水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

異との遭遇・2

2005-04-15 22:02:17 | Weblog

ワシは十代の終わりに「精神世界」に触れた。
とてもアヤシイ世界だ。
今は「アヤシイ」と「当たり前」が多少は区別つくが、
自分が無知だと気づく前は区別が出来ない。
この世の仕組みはヒネクレている。
自分が無知・アホだと知ったら、少しは目が見える。

そういう世界に行き来していると「奇」と遭遇する。
ワシは母方の祖母の影響で免疫力があったのが幸いした。
祖母は特殊な能力を自然体で使っていたのだと思う。
それでも、スゴイ事を体験した、と勘違いしがちだ。
神秘体験なんて言葉で包むとアブナイ・・・。
(そんなのに惹かれて狂団に入る人達がいたなぁ・・・)

後年、この道に入るキッカケとなった生駒山。
故御師匠様の毎日、毎回の「奇跡」を見ていたら、
「奇跡は日常」と思えるようになった。
こちらは「奇」でなく「当たり前」だった。
奇跡と見えたのは、
ワシが「無知」であり「未知」だったからだ。

龍村師匠と初めて言葉を交わしたのも、ある出来事だった。
詳しい話は書かないが、朝のとてもありえない体験だった。
龍村師匠はニコニコと笑い、
「まぁ、そういうこともあるわなぁ」と言った。
あまりに軽く、肩透かしをくったような気がした。

その真意が理解できるのは、更に後年だ。
龍村道場に通って、いろいろな学びをした。
当然、龍村師匠も奇体験をしている。
龍村師匠の師匠、故沖先生に「あれは何でしょう?」と尋ねた。
「そういう事に惑わされない心が大切だ!」
故沖先生の奇体験は更に多かったろうが、
何が大切かを見失う事はなかった。

精神世界は落とし穴のワナがある。
試験のようなものだが、落ちると本当に「落ちる」
現状維持にならないのだ。
手は二つ。試験を放棄するか、クリアするかだ。
解答はいつも同じ「とらわれない・惑わされない」
答えはシンプルでも実行は難しいぞ。
特殊な体験と感覚だから心を奪われやすい。

「奇との遭遇」には
「まぁ、そういうこともあるわなぁ・・・ハハハ」
ワシも、今ならそれだけだ。
あれこれ、氣を向けない意味がわかるからだ。
今回のテーマは「奇」ではなく「異」だ。
師匠達のお陰で「奇」と「異」の違いは判る。

昔「未知との遭遇」という映画があった。
宇宙人を登場させていたが、意識の「未知」を描いた。
「未知」との対応法を描いた作品だと思う。
人が「未知」に出会った時、どう行動するか?
それによって「未来(明日)」が開ける・・・かも。

宮崎駿監督のアニメの多くは、この部分が底辺にある。
主人公達は「未知」や「異」を素直に受け入れる。
「異との遭遇」を、日常へ溶け込ました。
トトロと友達になり、カオナシに優しくし、
オームを守り、カルシファーとも仲良くする。

「異との遭遇」で主人公達の「生命力」はどうなった?
心の「やわらぎ」がどんな力を生むか、
あの作品は教えてくれている。
激しさではなく、力強さでもない。
生命の活性化は「やわらかさ」が引き出すようだ。

(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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