アバウトなつぶやき

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ユトリロ回顧展

2017年02月02日 | かんしょう
松坂屋美術館で開催中のユトリロ回顧展を観てきました。

▲チラシを飾る《可愛い聖体拝受者》は「白の時代」の代表作


私は特にユトリロに興味を持って観たことが無く、叙情的な建物が並ぶ風景を描く人として捉えていました。
今回足を運んだのは回顧展ということで画家の全体像を確認できるかも、と思ったと同時に、少し前にルノワール展でユトリロの母親のヴァラドンがモデルの「都会のダンス」を観たことでユトリロの人物像に興味がわいたこともありました。

▲ピエール=オーギュスト・ルノワール《都会のダンス》
 モデルは当時18才のユトリロの母、シュザンヌ・ヴァラドン。この時ユトリロを身籠もっていたためルノワールが父親という説もあるけど、複数の人と付き合っていたので真偽は不明。


で、私の感想を一言でまとめると「ユトリロって不幸な人だったんだ、知らなかった」でした。
エコール・ド・パリを代表する画家なので美術愛好家ならよく知ってることかも知れないけど、私は知らなかったんです。ユトリロの生い立ちも画業も。

母親の愛情が無いとは言わないけれど、恋多き母の元で育ち、アルコールに溺れ奇行に走り、ある時期友人は母親と結婚し、画家として成功するもその友人と母に報酬は搾取され、結婚相手は母親の薦めた女性。
風景画がほとんどで人物画は無く、初期の作品の街並みに人影はありません。風景に人物が描かれるようになっても、まるでLEGOの人形のように単なる点景でしかなく、人間に対しての愛情や信頼を感じさせる絵はまったくありませんでした。
ただ、結婚相手の女性リュシーとは知り合ってから10年後に結婚していますが(知り合った当時はまだご主人が存命だった)、この夫婦と知り合ってから花の絵を描くようになった、というエピソードが紹介されていたので、リュシーに対する愛情が無かったとは思いたくありません。
「白の時代」の後「色彩の時代」と呼ばれる作風に変化していきますが、それを経て40~50代になると絵に生活感を感じ取れるようになってくる気がしました。人物が点景なのに変わりはないのですが、配置が点在していたり門が開いていたりして動きがあるものが増えてくるようでした。晩年は、多少なりとも穏やかだったと思いたい、、、でないとなんか悲しい気持ちになっちゃう。


ユトリロは「白の時代」と呼ばれる20代~30代初の作品の評価が高い、というのはよく分かります。寂しいけれど美しい街や建物の佇まいがあるからです。

エドモン・ジャルーという評論家が「フェルメールがデフルトを、ホイッスラーがロンドンを、ユトリロがパリを有名にした」と言うような言葉を残しています。
実際、ユトリロに描かれるまでサン=ピエール教会やサクレ=クール寺院のある辺りは今のように美しいとされる地域ではなかったそうです。
ユトリロ以降、モンマルトル一帯がパリの中でも美しい街並みと称されるようになっていったとか。

ユトリロは同じ場所を繰り返し描いていますが、居酒屋風の酒場になったりレストランになったりした「ラパン・アジル」のある場所もそのひとつ。

▲1910-12年頃のラパン・アジル(ユトリロ27-29才頃)

▲1936-38年頃のラパン・アジル(ユトリロ53-55才頃)
この構図、好きです。この絵だけを比べても、晩年の方がより(雪の風景とは言え)優しい気がします。

展示数は80点ですが、ユトリロ-ヴァラドン委員会のセドリック・パイエ氏監修という回顧展。少なからずユトリロの人物像に迫っているのではないでしょうか。
現在、名古屋は「ゴッホとゴーギャン展」の方が注目されていてこの展覧会はあまり紹介されていないのですが、やはり大御所。平日なのに結構な入場者でした。

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