるので、今戸人形というより今戸焼として採り上げます。この火入れ、前の持ち主が大切にしていたようで、一度割れてしまったものを丁寧に継いであります。

「火入れ」は、背中に口を開け、中に灰を敷いた上に火種を置き、煙草に火をつけたり、また手焙りとして、手をかざしたりして暖をとることもできます。

今戸焼にはろくろで挽いて成形し、口を切あけたものもあるのですが、このように前後2枚の型を合わせて成形する人形型のが有名です。

種類としては、尾張屋さんはおかめ型、招き猫型も手掛けていたようですし、近世遺跡からは狸や烏帽子を被った猿なども出土しています。特に有名なのが、この河童とおかめ、招き猫の型ではないでしょうか?

古い錦絵に描かれていたり、また歌舞伎の世話物の場面で神社仏閣の傍らにある茶店の赤い毛氈を掛けた床几(ベンチ)の上に置いてあることが多いです。茶店に限らず、店先などでちょっと一服、なんてところで親しまれていたものではないでしょうか?

2007_0101_000000p1010381 尾張屋さんでは、このほか河童の土人形も何種類か手掛けていらっしゃいました。

尾張屋さんの河童の彩色は独特で、緑というよりセルリアンブルーのような色を濃くしたような染料?で着色されています。頭の皿も塗り分けてあり、目がいきいきとしています。

向かって右側面に「尾張屋」の窯印があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今戸焼?⑳ 味噌入れ

2010-05-01 23:12:59 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010336 2007_0101_000000p1010335 この容器には「特製 みそ入」 「京ばし木挽町一 中井酒店」という文字があって、昔の東京への町名が入っていて面白いので手元に置いていたものなのですが、先の今戸焼⑲のつゆ徳利同様、今戸焼である可能性もあるのではないかと思うようになりました。蓋があったろうと思いますが残っていません。

今戸焼とは断定はできなので?をつけました。底の土の色は赤っぽくはなく、白っぽい灰色とでもいうような感じですが、内側は赤っぽいのです。或いは味噌を入れていたから「味噌焼け」しているのかもしれません。まあ東京の土ではないようですが、今戸焼では製品によって土を使い分けていた作例もあるので、土色だけの判断はできないわけです。

白っぽく見えるのは化粧土の色ではなくて、白い釉薬のようですが、あまり高温による焼きではないようです。楽焼に近い?

さて木挽町というのは現在の歌舞伎座がある辺り。現在は中央区です。 明治11年、東京15区の中に京橋区ができました。そして昭和22年日本橋区と合併して中央区になったので、その間に造られたものでしょうか?時代幅がありすぎますね。

あと考えられるのは、店名、住所に電話番号が入っていないということです。戦前のマッチラベルなどには電話番号が入った店もありますから、商売している家だったら電話を持っていたのではないか、番号がないということは、電話が民間の店に置かれる前の時期に遡るのではないか、しかし、それはいつ頃か?電話があっても書かないという事もあるでしょうが、あれば広告として入れる方が普通ではありませんか?

最初に戻ってみて、これがどこで作られたかというと、やっぱりわからないのですが、感触というアバウトな推測のレベルで、今戸焼である可能性も捨てきれないと思っています。おわかりの方いらしゃいましたら、先のつゆ徳利の件と併せてご教示いただきたく思っています。


今戸焼?⑲  つゆ徳利

2010-04-23 22:47:40 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010102

タイトルに敢えて?をつけたのは、わからないから、寧ろお訊ねしたいという気持ちから、、。

画像の3つのつゆ徳利に書かれている屋号はいづれも東京の老舗の名前。

左 「かん多” や婦”」と書かれている。土は鉄分の多い赤土で、白化粧土で波のように流れるような化粧の上に乳白らしき釉薬をかけている。神田須田町の藪蕎麦のもの?

中「永坂 さらしな  布屋」と書かれている。土は真っ白ではなく白みの灰色。麻布十番の蕎麦屋・布屋太兵衛さん(創業寛政元年~昭和14年、その後再興)のもの?

