水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

不空・8

2005-09-06 18:09:46 | Weblog

ワシにとって、この戒め言葉は大きい。
天上天下唯我独善を自認するワシだ。
つい、これでいい!と思ってしまう。
それではプロ失格だ。

プロにはいろいろな条件がある。
それらを乗り越えても、止まったら落ちる。
解放し続けている間だけが、プロだ。
流動している間だけが、プロだ。

プロの世界には無限の階段がある。
シロウトの坂道とは違う。
プロだから厳しいのは当たり前だ。
プロだから「やわらかい」のは当たり前だ。
そして、プロだから「いいかげん」が使える。

余計な文章を書いてしまった・・・。
プロはこういう事もあまり書かないものだ。
ワシはプロだが、未熟なプロなんだ。
多分、この先も未熟なプロでいる。
いつまでも、未熟を自覚するプロでいる。
それが「不空」に込められている。

留まってしまったモノがいる。
自縛霊、浮遊霊たちだ。
肉体の無い霊を「オバケさん」。
肉体の有る霊を「人間」という。
ある意味、どちらも大した違いは無い。

問題は肉体の有無ではない。
留まると幸せでないのだ。
苦しみがあり、それを自他に向ける。
闇は止まった時から始まるものだ。

法則を知る。
その時は明るい。
しかし、法則に縛られると闇が始まる。
「空は不空」

法則は「いいかげん」という使い方で活きる。
法則が解ける(融ける)からだ。
マジメに取り組むと闇に入る。
そして、争いを始める。

そろそろ、気づこうぜ。
受け売りの法則は役に立たない。
法則は解放する為にあるものだ。
霊も(人間も)解放する為にいる。

解放すると、解放されている。
この世の仕組みはヒネクレている。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不空・7

2005-09-06 14:47:00 | Weblog

この世の法則がある。
多分、あるだろう。
黄金律もあるかもしれない。
いろいろな法則もある。
あるには・・・あるけど・・・。

法則がある事が判っても、理解したとはいえない。
一部を理解しても、充分でない。
法則には範囲が付きものだ。
範囲と法則はセットで売られている。
範囲が広いと、範囲外を想像できない。
つまり、法則は絶対ではない。

「理解」
「理」は法則の意だ。
「解」は解放の意だ。
法則を理解したと言いながら、
法則に縛られているのが現状だ。

理解したら、法則は無くなる。
無くならないけど、手から放れる。
法則に縛られなくなる。
法則を振り回している時は、理解していない。
こんなの、当たり前だろ?

当たり前が判らない人用に示した言葉。
それが禅語だ。
(それなら、もっと判りやすくしろよなぁ)
「不空」
「法則に縛られたら、法則が活かせない」
そういう戒めだ。

生齧りで、聞き齧りで、半齧りの言葉。
沢山、沢山あるよね。
何処からかの丸投げ引用。
誰かの受け売り。
消化してないから、自分の言葉じゃない。
(う~m・・・耳が痛いぜ・・・)

法則を如何に解放していくか。
それが、この世の仕組みを解く鍵となる。
解放した範囲は自由が増す。
放せば、広がってしまうのだ。

ワシは「氣」のプロを自覚している。
プロとして未熟でもシロウトとは別次元にいる。
その一つが法則を解放し続ける事だ。
だから理屈屋のシロウトと同じ土俵に上がれない。
ゴメンネ。ワシはプロなんだ。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする