アバウトなつぶやき

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ダリ展

2016年09月03日 | かんしょう
新学期の始まった9/1、京都市美術館で開催中のダリ展を観てきました。

私は若いころは熱狂的にシュルレアリスムを追っかけてた時期があり、もちろんその対象にはダリがいました。
ダリが近代美術にハマったきっかけと言って過言ではありません。

▲記憶の固執(1931年) 中学生の時に教科書で見たキリコの形而上絵画とこの絵がそもそもの発端
本当に、シュールなものが好きだったんですよね、昔は。
理解できなくても、それに触れている間は自分の知的欲求が満たされている気分になって生きていることの実感が伴っている気がしたものです。
でも、家庭を持って子どもを育てたせいか生活により生きている実感が得られるようになってきた今。年くったせいもあり思索を要する絵画から離れがちになってきたワタクシとしては、ダリは気合を入れて見る対象ではなくなってきていました。
そのせいで今回京都でダリ展を開催すると聞いてもわざわざ足を運ぶまでもないかな、と思っていたのですが、気が変わったのはこちら↓のリーフレットのおかげ
 
先月のルノワール展を観に行った時においてあった国立新美術館のものなんですが、すごくダリっぽいデザインでイイ!
スキャンして加工もしてない画像なのでわかりづらいですが、これ、紙自体にうにゃうにゃとしたカットが施されています。で、そのカットが額縁のようにシンメトリーではなく不定形な形をしていてすごくダリらしい。表側の茶色く見えるベース部分も実物はブロンズがかったゴールドのインクでインパクトがあるのです。
マンガもCDもジャケ買いすることはほとんどない私ですが、このリーフレットを見たらすごくダリ展を見たくなりました。


▲京都市美術館のリーフレットは普通にA4定型。同じ展覧会でも巡回先で違いが結構あるんだと実感。

さて、展覧会の内容ですが回顧展ということもありダリの生涯を通じた活動内容を紹介していてとても幅広い展示になっています。
ダリ作品を観ることやダリ自身の事を知りたい人ならとても興味深い展示だと思います。
ただ、今の私にとってはちょっと物足らない展示で非常に残念でした。(このブログは私の日記なので主観です)
何より、私の一番好きなダリのモチーフである「燃えるキリン」が全然いなかった(泣)
いや、正確に言えば「燃えるキリン」は『シュルレアリスム的闘牛』のエッチングの中の1枚にいるにはいたんですが、首から上のキリンが
視線あちこち向けてよだれ垂らしてる絵で、「私の好きなクールで緊張感のあるキリンじゃなく、頭の悪い牛にしか見えん」と思ってしまった。
ダリの「活躍」がクローズアップされている展覧会な気がして、私向きではなかったかな。ダリの絵は同じモチーフが繰り返し使われているため、そこに焦点を当てて紹介する展覧会をやってくれたらちょっと嬉しい。(実際に見たら飽きるかな…)

同じモチーフといえばダリは縄跳びをする少女をよく描きますが、この少女が不思議の国のアリスの挿絵として使われていたのを今回初めて知りました。アリスとあの少女を同一として描くって、ダリって肝が据わってる。っていうか、芸術家って独自の解釈を堂々と発表できるからこそ芸術家なのかも。

▲縄跳びをする少女のいる風景(1936年)
私、キリコの「通りの神秘と憂鬱」はもちろん、小川未明の小説「金の輪」も好き。だからこれに神秘性を感じるのは言うまでもなく、不思議の国のアリスの「不思議」と呼応しているのは認めるけど、、、個性強すぎ。

あとはリトグラフ『ガラの晩餐』シリーズはとても面白かった。
テーマがはっきりしていてインパクトがあり、書き込みも細かくてデザインとしてのバランスも素晴らしい。そしてちゃんとグロテスクなのもダリらしいと感じました。

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ダリ展を見てきたと職場で言ったらまっちゃんに「ダリって怖くないですか?」と聞かれました。
若いころの自分はとても不安定で、そんな時に不安にさせる絵を見ると「自分の持っている不安」が「絵を見ている不安」に置き換えられる気がして逆に落ち着いた。失恋した時に悲しい歌を聴くと慰められるのと同じ感じかな~、と言ったらとても納得されました。
彼女は絵を描く人なので、自分が描いたものの中で不気味な感じのする絵は相手を不快にさせる気がして発表せずにいたとか。けれど、描く時というのはそういう絵ほど集中して入り込んでしまうらしい。
不安な絵っていうのもちゃんと需要があるんだ、と思えたらしく今度から発表してくれそう。今回の展覧会を見た結果として、一番良かったことって実はこれかもしれない。

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