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水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

みる・2

2005-10-21 19:20:57 | Weblog

そうか!
感性で観ればいいのか。
他人と同じでなくていいのだ。
他人の評価と同じでなくていいのだ。

そうか!
感性で描けばいいのか。
他人と同じでなくていいのだ。
他人の評価はどうでもいいのだ。

「観る」事から世界が広がった。
描く事も書く事も自由になった。
感じる事も自由になれた。
たった一枚の絵。
解放された出来事は多い。

観るには「見ない」事。
「見える」事にとらわれない事。
今、気づいた。
この後に精神世界への扉と出会う。
そうかぁ、すでに準備があったのかぁ・・・。

さらに今回気づいた事がある。
ルノアールと同時代同印象派のモネ。
自然の一瞬を描いた画家だ。
同じ部屋に「睡蓮」があった。
でもルノアールに惹かれる。

ワシは最初がルノアールだから、
「刷り込み」があるのかと思った。
ルノアール贔屓なのかと思った。
だが今のワシに関係する理由があったのだ。

「光を当てる」
印象派といわれる画家達。
モネは自然の風景に光を当てた。
一瞬ではなく、一瞬の変化を描いた。

ルノアールは人物に光を当てた。
普通の人達に光を当てた。
特別な存在だけに光を当てたわけではない。
生きている人に共通するモノに光を当てた。

生きとし生けるモノに共通する。
それは「生命」だ。
ワシのライフワークの中心だ。
「輝く生命」に反応するのは宿命だ。



(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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みる・1

2005-10-20 22:16:30 | Weblog

「コーヒー豆を挽く器具」
っていう話じゃなくて・・・。
見えないモノを観る話だ。
(しょうも無いマエフリ・・・
お笑い芸人は諦めよう・・・・)

久しぶりに美術館に行った。
そして・・・みた!
部屋の隅にひっそりと座る学芸員のおねえさん。
ひっそりとしているが・・・
見物人が悪さをしないように見張っている。
という話じゃないくて・・・。

絵を観た。
ワシが19歳だったと思う。
絵を観る事を教わった。
絵は見るのではなく、観るものだと教わった。
教えてくれた先生の名前は・・・忘れた・・・。

そして初めて観た絵。
ルノアール。
その頃、同じ名前の喫茶店がアチコチにあった。
今は何処に行ったのか?
厚い野暮ったいコーヒーカップ。
ステンレスのお皿のスパゲッテイナポリタン。
「何もかも、みな・・・懐かしい」(沖田艦長 談)

池袋の西武デパート内だったと思う。
ルノアール展があったのだ。
ワシは初めて観た絵に感激した。
絵から「何か」が流れてくるのだ。
初めての感覚だった。
それから展覧会中に幾度も通った。

このルノアールのお蔭だった。
その後の芸術品の観方が出来た。
それまでは解らなかった。
「見る」だけでは解らなかった。
何が素晴らしいのか解らなかった。

そうかぁ・・・
見るのではなく、観るのかぁ・・・。
観る、とは「感じる」事なのかぁ・・・。
目が覚めた。
ワシはラッキーだった。
「観る」事を十代で知る事が出来た。



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変態・7

2005-10-19 18:34:35 | Weblog

変態のマントラ(呪言)は「ありがとう」。
マントラがあるならポーズもある。
ヘンシーン!にもポーズがあるのだ。
負けちゃ~いられねぇ。
(勝負してんのかよ・・・)

マントラとポーズはコンビで売っている。
「マントラで~す。ポーズで~す。
二人合わせて、変態ブラザーズ!!」
最近のお笑いは何でもアリなのだ。

ポーズは手印(ムドラー)でいい。
手印の種類はとても多い。
各国の仏像をみてもわかる。
指が絡まっているような印もある。
指が柔らかくなければ・・・折れるかも。
(そ、それは、無いと思う・・・)

