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消え去る時、思い出はどうなるのだろう

今日は昼前から珍しく高輪なる所まで出かけて先ほど帰宅、この時間の書き込みになってしまった。田舎者が大都会まで道を間違えることなく行けた。その代わり途中で空は真っ黒、大粒の雨と雷での歓迎を受けた。

実家の画像


貼り付けた画像は就職して離れるまで住んでいた実家である。築50年を過ぎている。
今でこそ前の道は舗装されているが、新築されて引っ越した頃は轍(わだち)の所を除いて野草がボウボウだった。

もともと生まれは東京杉並の天沼という所。江戸っ子?である。しかし思い出は残っていない。残っているとすれば後から聞いた話だろう。

西方の地、親の出身地へ父親を残して帰郷。今のその実家へ辿り着くまで転居を繰り返した。転居のきっかけは空から斜めに落とされてきた焼夷弾だった。この時のことは記憶に残っている。庭先を流れていた井手(用水路)の橋に下へ避難して空襲と鎮火を待った。

その家には中学2年の途中で引っ越し、中学は転向しないで越境通学であった。家を出るときは奥のほうに見える二階建て部分はなかった。これは後、次兄が建築設計事務所を開設した時の名残の産物である。
誰もすまなくなって15年ぐらいになるだろうか、傷みが激しい。台風の影響などは、住んでいないとより傷みを促進する。雨漏り、シロアリいろいろ虫食いが広がってきていた。外観から見ても傷んでいる様子が窺える。

先日離れた所に住んでいる長兄から今月中旬には取り壊しを始めるとの連絡があった。
なくなるのは矢張り寂しい。帰郷の折の宿泊場所がなくなるということもあるが、矢張り青春?時を過ごした所としても思い出が詰まっている。

最後の姿を画像で送ってもらう約束はとったが、未だ届かない、整理が大変なのだろう。代わりに昨年夏自分で撮り込んだ画像を引っ張り出してきて、思い出の端っこに残しておく。7月8日の撮影である。


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クチナシの花

クチナシ(梔子)の木は、その気になって探してみると結構植えられている。特に花の時期では匂いで探し当てる事もできる。

これから開花:この時期の薄緑も見事


その気になって行動開始


なんの花でも言えることだが、クチナシの白も見事である。
ところが、最近気になってきた。クチナシの黄花はなんだろうかということである。
木によって白から黄に変色するのか、もともと蕾の時から黄色の黄花クチナシなのか良く判らない。

黄色のクチナシ


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