井戸書店で『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』の横に陳列している、『英語の害毒』も英語教育の問題点を提起しています。著者の永井氏はエスキモー語研究の言語学者。自らがアラスカで見聞してきた、エスキモーの人達の自らの言葉を捨てて、英語一辺の生き方に疑問を抱いたことが本書の原点になっています。
まずは、日本人の英語に対する偏見と英語必要性の環境の変化について。
・グローバル経済の進展と共に、英語習得が必須と現代日本人は考えていますが、一部の大企業が社内での英語公用語化で騒いでいるだけで、他の企業は新卒社会人に対して語学力は重視していない。
・語学能力には「会話言語能力」と「学習言語能力」に二分され、会話主体の教育を受けても、抽象的な内容を伝達・理解できる「学習言語能力」が身に付かなければ、国際人としては役に立たない。
・アメリカの世界での覇権が弱体化している中、将来は英語が国際語の第一から転落するであろう。
・白人英米人のネイティブの英語を話す人は世界ではごく少数であり、会話だけであれば、非ネイティブが主流であり、今後、世界の中心となるアジア英語が本流になる。
・機械翻訳の能力が向上している。
しかしながら、日本の英語教育が会話中心に移行し、英米語に本腰を入れているのは、英米国の政策によるところが大きく、両国は英語を国際語の筆頭に据えるために様々な戦略で自国への利益、そして、他国民の思考方法を英米国向きにするなどの影響力を維持するのに躍起です。もう既にアメリカの手下の国民に成り下がっているかもしれませんが、英語の習得によって、物事に対する考え方をアメリカ流に曲げる可能性が多くなることを期していると断じています。
ではどうすればよいか?ここでも重要視されるのは「多様性」。環境問題と同じです。英語は英米語だけでなく、多くの国の人達が話すが、お国訛りの英語でも会話は問題ない。それにビジネスではメールが主流のため、会話力より学習能力が大切になるので、英語教育も従来の教育方法で十分と述べられています。小学校低学年でも英語の授業が行われる予定ですが、母語である日本語も不十分な力しか持たないまま、会話主体の英語を学ぶことで、どっちつかずになる可能性の方が高いのではないでしょうか?国民における母語学習を徹底的にすることこそ本筋だと思います。
『英語の害毒』(永井忠孝著、新潮新書、本体価格720円)