ワシが扱っているのは見えないモノだ。
形でなくても、舞やスポーツは見える。
性能も客観的に表す事が出来る。
だが「氣」は客観的ではない。
現れる事もあるが、気まぐれだ。
こういう「いいかげん」なヤツは価値が判り難い。
価値はある。
かなり・・・ある・・・と思う・・・。
時には、とてつもなく、あるんだけどねぇ・・・。
でもねぇ・・・判り難いよねぇ・・・。
見えないモノの価値。
値段は更に付け難い。
基準が無いからだ。
例えば・・・「愛情」。
値段は付けられない・・・。
愛情に値段は付けられないが、
愛情モドキなら、金で買える。
モドキとホンモノの違いが判断できる人は少ない。
ならば、モドキでも気にしなくていい。
プロスポーツ選手、タレント、IT企業家。
遠慮しないで、愛情を売っていいぞ。
ワシがオナゴなら、バンバン売る。
だがワシはモドキを買うほど人間が出来てない。
仮に買えても、ワシはそれほどヒマじゃない。
「氣」も本来は値段が無い。
値段は無いが、価値は有る。
この仕事の初期の頃。
ワシは値段を付けられなかった。
価値がとても有る事は知っていた。
値段が無い事も知っていた。
ワシも時々は純情(ウブ)になるのだ。
建前と本音と本来と応用とが混同していた。
活用という意味と手段が判らなかった。
今も時々は純情になる・・・。
混同と混乱と淫乱は得意な方だ・・・。
純情と淫乱は兄弟姉妹だぜ。
ワシは貧乏だ。
貧乏の悪い癖がある。
自分の貨幣基準で値段を決める。
価値が充分あっても値段をキチンと付けられない。
価値と自分の財布の状態を混同していた。
ワシも人の子だなぁ・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」