右 「上野 揚出し」と書かれており、洋画家・小絲源太郎画伯の生家である上野山下にあったという文字通り「揚げ出し豆腐」の店?随筆や懐古談によく登場する店。吉原からの朝帰りの客が入浴して食事ができ、繁盛した、という話は有名。しかし、創業と閉店の時期がわからない。土色はベージュ。

これら3つ、同時に入手したわけではなく、時もところもばらばらにみつけたもの。

東京の老舗の屋号が入っているからという安直な発想で入手したもので、今戸焼とは考えていなかった。特に「揚出し」は「上野のあの店」という気持ちで求めたものなんですが、その後、白井半七作の徳利の写真によく似た化粧や釉薬の作品があったこと、明治12年刊の「東京名工鑑」の記述で幕末までの茶陶の需要は減り、食べ物屋の器を作るようになった云々、などからすると、今戸焼である可能性も皆無ではないかもしれない、と考えはじめたわけですが、おわかりの方、いらっしゃいませんか?

もちろん、こうした下化粧のやりかたはどこの窯業産地にもあったかもしれませんし、近いところで、笠間、益子などからの供給もあったでしょう。

この3つは鋳込みの成形ではなくて、手挽きです。底に雑な糸切の痕が残っています。


今戸焼⑱  都鳥の徳利(白井半七作)

2010-04-19 05:35:27 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010192 「寿ミ田川」の陶印があり、今戸焼の7世白井半七の作だと思います。へら彫り或いは押し印で都鳥が水面にいろいろな姿で描かれています。

7代目白井半七は関東大震災に被災し、その後招かれて関西に移住して開窯した人ですが。「寿ミ田川」の陶印は今戸で製作していた時代のものだと思われます。

手にとってみて、握ってみてなじんでくるようなやさしい歪みというのか、温かみのある形が好きです。土はやはり東京の土ではないようですが、真っ白という感じでもなく、時代がついたためなのかわかりませんが、ざっくりとした風合いに感じられる徳利。こういうのでお酒を呑むとおいしいかも。

黄色みを帯びた釉薬の色も渋くて好きです。

 

 

 

 

 

 

 

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今戸焼⑰ 言問団子の都鳥皿

2010-04-18 12:48:17 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010311 言問団子と言えば、長命寺の桜餅と並んで、墨堤の名物というだけにとどまらず、全国的にも有名な東京を代表する老舗のひとつです。創業は江戸の終わり頃と聞いていますが、詳しいことは他で紹介されていますし、ここで今更という気がします。

このお店で使用された都鳥の菓子皿。確か、昔お店に行ったとき、ウインドーの中に飾られていた由縁の品々の中には三浦乾也作の皿もあったかと記憶しています。使われていた皿は、いろいろな作者によるものがあったのでしょうね。

2007_0101_000000p1010312 画像3枚目の右側の皿を除いては、全て白井本家の善次郎家で作られたものだと思います。皿それぞれに善次郎家の陶印があるわけではなく、都鳥のシルエットに「言問」という文字の入った印が押されています。

昔、善次郎家の白井和夫さんをお訪ねしてお話を聞いたところ、見せてもらったのとほぼ同じです。和夫さんご自身も作っていらっしゃったそうです。

割と厚手で、また焼成温度もそう高くないためか手取りが重いです。他からの取り寄せの白い土でできています。

都鳥もいろいろなポーズのあったようで、全部で何種類くらいあったのでしょう?同じ柄でも揃えなければならないから、型紙などを使って目安をつけた上から、鉄の下絵具で描いたのでしょうか? 3枚目右の皿は他の作者によるものでしょう。

隅田川のこちら岸には「墨田川焼」とか「百花園焼」という焼きものがあって、都鳥はポピュラーな題材で、香合とか皿とか盃に徳利その他、いろんな製品があったようですし、一説には素焼きの生地を今戸から取り寄せていた、なんて話も聞きます。陶印が違うとかありますが、職人さんの行き来もあったでしょうし、ブランドとしては独立していますが、根は今戸とつながっているんじゃないかと思っています。なんてことを書くと、専門家の方に怒られてしまいますかね。   2007_0101_000000p1010313

 

 

 

 

 

 

 

 

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今戸焼⑮ 馬上盃(白井善次郎作)

