二年生になると、学校はほとんど実技専門になっていた。
学校と併設されている技工所の各科に配属。
技工は種類があり、自分で希望の科を幾つが回るのだ。
本物の受注した仕事をチェックされながら仕上げる。
実践の実技になっていた。
夏休みは、ある関西の共同体のセミナーに参加していた。
精神世界を彷徨うキッカケになった。
良否はともかく、カルチャーショックがあった。
事実と、事実だと思っているのは別世界だと知った。
以後、自分の考えや思いや感覚さえもアテにならぬと知った。
まぁ、自分(人間)は信じる対象じゃない。
欠陥品だもの・・・
(だから、愛する対象となる、と言いきれるのは後)
自分の内外部に気をとられていて、母のことの記憶がほとんどない。
おそらく、母なりに、不安定な私を心配していたのかも。
だが、そういう事は口に出さない母だった。
東京は刺激が多い場所だが、基本的には私は好きになれなかった。
それでも、多くの人達と知り合いになった。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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