水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
生命力の活性を軸にした治療家になって解ることがある。
僅かの隔たりしかない生と死の間。
死は、思ったより近いところにある。
普通の身近にあるものなのだ。
近いが、簡単には越えられない。
その隔たりは、生命力という壁だ。
壁の薄さは、人間なら大きな差はないようだ。
薄さは同じでも、強弱はある。
生命力の「しなやかさ」が壁の強弱となる。
生きているということは、壁があるのだ。
通常では、簡単には死なないようにできている。
当時の私は生命力が活性していたから死ななかった。
今では解る。
あの声が、現実の声だったのかどうかは問題ではない。
生きる為には、あのような声が聞こえるものなのだ。
聞こえたなら、死側には行けない仕組みがある。
それが理解できたのは、ずっと後だった。
この時の出来事を小説として書いた。
初めての純文学として60枚にまとめた。
ついでに、幾つか稚拙な短編も書いた。
発表はしていない(稚拙すぎて・・・)。
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後戻りできない高さまで登ってしまった。
体力も無くなってきた。
頭も朦朧としていた。
下は岩がゴロゴロしている。
そうか、死は、こんなに近くにいたのか。
そちら側に行くのは、難しくない。
手を離すだけでいい。
その時だ。
「お~い、大丈夫かぁ~」
海の方から声が聞こえた。
振り向くことはできない体勢だった。
その瞬間、
登る事だけに夢中になった。
恥ずかしい。
見られたことが、恥ずかしい。
思ったことを、見られたようで恥ずかしい。
何故か、羞恥心で目が醒めた。
そして、崖の上に上りきった。
海を見ると、誰もいなかった。
熊笹を掻き分けながら、遠くに見える道を目指した。
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不完全な人間が作る社会だ。
虚構だ、本物だ、と気にする事が間違いだ。
その不完全さ、不安定さ、の中に面白さがある。
なんて、当時はとても思えなかったのも無理はないか・・・
人類が幾十億人いても、全て違う。
顔も性質も性格も環境も、何故違うか、なんて考えもしなかった。
社会の一人として、目標や目的や役割が必要と思い込んでいた。
その固定概念から抜け出られるのは、50歳過ぎてからだ。
まぁ、19歳には19歳時の考えと行動がある。
岬の先まで行っても、もちろん答えなどない。
そのまま、ゴロタ岬に向かった。
海岸に出て、何となく崖を登り始めた。
理由も道もなかった。
登りきれるような崖ではなかった。
なのに、そのまま登り続けてしまったのだ。
自暴自棄というよりも、虚無感が近かったようだ。
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自分の頼りなさを実感した高校三年の一人旅。
だからこそ、一人で知らない場所に行くことに惹かれた。
今のような携帯電話があるわけじゃない。
インターネットなど無い時代だ。
調べる本も限られている。
ほとんど、いきあたりバッタリの旅だ。
お金はギリギリだったので、食べ物さえ節約した。
礼文島に着いて、適当に歩き出した。
船酔いが残るまま、とりあえず、岬を目指した。
スコトン岬という変な名前だった。
そこに何があるわけではなかったが、目指した。
安保闘争を軸に、社会のウソを実感した高校時代。
自分の将来と社会の虚構は別モノなのに混同していた。
自分の将来が見えなくなっていた。
目標が無かったウップンがあったと思う。
自暴自棄を意識してはいなかったが、要素はあった。
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学校の授業は講義、実技とも順調にこなしていた。
私は職人の血が流れていたようだ。
非常に細かい作業が苦手ではなかった。
彫刻刀で石膏やワックスに彫刻するのは好きだった。
休日もアチコチ出かけ、元同級生達とも会っていた。
身体も気持ちもピチピチしている時だ。
生命力は旺盛だった。
そういえば、一年の夏休みは北海道に一人旅。
どうせなら、と最北まで行ってみた。
稚内が最北なのだが、私は礼文島と勘違いしていた。
小さな船で時化だった。
船酔いが、あれほど苦しいとは思わなかった。
吐くモノもないのに吐く。
海へ飛び込みたくなるような酷い状態だった。
やっと着いた桟橋でも揺れていた。
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寮のラジオからは、南沙織、小柳ルミ子、天地真理。
出発(たびだち)の歌、また逢う日まで、さらば涙と言おう。
傷だらけの人生、よこはま・たそがれ、知床旅情。
雪が降る、ある愛の詩、そして、イマジン。