2010-04-16 20:49:26 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010194 陶印があり、 「白井善次郎」の作であることがわかります。でも何代目のものなんでしょうか?善次郎家の白井和夫さんで何代目なのか、これも聞き洩らしてしまったんです。ただ、和夫さんか父親の善次郎さんから数えて7代前に半七家が分家したそうです。また半七家の代々は名前を継ぐ時には必ず、本家である善次郎家にあいさつに行ったらしいです。亡くなった9代半七さんが名前と継いだとき、はるばる関西から和夫さんのところにあいさつに来たそうです。

馬上盃は、馬の上でも安定して酒を飲めるように高台が握れるようにつくってある器です。作りを底から見てみると本体と高台を別々に作って接合しています。

器の側面をへらか何かで削ったような装飾があります。これを何と呼ぶのでしょうか?

釉薬も複雑な発色で緑がかったような、小豆色のような色です。

 

 

 

 

 

 

 

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今戸焼⑭ ボウズ

2010-04-15 08:59:43 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010289 お茶道具関係の今戸焼が続いていたので、久しぶりに雑器、というよりこれは生業道具ですね。 「ボウズ」と呼ばれていたそうなんですが、確かに形状からするとなるほどと思ったりしますが、一見「手あぶり火鉢」のようにも見え、実際そのように使えないこともないのですが、これは製綿農家などで使うものであったそうです。

収穫して種を除いただけの未精製の繰綿を綿打ち弓という道具ではじき打って不純物を取り去り、「綿打ち職」というんだそうです。そのあと真綿を「ボウズ」に被せて引き延ばし、使用する形に整えていたということです。

開いた口はどうするのか、というと綿を伸ばしながら汚れていたり不純物とかを除いて、中に入れた、という話を聞いているのですが、実際に使っていた人によく話を聞いてみないとまだ十分納得がいきません。背面に見える小穴も何なんだろう、、。

「ボウズ」のサイズも大小何段階かあって使い分けていたらしいです。

写真のボウズは結構大きいほうのものではないかと思います。「黒みがき」ですね。今戸では注文を受け、かなり出荷していたそうです。

入手した時は、長年群馬県内の農家の庭先にでも野晒しになっていたのか、泥がこびりついていたのですが、そーっと何度も雑巾で拭いてやっとここまできれいになりました。作られた当時はもっと光沢があったのでしょうね。すべすべの頭に綿を滑らせながら伸ばしたのでしょう。2007_0101_000000p1010290

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今戸焼⑬ 真塗りの灰器(白井半七作)

2010-04-14 17:32:04 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010293 この灰器にも「白井半七」の印があります。箱があり、うこん色の裂でくるんでありまして、裂には別の半七の印が押してあるので、これは、関東大震災に遭って関西に移った「7世白井半七」の製品だとわかります。ただ、震災前の今戸時代のものなのか、関西で開窯後のものなのかまではわかりません。灰器は先の「半田焙烙」も含めて、炉や土風炉に灰を盛り、ならす時に使うお茶の道具で、炉によって素焼きを磨いたもの、釉薬を施したもの、この画像のように磨いてから黒漆を施したもの、それに備前焼などのものもあるようですが、私はお茶の事は皆目わからないので、どういう時にどれを使うといった決まりごとは全然わかりません。

画像に見えるように、松葉を散らした模様が刻まれていて、素焼きして磨いて、黒漆で仕上げた上に松葉の沈線の上を金の漆で装飾してあります。黒漆のつやは、前述んの真塗りの土風炉ほどには光沢はなくて、鈍い光沢を放っています。

痛ましいのは、口縁の部分に2か所、欠けがあるんです。だからこそ、私のような貧乏人の手元にあるわけですが、金継ぎとかしたほうがいいんだか、いや金継ぎだと松葉の金色を邪魔してしまうようで、金ではない漆の継ぎ方はないんだろうか、、とああでもない、こうでもないと考えているんです。

私はお茶のことはわかりませんし、ただ今戸焼のことを知りたいばかりに、こうした品物を手元で眺めているわけで、実際に使うことはないと思っているんですが、、。


今戸焼⑫  炉台?或いは敷き板?(橋本三治郎作)

2010-04-14 13:10:25 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010195 お茶のことはわかりませんので、本当は書く資格はありません。ただ、昔の今戸焼について知りたいので、すすめていきます。 「橋本三治郎」の印が裏にあります。大きさからすると、お煎茶用の涼炉の下に敷いたものか、香炉でも乗せたものか?