だからワシは最高の手印を薦める。
(メンドクサガリ屋だからだ。
これ一つで全部代用しちまえ!)
金剛印、つまり合掌だ。

変態するにはマントラと手印。
「ありがとうございます」と合掌。
変態したらマントラと手印。
「ありがとうございます」と合掌。
元に戻らず、先に進める。

変態は・・・難しくない。

この世を創ったグレちゃん(グレート・サムシング)
イタズラ好きでヒネクレている。
だけど、とてもとても優しい。
誰でも、時期がくれば変態できる。
自然に変態できるように仕組んである。

自然体なら適した変態が出来る。
変態したがると・・・変身しか出来ない。
これがグレちゃんの優しさだ。
これがグレちゃんのヒネクレだ。

変態は、
力み(欲)を静めれば難しくないぞ。



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変態・6

2005-10-18 23:24:52 | Weblog

せっかく変態したのに元に戻る場合がある。
変態し直してしまうのだ。
元の癖に引きずられて変態し直す・・・。
すると・・・消えた病も元に戻る。
霧が晴れたと思った「気づき」も隠れる。

せっかく病になったのに無駄時間にする。
せっかくチャンスが訪れたのにフイにする。
せっかく「気づき」を得ても捨ててしまう。
せっかく変態したのに、変態し直してしまう。

故御師匠様は注意してくれた。
「病になった。病が治った。それぞれに意味がある。
自分一人で嘆くな。喜ぶな。
多くの人やモノに支えられているんだ。
感謝が無ければ、元に戻るぞ」

病になっても感謝。
治っても感謝。

ワシは最初「病への感謝」が理解できなかった。
今は解る。
病だって変態だ。
変態と感謝はセットだ。

人は変態する為に「この世」に来た。
だから、どんな変態だろうが感謝だ。
変態よ、ありがとう・・・。
(どう書いても、何か変?)

戻らない呪文の一つに「ありがとう」がある。
「ありがとうございます」がある。
これは行い(言葉を言う・書く)だ。
「感謝」は心で思う事ではない。
(もちろん、心で思ってもいいけど・・・)

心だけで感謝しようとしても、心はヒネクレている。
心は矛盾する多種多様の塊で創られているのだ。
だから、心は放っておくのだ。
変態に大切なのは「行い」なのだ。

「ありがとう」を言えば(書けば)
病は元に戻らない。
何度も言えば、心は追ってくる。
心と行いが一つになると、大きな力となる。
心の感謝は「行い」で決まる。



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変身・5

2005-10-18 08:24:53 | Weblog

ヘンシーン!
仮面ライダー、ゴレンジャー達。
彼らは変態じゃない・・・。
彼らは変身しかできない連中だ・・・。
女装するようなものだな・・・。
(せ、正義の味方に、何という事を・・・、
女装趣味とは、違うと思うぞ・・・たぶん・・・)

変身だけでは浅いのだ。
心が変わらない。
生き方も変わらない。
簡単に元に戻ってしまう。
正義の味方は浅く軽い・・・。
(注:ワシはショッカーの仲間じゃないぞ)

本物の変態は元にもどらないのだ。
羽化した蝶は毛虫にもどらない。
変態は深く重い・・・。
(注:ワシはヘンタイの応援団じゃないぞ)

変態後は違う人生が待っている。
もう一つ広がった世界が待っている。
もう一つ「やわらか」な世界が待っている。
変態は幸せのための仕掛けなのだ。

人は幾度も変態できる。
その事に気づく為の苦しみがある。
その事に気づく為の病がある。
幾度も新たな喜びが用意されている。

病は気落ちする出来事ではない。
新たな喜びを得るチャンスなのだ。
だがこのチャンスは油断できない。
病は通常時の出来事ではない。
油断している時間がないのだ。

人生が変わるのだ。
変態は本気でする。
肩の力を抜いて本気になる。
一部分だけの変身では時間の無駄になる。
全てを変えてしまおうぜ。


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変態・4

2005-10-17 08:31:28 | Weblog


変態は壁を乗り越える事じゃない。
頑張っても変態できない。
諦めたら、変態しない。
頑張らない、諦めない変態・・・。

認め難い事を認める。
意識をやわらげる。
時期が訪れた事を認める。
変態の時期が来た事を認める。

時期は場合により、壁に見える。
それまでの生き方が出来なくなる。
それまでの生き方だと苦しむ。
逆に考えれば・・・
壁や苦しみがあれば、変態の時期がきたのかも・・・

