「不」をどう訳すか?
「非」ならば「あらず」だ。
「○○じゃないかも」
ワシなら、こう訳す。
「不マジメ」なら、
マジメじゃないかも・・・。
そういう「やわらか」な言葉とする。
「不幸」なら、
幸せじゃないかも・・・。
無理に「苦しみ」を押し付けなくていい。
マジメになる時もある。
幸せにもなれる。
固定や確定はしてないぞ。
それが「不」だと思う。
否定の決定ではないのだ。
「不良」「不良品」
ワシのことだ。
だから、ワシには未来がある。
「良」を目指すわけではないが「良」の時もある。
でも「良」だけじゃ嫌だ。
「変」や「番外」とも付き合いたい。
ワシは「良」より「不良」でいたい。
生きているんだ。
いろいろな体験をしたい。
イロイロな経験もいいなぁ。
それが生きている証だ。
生きているんだ。
望まなくても体験する。
いろいろな経験をしてしまう。
苦しみや辛さや悲しみがある。
勝手に体験させられる。
それが生きている証だ。
良や正や善や高だけに価値を付ける。
すると余計な苦しみを増大させる。
良や正だけに偏る倫理観は苦しみを創るのだ。
良や正を主張すると争いを創るのだ。
良や正にだけ価値をつける社会。
多くの人に苦しみを押し付ける社会だ。
ブッちゃん(仏陀)はそれを見抜いた。
そして「中道」という言葉を使った。
気取りすぎだよ、ブッちゃんは。
解り難いだろ。
「中」を「中」と訳してしまう。
それでは真意は伝わらない。
ワシなら
「道は、いいかげんに歩け」という。
解りやすいだろ。
これが「不空」に通じる言葉だ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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