多くの音楽は、生活の中に溶け込んでいた。
テレビは部屋になかったし、以後10年間ほとんど見なかった。
本は高いけど、買える時は少しずつ増えていった。
そして年が明けた。
札幌冬季オリンピックのジャンプは見た記憶がある。
その後のあさま山荘事件も食堂のテレビで見た。
連合赤軍が群馬県(榛名)にいたんだぁ、と。
(その後、隣の長野県軽井沢に逃げ込んだ)
この頃から、安保闘争の中で活躍した組織は自滅していった。
特に内ゲバや過激な方法を、一般市民達は支持しなくなった。
私も、マジメ連中は狂気になりやすいと思ってきていた。
正義を盾にすると、争う元になると思ってきていた。
こだわり、から衝突が起こると思ってきていた。
固定概念の外に道があると思ってきていた。
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「やだ!」
という同級生を説得する役をした。
この辺は阿吽の呼吸というヤツだ。
そのまま見せるのも癪だし、ゴネすぎてトラブルつもりもない。
一人が拒否して、一人が説得、もう一人は無言の抗議。
まぁ、事情を知れば、見せるのはかまわない。
過激派でもないし、火炎瓶も持ったことはないのだ。
「ご協力感謝します」
市民の手前、足早に団体で引き上げる機動隊。
すると、見守っていた市民や野次馬達が寄ってきた。
「何をされたのだ?」
「大丈夫か?」
一般学生に温かい声をかけてくれた時代だった。
社会全般がドタバタだったが、生命力はあった。
生命力があれば、人は温かいのだ。
池袋構内が燃えている。
そんな事ぐらいでは驚かなかった。
東大だって燃えていたし、成田だって燃えていた。
星飛雄馬の目も燃えていたし、あしたのジョーも燃えていた。
変革続きだが、日本はまだ高度経済成長の中だった。
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今では、女子大生=パープリンで淫乱。
男子大学生=軽薄軟弱ダメ若者。
というイメージだが(異論ある?)、当時は違っていた。
大学進学率は10数パーセントの時代だ。
大学生は勉強するし、苦学生も多い。
物事をマジメに考える若者、というイメージだ。
私達を囲んだ機動隊を、更に一般市民が囲んだ。
300人くらいはいたようだ。
その頃は、市民は学生の味方だったのだ。
(今は機動隊の味方が多いだろうなぁ・・・
まぁ、自業自得というヤツかもしれない)
鬼の機動隊(当時はそういう言い方も)も市民の目は気にする。
市民さえいなかったら、生意気なクソガキは撲ってやったのに。
そこで分別のある隊長らしき人が出てきた。
「ただ今池袋構内で火炎瓶による火災がおきています。
一応、バッグの中身を拝見させてくれますか?」
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同じ頃だった。
高校時代の同級生(浪人)2人と池袋駅で待ち合わせ。
金も無い者同士だ。
そのまま、駅前で近況などを話し込んでいた。
すると、機動隊が私達3人を取り囲んだ。
透明防護面付きヘルメット。
ジュラルミンの盾。
各部位のプロテクター。
撲る為の警棒。
大柄、怖い顔の団体。
十数人でジュラルミン盾で囲むのだ。
蟻は逃げられるが、ねずみは無理。
もちろん、私達を絶対逃げられないようにしている。
機動隊の目が血走っていた・・・
「おい!そのバッグを見せろ!」
警察は権力を傘に無理をふっかける集団。
そういう見方をしてきた高校生活だった。
「いきなり、ふざけるな!」
内心は結構ビビッているけど、このくらいは言える。
何のことか、わけがわからなかったし・・・
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一言「ファンです」が言えなかった。
今でもそうだが、その頃は更にシャイな10代だ。
何か言って、握手したかったのに、何もできなかった。
心残りだった事が、思い出となった。
だらしねぇなぁ・・・
なだ いなだ氏はその後「老人党」を立ち上げる。
バーチャル政党だが、自由な政党だ。
既成社会に迎合せず、対決もせず、無理なく自己主張する。
そういう姿勢は、私もスンナリ同調できるのだ。
心の内部の不可思議さを追求した精神博士でもある作家だ。
(なだいなだ、とは、何もない、というスペイン語)
私の興味は、社会の矛盾よりも人の心の奥の不可思議さに移っていった。
とはいえ、まだまだ、否応無しに世間は荒れていた。
70年安保が締結されても、噴出した矛盾は簡単に収まらない。
噴出したエネルギーの当てる先も戸惑っていた時代だ。
時代の変化はフォーク歌詞にも象徴される。
社会政治的メッセージから、個人生活情景の歌が多くなった。
「結婚しようよ」は、時代が変わった印の歌でもあった。
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