病は何かのメッセージを含む。
何かが解る場合もある。
何かが解らない場合もある。
解らなくてもいい。
「変わって下さい」という意味だ。
変態の時期は間違いない。

ワシは上手く変態できる言葉を作った。
それは治療院の天井に貼った。

「病は気づきのメッセージ
気づく前も気づいた後も
いつもニコニコ、これが大切」

笑えるようになれば、何とかなる。
笑えれば身体も心も、やわらぐ。
「場」もやわらぐ。
時期が来ていれば、変態できる。

ニコニコ。
それは自然体でもある。
頑張らない。
諦めない。
変態は自然体で起こる。


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変態・3

2005-10-15 22:49:20 | Weblog

変態するのに合理的は無い。
使った時間。
使ったお金。
使った意思と力。
それらが全て必要なのだ。

モノを買う。
技術や知識を身に付ける。
そんなつもりだと失敗する。
適した変態が出来ない。
せっかく「縁」が繋がっても変態が上手く出来ない。

時間やお金や力は「通常社会」の次元。
変態は「別の世界」に係わる次元の扉だ。
時間やお金を節約すると扉は閉まりだす。
とても大切な理だ。

ワシは極低収入の時期だった。
(働いてないようなものだ・・・)
それでも憑かれたように通った。
二人の御師匠様を追いかけた。
(途中で一人は逝ってしまわれたが・・・)

後で理解できる。
ワシの歩き方が最適だった。
だから変態できた。
ワシは変態オヤジになれた・・・。
(こ、この言葉でいいのか?ん?)

時期が適合すれば変態できる。
条件が揃えば変態できる。
本人の「気づき・覚醒」で左右する。
正面から真ん中を歩く。
変態時には必要な事だ。

普段の生き方なら、千鳥足を薦める。
回り道や遊び道を薦める。
真っ直ぐ歩くと間違いやすい。
ゆっくり息を吐きながら歩いてくれ。

だが変態時は非常時でもある。
ここだけは・・・正面を真っ直ぐ歩いてくれ。
変態時の一つに
深い病からの回復が含まれる。

それまでの身体や心や生き方を変える。
深い病の原因の幾つかが、そこにある。
変わるから病は消えざるをえない。
当たり前の理だ。


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変態・2

2005-10-14 21:25:14 | Weblog

モノを買う。
金が余って余って仕方が無い。
そういう人以外は安い方がいい。
ワシなら無料もありがたい。
苦労して作った人の事を思わなければ・・・。

何かを身に付ける。
教えてもらう。
合理的に時間を節約する。
同じ憶えるなら早い方がいい。
知識でも技術でもだ。
ワシはメンドウ臭がり屋。

そのモノグサなワシがヨガと出会った。
龍村先生という素晴らしい行者と出会った。
ヨガは身に付けるモノじゃない。
ヨガは自分が変わる実践哲学だ。
技術や知識ではない。

