この世の法則がある。
多分、あるだろう。
黄金律もあるかもしれない。
いろいろな法則もある。
あるには・・・あるけど・・・。
法則がある事が判っても、理解したとはいえない。
一部を理解しても、充分でない。
法則には範囲が付きものだ。
範囲と法則はセットで売られている。
範囲が広いと、範囲外を想像できない。
つまり、法則は絶対ではない。
「理解」
「理」は法則の意だ。
「解」は解放の意だ。
法則を理解したと言いながら、
法則に縛られているのが現状だ。
理解したら、法則は無くなる。
無くならないけど、手から放れる。
法則に縛られなくなる。
法則を振り回している時は、理解していない。
こんなの、当たり前だろ?
当たり前が判らない人用に示した言葉。
それが禅語だ。
(それなら、もっと判りやすくしろよなぁ)
「不空」
「法則に縛られたら、法則が活かせない」
そういう戒めだ。
生齧りで、聞き齧りで、半齧りの言葉。
沢山、沢山あるよね。
何処からかの丸投げ引用。
誰かの受け売り。
消化してないから、自分の言葉じゃない。
(う~m・・・耳が痛いぜ・・・)
法則を如何に解放していくか。
それが、この世の仕組みを解く鍵となる。
解放した範囲は自由が増す。
放せば、広がってしまうのだ。
ワシは「氣」のプロを自覚している。
プロとして未熟でもシロウトとは別次元にいる。
その一つが法則を解放し続ける事だ。
だから理屈屋のシロウトと同じ土俵に上がれない。
ゴメンネ。ワシはプロなんだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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