水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

忘れる・2

2005-09-08 14:40:36 | Weblog

まぁ、我が子の顔を忘れる事はよくある話だ。
かの偉大なナガシマ氏は我が子の存在さえ忘れた。
B型人間では珍しい事ではない。
忘れるというより、憶えてないだけだ。
悪気は無いし、それほど被害も無いだろう。
気にしないでくれ。
ワシの方は、気にしないで生きられる。

「忘れる」から生きられる。
生命はアナログ(変化の連続)だが、
意識(心)は本質がデジタル(変化の断続)だ。
心をアナログと勘違いして継続すると苦しむ。
そこでグレちゃん(創造主)は仕掛けを創った。

本当に優しいんだなぁ・・・。
だから、一応の救済システムだ。
何から何まで面倒を看たら人間がダメになる。
あまり苦しみ過ぎないようにしてくれた。
それが「忘れる」という機能だ。

せっかくのグレちゃんの好意。
アホな人間は本当の好意が判別できない。
物事を表面で判断してしまう。
真意は底にあるものなのに・・・。

アホな人間はグレちゃんの好意に逆らう。
忘れないように努力する。
忘れる事が「退化」だと思ってしまう。
「忘れる」意味を理解できないでいる。
人間界ではそういう人を「有識者」というらしい。

肉体の退化に沿って「忘れる」加速度は増す。
肉体の退化の意味。
意味を知ったら「忘れる」加速度の意味も知る。
肉体は退化するように仕組まれている。
あの偉大なグレちゃんが創ったんだぜ。
大きく深く広い意味があるに決ってんだろ。

ならば・・・加速する「忘れる」意味も深い。
グレちゃんは「叡智の塊」だ。
ブッちゃんは叡智を「般若・パーニャ」と言った。
加速する「忘れる」は、摩訶般若なのだ。
(か、かなり強引だぁ・・・)

「忘れる」
そこには偉大な智慧が秘められていた。
「忘れる」素質のあるワシは、
偉大な智慧のすぐ側で生きている・・・。
(独善というより妄想だね・・・)


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忘れる・1

2005-09-07 21:50:37 | Weblog

最近、更に加速度が付いた。
い、いや、我家の借金の額ではない。
我家の借金額は順調に右肩上がりだ。
それほど気にするほどじゃない。
この国の借金に比べれば微々たるものだ。
銀行は、小さな借金にこだわわりすぎる。
我家の借金は忘れてくれ。

そ、その「忘れる」だ。
加速度が付いたのは。
昔から、ワシは「忘れる」のが得意だった。
インターハイにも出場した事がある。

通常は加齢するにつれ、記録は衰える。
しかし「忘れる」は加速度がつく。
毎日のように新記録が出る。
オンリーワンで、ナンバーワンだ。
ワシにも自慢できるモノがあるのだ。

もうすぐ豚子の小学校運動会だ。
何年も前になる。
ワシは本妻からビデオを渡された。
「豚子、撮ってあげてね。私はPTA役員だから」
本妻は偉いなぁ・・・そんなの引き受けて・・・。
(アンタがしないからじゃない!)
(・・・そうでした・・・ゴメンネ)

で、その出場種目にレンズを向けた。
お、あれだな、豚子は。
スイッチ、オン!
ズーム、イン!
豚子、一生懸命だな。
誰に似たんだろう? 
一生懸命のDNAはワシにない。
ま、まさか、本妻の、う、浮気の果か?
おっ、抜かれた、三着でゴール!

まぁ、こんなもんだろう。
ビデオ撮影は完璧だね。
フッ、ワシだってやるときにはヤル!
良き父親の役くらい、ちょろいもんさ。

運動会が終わって、ビデオを再生した時だ。
ワシは旧KGBかKCIAの陰謀だと思った。
ズームアップした豚子は別人に入れ替わっていた。
どう見ても、豚子には見えない。
強いて類似点をいうなら・・・女子小学生ではある。
へ、変だなぁ・・・。

一生に一度かもしれない、徒競走での一位。
スタートからゴールまで一度も映されていなかった豚子。
(はぁ~・・・とうちゃんじゃ、しょうがないよね・・・)
豚子は、とても、とても出来た子だと思う。
だが、その目に少し軽蔑の色があったような気がした。
ワシの被害妄想ならいいのだが・・・。


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不空・8

2005-09-06 18:09:46 | Weblog

ワシにとって、この戒め言葉は大きい。
天上天下唯我独善を自認するワシだ。
つい、これでいい!と思ってしまう。
それではプロ失格だ。

プロにはいろいろな条件がある。
それらを乗り越えても、止まったら落ちる。
解放し続けている間だけが、プロだ。
流動している間だけが、プロだ。

プロの世界には無限の階段がある。
シロウトの坂道とは違う。
プロだから厳しいのは当たり前だ。
プロだから「やわらかい」のは当たり前だ。
そして、プロだから「いいかげん」が使える。

余計な文章を書いてしまった・・・。
プロはこういう事もあまり書かないものだ。
ワシはプロだが、未熟なプロなんだ。
多分、この先も未熟なプロでいる。
いつまでも、未熟を自覚するプロでいる。
それが「不空」に込められている。