作られた当時は磨きでもっと光沢があったと思います。やはり、先⑩⑪と同様な桜のつぼみの模様が刻まれており、「隅田川」という文字もあります。今戸焼が発展する背景には隅田川の向こう岸の向島の賑わいなどもあっただろうし、今戸橋のそばには「竹屋の渡し」というのもあったので、船を待つ人々の土産としてこういうものも、あったということなのか、「隅田川」というデザインのスタイルがあったのか?

この製品には漆は塗られていないようで、①の猫こたつのような、黒みがきの一種だと思うのですが、ひとつだけちがうのは肌に黒と灰色のムラのような模様。これこそ「村雲焼」というんですかね?白井善次郎作の「雲華」の模様とも違うし。どうやって、こういう効果を出すのか?①ふたつの違った土を練り込んでわざとマーブル調の地肌の色を出す方法?それとも②磨いたあと黒鉛をつける特別なやり方がある?①α 生土へ黒鉛を予め練り込み、色の黒い土とそうでない土とを練り込む?、、、、どれも想像の域を出ないのですが、、。

おわかりの方いらっしゃいましたら、ご教示ください。

「桜=隅田川」という趣向なのかわかりませんが桜の花の陰刻のある今戸焼の器物について他にも記事にとりあげていますのでお時間ありましたらご覧ください。

隅田川の灰器(白井善次郎作)→

紅塗りの手あぶり(白井半七作)→

紅塗りの手あぶり(橋本三治郎作)→


今戸焼⑪ 紅塗りの手あぶり その2(白井半七作)

2010-04-14 11:10:16 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010286 手あぶり火鉢です。陶印には「白井半七」とあります。「白井半七」といえば、今戸焼に関する記述には必ず出てくる作者ですね。とりあえず「東洋文庫」の黒川真頼著 前田泰次 校注「増訂 工芸志科」から引用します。この本は明治11年刊の「工芸志科」上下二冊(博物局版)と明治21年刊の同書「増補訂正 工芸志科」(宮内省博物館蔵版)の2種類を本に基づいて校注したものだそうです。その今戸焼の項より、、。

○貞享年間、土器の工人白井半七という者あり、今戸に於いて始めて店茶家に用いる所の土風炉を製し、又火鉢等の種々の瓦器を造る。世人是れを今戸の土風炉師と称す。尋で其の地の工人これに倣い業を開く者あり、漸く数戸に及ぶ。

○享保年間二世白井半七という者、始めて瓦器に釉水を施し楽焼と等しき者を製す。爾ありてより以来工人又これに倣い、業を開く者数十戸に及べり。多くは食器にして雑記は甚だ尠し。衆人之を用呼んで今戸焼という。

○三世も亦白井半七と云う。四世も亦同名なり。後に蘆斎と号す。五世も亦同名にして蘆斎と号す。初世より以下数世、土風炉及び楽焼きを製す。その他の職業年序を経て漸く盛んなり。又婦女の塑像を造る、翫弄物なり。其の製伏見人形に似て甚だ麁朴なり。而れども精巧ならざる所に奇作ありて、好事の輩は今戸人形と唱えて之を愛翫す。

○明治年間六世白井半七、世業を襲ぎ土風炉を作り、又楽焼を能くす、最も名声あり。(中略)其の他の工人土器及び楽焼き塑像を製する物多し。其の戸数遂に四十に及ぶ。其の他の工人業を営んで今日に至る。

これは明治21年に訂正刊行されるまでの流れです。6世半七までの記述で終わっていますが半七の名前は9世まで続いています。

7世白井半七(1857~1933)は今戸で業を継いでいたが、関東大震災に遭い、兵庫伊丹に招かれて、伊丹に窯を築いた。養子の半次郎氏(1898~1949)が8世半七を継ぎ、関西で茶陶を製作していたが、小林一三氏(阪急電鉄会長、宝塚歌劇の創始者)に請われて、宝塚市に窯を移した。九世半七(1928~1987)は戦後、宝塚市の都市化に伴い三田市の郊外に移し、昭和62年に亡くなったとあります。