変わるモノと買えるモノは違う。
変わるモノと憶えるモノは違う。
とても、とても大切な事だ。
これを知っただけで人生が変わる。
人間が変われる。

だから先生でなく御師匠様となった。
先生と御師匠様との違いだ。
教えてくれる人ではない。
変わる事ができた恩人だ。
そして変わり続ける事ができる道標の人だ。

人が変わる。
人が幸せに変わる。
人が笑顔に変わる。
そこに係わる道を選んだワシだ。
計算してヨガを学ぼうとしたわけではない。

ところが「変わる」根本がヨガにあった。
身をもって指導する師匠と出会った。
ワシは何てツイているのだろう。
ワシは何てラッキーなんだろう。

先祖の陰徳があったのかもしれない。
運命の女神が粗忽者だったのかもしれない。
メガネが曇っていたのかもしれない。
それでもラッキーは変わらない。
変わるのは自分の方だ。



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変態・1

2005-10-14 21:23:03 | Weblog

絶対勘違いするよね。
題名に期待して訪れた人、ゴメン。
ワシはそっちの変態を書けるほど人生を知らない。
(正常でない趣味、という意味の変態)
マトモ(正常)も半人前だ。
一人前の変態なんて、当分先だぜ。

ワシが書ける人生。
マトモでもなく、変態でもない。
奇妙、微妙、玄妙な世界の一部。
ここでも半人前だ・・・。
それでもプロ側の世界にいる。

その世界は変身と変心と変魂がある。
意識や生き方や感覚まで変わる世界だ。
それを・・・「変態」と名づけた。
態が変わるからだ。
虫の変態と同じだ。

幼虫が羽化する。
身体が変わるだけじゃない。
地上しか知らない人生(虫生?)が、
空を飛ぶ生き方に変わるのだ。
モノの観方も変わる。
感覚も変わる。

人の人生(変な言葉使いだなぁ・・・)も変わる。
時に、変態する事がある。
変態しようと、もがく事がある。
イキナリ、変態してしまう事だってある。
変態しない人生もある。

病からの回復を観る。
病には「浅い病」と「深い病」がある。
病名の違いではなく、進行度の違いでもない。
どんなに重病でも「浅い病」もある。
軽病でも「深い病」もある。

浅い病は原因や回復条件が単一か単二。
深い病は幾つモノ条件や治療法が必要となる。
そして、深い病は絶対条件がある。
それが・・・変態だ。
(ふざけていません・・・本気です)



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月餅・15

2005-10-14 21:20:14 | Weblog

この象嵌の「般若心経」衝立の仏品。
実は前兆があったのだ。
それは約1年前の1993年。
ワシには何度目かの異現象があった。
(03年9月のコラム「異現象」参照)

イキナリ般若心経や観音経を覚えさせられた。
そして半年後に亡くなった父親に唱える事ができた。
49日法要の日、ワシは生駒で氣功師となった。
般若心経の浄化力については理解していた。

家庭不適合の父親だった。
家庭より自分の道を歩く事を優先する。
困った性格だが、ワシはその血を受け継いでいる。
だから氣功師という怪しい立場になれた。
家庭優先なら崖っぷちは歩けない。
その父親の仏壇に供えるつもりだった。

20代に後輩の親と何故か親しかった。
コケシ職人だった。
銘木・奇木を教えていただいた。
黒檀、紫檀、鉄刀木(タガヤサン)。
花梨などの玉目の魅力を知った。
だから、一目で価値が判ったのだ。

自分で黒檀を削って茶杓を作ったりした。
(歯科技工士だからカービング道具あり)
煤竹風に節などを彫刻したのだ。
だから、その削る大変さを知っている。
(20代は何故か茶道を習っいたのだ・・・
膝を壊して途中で挫折。登山も・・・)

黒檀に螺鈿の象嵌。
しかも般若心経。
しかも、しかも、字が名人級。
裏面の絵も見事な象嵌。
足台の透かし彫りも見事。

わざわざホコリにまみれて・・・。
さも厄介モノの振りをして・・・。
金の無いワシ用に用意されていたとしか思えない。
これを買わなきゃバチが当たったろう・・・。

だから人生は面白い。
何が起こるか分からない。
アナタ用にラッキーは転がっている。
愉しいイタズラが用意されている。
ワシはそんな気がするけどなぁ・・・。



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