留まってしまったモノがいる。
自縛霊、浮遊霊たちだ。
肉体の無い霊を「オバケさん」。
肉体の有る霊を「人間」という。
ある意味、どちらも大した違いは無い。

問題は肉体の有無ではない。
留まると幸せでないのだ。
苦しみがあり、それを自他に向ける。
闇は止まった時から始まるものだ。

法則を知る。
その時は明るい。
しかし、法則に縛られると闇が始まる。
「空は不空」

法則は「いいかげん」という使い方で活きる。
法則が解ける(融ける)からだ。
マジメに取り組むと闇に入る。
そして、争いを始める。

そろそろ、気づこうぜ。
受け売りの法則は役に立たない。
法則は解放する為にあるものだ。
霊も(人間も)解放する為にいる。

解放すると、解放されている。
この世の仕組みはヒネクレている。


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不空・7

2005-09-06 14:47:00 | Weblog

この世の法則がある。
多分、あるだろう。
黄金律もあるかもしれない。
いろいろな法則もある。
あるには・・・あるけど・・・。

法則がある事が判っても、理解したとはいえない。
一部を理解しても、充分でない。
法則には範囲が付きものだ。
範囲と法則はセットで売られている。
範囲が広いと、範囲外を想像できない。
つまり、法則は絶対ではない。

「理解」
「理」は法則の意だ。
「解」は解放の意だ。
法則を理解したと言いながら、
法則に縛られているのが現状だ。

理解したら、法則は無くなる。
無くならないけど、手から放れる。
法則に縛られなくなる。
法則を振り回している時は、理解していない。
こんなの、当たり前だろ?

当たり前が判らない人用に示した言葉。
それが禅語だ。
(それなら、もっと判りやすくしろよなぁ)
「不空」
「法則に縛られたら、法則が活かせない」
そういう戒めだ。

生齧りで、聞き齧りで、半齧りの言葉。
沢山、沢山あるよね。
何処からかの丸投げ引用。
誰かの受け売り。
消化してないから、自分の言葉じゃない。
(う~m・・・耳が痛いぜ・・・)

法則を如何に解放していくか。
それが、この世の仕組みを解く鍵となる。
解放した範囲は自由が増す。
放せば、広がってしまうのだ。

ワシは「氣」のプロを自覚している。
プロとして未熟でもシロウトとは別次元にいる。
その一つが法則を解放し続ける事だ。
だから理屈屋のシロウトと同じ土俵に上がれない。
ゴメンネ。ワシはプロなんだ。


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不空・6

2005-09-05 19:58:34 | Weblog

「不」をどう訳すか?
「非」ならば「あらず」だ。
「○○じゃないかも」
ワシなら、こう訳す。

「不マジメ」なら、
マジメじゃないかも・・・。
そういう「やわらか」な言葉とする。
「不幸」なら、
幸せじゃないかも・・・。
無理に「苦しみ」を押し付けなくていい。

マジメになる時もある。
幸せにもなれる。
固定や確定はしてないぞ。
それが「不」だと思う。
否定の決定ではないのだ。

「不良」「不良品」
ワシのことだ。
だから、ワシには未来がある。
「良」を目指すわけではないが「良」の時もある。
でも「良」だけじゃ嫌だ。
「変」や「番外」とも付き合いたい。
ワシは「良」より「不良」でいたい。

生きているんだ。
いろいろな体験をしたい。
イロイロな経験もいいなぁ。
それが生きている証だ。

生きているんだ。
望まなくても体験する。
いろいろな経験をしてしまう。
苦しみや辛さや悲しみがある。
勝手に体験させられる。
それが生きている証だ。

良や正や善や高だけに価値を付ける。
すると余計な苦しみを増大させる。
良や正だけに偏る倫理観は苦しみを創るのだ。
良や正を主張すると争いを創るのだ。

良や正にだけ価値をつける社会。
多くの人に苦しみを押し付ける社会だ。
ブッちゃん(仏陀)はそれを見抜いた。
そして「中道」という言葉を使った。

気取りすぎだよ、ブッちゃんは。
解り難いだろ。
「中」を「中」と訳してしまう。
それでは真意は伝わらない。

ワシなら
「道は、いいかげんに歩け」という。
解りやすいだろ。
これが「不空」に通じる言葉だ。


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不空・5

2005-09-03 19:09:13 | Weblog

高みに上ろうとする人がいる。
ワシも時々上ろうとする。
だが、ワシは低いところも面白いと思う。
どちらも興味があるからだ。
高いだけが価値があるわけじゃない。

趣味の問題だ。
上ろうと潜ろうと好きにしてくれ。
ワシも気ママに愉しんでいる。
ワシは上品も下品も愉しめる。

エライ人達の勘違いがある。
「人は進化するべきだ」
だからレベルを上げるのだそうだ。
エライ人達は・・・自分勝手だなぁ・・・。
何となく、威張るし・・・。
(注:ワシの事は押入れに・・・)