手あぶりの話に戻ります。この手あぶりも橋本三治郎のと同様、磨いてからべんがらを混ぜた漆で仕上げてあり、胴のところに、桜の花やつぼみの模様が刻まれています。代々の半七の陶印や銘がいろいろありますが、どれが何代目のものか虎の巻があればいいのですが、今のところそういうものが存在するのかわかりません。

今戸で製作していて大震災に遭い、伊丹に移住したのが7世で、7世までは「墨田川 半七」という陶印を使っていたという話ですが、これも作品によりけりでひとりの人物が色々な印を使い分けていたということもありそうなので、ご専門の方がいらっしゃったら、教えていただきたいです。

この手あぶりには「白井半七」の印だけですが、関西へ移ってからの半七の作品は関西の茶人の好みに合わせ、上品な作風になっているようなイメージを持ちます。それからすると、橋本三治郎の製品とも共通点をもつ、この手あぶりは、まだ今戸で作られていた時代のものではないかと思うのですが、所詮素人考えで、わかりません。

「桜=隅田川」という趣向なのかわかりませんが、桜の花の陰刻のある今戸焼の他の器物についても記事でとりあげていますのでお時間ありましたらご覧ください。

隅田川の灰器(白井善次郎作)→

炉台(橋本三治郎作)→

紅塗りの手あぶり(橋本三治郎作)→


今戸焼⑩ 紅塗り?の手あぶり(橋本三治郎作)

2010-04-13 18:35:51 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010287 手あぶり火鉢です。陶印があり「對歐斎」「橋本三治郎」とあります。丸い形、よく磨きあげて、べんがらを混ぜた漆で仕上げた感じのつや。蓋付になっていて、口をあけたような曲線が楽しいです。胴には桜の花やつぼみがところどころ刻まれていて(印押し?)またラーメン模様のような帯も刻まれています。結構手の込んだ造りで、今戸焼でも上手なものなんでしょうか?「橋本三治郎」については、先の「真塗りの紅鉢型土風炉」のところでも触れましたが、代々世襲した名前のようですが、どれが何代目の作なのか知りたいものです。

「桜=隅田川」という趣向なのかわかりませんが、桜の花の陰刻のある今戸焼の他の器物についても記事でとりあげていますのでお時間ありましたらご覧ください。

隅田川の灰器(白井善次郎作)→

炉台(橋本三治郎作)→

紅塗りの手あぶり(白井半七作)→


今戸焼⑨ みがきの香合(白井善次郎作)

2010-04-13 18:19:27 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010291 まん丸で卵の殻のようにすべすべの地肌に沈線が大胆に入った形。陶印があり「白井善次郎」の作です。「白磨き」のあと黒鉛を刷り込んで焼いたのか、霞のような斑。一般的には「雲華」(うんげ)という仕上げなのではないでしょうか?今戸焼ではどんな呼び方をしたのでしょうか?蓋をあけると底のところだけ黄色い釉薬が施されています。単純のようで、結構技術がいるんでしょうね。結構モダンな感じもしますね。


今戸神社の狛犬銘文(云型)

2010-04-13 10:13:42 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010273 ●云型狛犬(正面向かって左)

(右側面) 

(裏面) 世  話  人(連名の上に横書き)

金沢喜太郎 熊田半右衛門 福井多左衛門 鈴木三左衛門 富田源次郎 

岡田源七 大春宗八 岩井源右衛門 鹿田久八 吉岡金兵衛 梅田市右衛門

焙烙 屋中

(左側面)

永嶋住之吉 白井半七 大春竹次良 鈴木次五郎 鈴木千代蔵 木村助□□ 橋本鉄五良 深谷吉□□□  吉田新次郎 

(正面)

                                                     (横書き・左←右) 作 門 衛 右 竹 田 岡

※(横書き)としてある部分以外は当然縦書きで、連名はひとり一行で刻まれていて、右から左の順で刻まれています。

阿型の狛犬の台座銘文はこちら→