闇(病)に苦しむ人達と接する。
すると、自分の勝手さに気づく。
自分の薄情さに気づく。
そうしてワシは病み人から教わる。
こんなワシにも気づきを与えてくれる。

更にお金までくれるのだ・・・。
病み人こそ、偉いと思う。
高みにいる人が偉いとは思えないが、
闇(病)の底にいる人は偉いと思える。
ワシの代わりに苦しんでくれている。
そう思う事が幾多もある。

ワシはプロだと意識できたのは、
高みを目指す間違いに気づいてからだ。
高いも低いも底も関係ないぜ。
人もケモノも妖怪もモノも関係ないぜ。
時間も空間も業も関係ないぜ。

ただ、一点のみ。
「こだわる」か「こだわらない」かだ。
誰でも、いつでも、何処でも成れる。
幸せに成れる。
努力も才能もその他の条件もいらない。
そうでなくては、変だろ?

特に「正しさ」。
これに「こだわる」と自他に苦しみを招く。
「正しさ」は理屈で説こうとする。
「理」は融通無碍なモノなのだぜ。
法則は固定されている、という固定概念。
いいかげんに、気づけよなぁ・・・。


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不空・4

2005-09-02 20:48:49 | Weblog

「不空」の元の意味は、
「色即是空」
「この世の実体は空なんだよ」
などと生齧りの理屈を戒める言葉だ。
ほとんどの坊さんを戒める言葉だ。

般若心経はもっと深く解いている。
その後の言葉だ。
「空即是色」
これを「空が実体である」
などと重複した説明をするから間違う。

おっと、ついマジメに書いてしまった。
いつか、水上流解説の般若心経を書いてみたい。
ワシはヒネクレているのだ。
経もヒネクレて、素直に示してある。
だから、相性がいい・・・。

「空も実体も乱交パーティだ」
「空だと思ったら、空じゃないぞ」
そういう意味だ。
ヒネクレているだろ?
これは、深い生き方を示した言葉だぜ。

「オトコと思ったら、オトコじゃない」
や~ねぇ、アタシ、心はオンナよ。
「政治家だと思ったら、政治家じゃない」
政治を商売にする、商人でございます。
「賢いと思ったら、・・・・」
そういえば、賢人サミットとかあったなぁ。
顔の厚さが・・・素晴らしい!

「不空」
「本質はいいかげんだぁ」
ワシ流の表現なら、こうなる。
本質が見えた、と思ったら、それは真実じゃない。
本質は、いつでもフニャフニャとしているものだ。
(おっ~と・・・ワシのナニの事ではないぞ。
ぜったい、ぜったい、違うもん・・・
と、と、時々は、実体になるもん・・・)

精神世界を齧ると「空」に当たる。
犬だって棒に当たるのだ。
そんなに大した事じゃないのに。
目が覚めたような錯覚をする。
そして確信してしまう。
「この世の仕組みは空だ!」

「確信」と「空」は夫婦になれない。
まして一体にはなれない。
ここが宗教の間違いやすい解釈だ。
「禅」は「冥想」だ。
宗教に関係しても宗教ではない。
(この説明も・・・メンドウだからパス!)


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不空・3

2005-09-01 14:22:46 | Weblog

「不空」の元の意味は、
「色即是空」
「この世の実体は空なんだよ」
などと生齧りの理屈を戒める言葉だ。
ほとんどの坊さんを戒める言葉だ。

般若心経はもっと深く解いている。
その後の言葉だ。
「空即是色」
これを「空が実体である」
などと重複した説明をするから間違う。

おっと、ついマジメに書いてしまった。
いつか、水上流解説の般若心経を書いてみたい。
ワシはヒネクレているのだ。
経もヒネクレて、素直に示してある。
だから、相性がいい・・・。

「空も実体も乱交パーティだ」
「空だと思ったら、空じゃないぞ」
そういう意味だ。
ヒネクレているだろ?
これは、深い生き方を示した言葉だぜ。

「オトコと思ったら、オトコじゃない」
や~ねぇ、アタシ、心はオンナよ。
「政治家だと思ったら、政治家じゃない」
政治を商売にする、商人でございます。
「賢いと思ったら、・・・・」
そういえば、賢人サミットとかあったなぁ。
顔の厚さが・・・素晴らしい!

「不空」
「本質はいいかげんだぁ」
ワシ流の表現なら、こうなる。
本質が見えた、と思ったら、それは真実じゃない。
本質は、いつでもフニャフニャとしているものだ。
(おっ~と・・・ワシのナニの事ではないぞ。
ぜったい、ぜったい、違うもん・・・
と、と、時々は、実体になるもん・・・)

精神世界を齧ると「空」に当たる。
犬だって棒に当たるのだ。
そんなに大した事じゃないのに。
目が覚めたような錯覚をする。
そして確信してしまう。
「この世の仕組みは空だ!」

「確信」と「空」は夫婦になれない。
まして一体にはなれない。
ここが宗教の間違いやすい解釈だ。
「禅」は「冥想」だ。
宗教に関係しても宗教ではない。
(この説明も・・・メンドウだからパス!)


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