ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

二宮金次郎がいた!

2006-11-17 00:17:02 | Weblog


町内の小学校には、まだ二宮金次郎さんがいました。
ジャイアンがそれを見つけていたく感動しておりまいた。

二宮金次郎さんは、はて、どんな人だか何をした人だか
詳しくは知りません。
薪を背に本を読む姿は勉学に励む鑑の様な人として
小学校などに銅像が作られたのかな?
でも、いち時は、本を読みながら道を歩いたら
交通事故にあうとか何とか、とにかく時代に合わない人になって行き
銅像もあまり見られなくなっていると思います。

本当はどういう意味で時代遅れになったのかは分りません。
蛍の光、窓の雪で勉強する時代ではなくなったということなのでしょうか。

そうそう、昔は教育が人を平等にしたけど
今は教育が人に格差をつけてるのかな???

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6 コメント

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時代を見てきた銅像ですね (khagy)
2006-11-17 21:53:21
二宮金次郎さんは、戦前戦後の学校をずっと見てきて、今の学校をどう見ているのでしょうね。いじめ問題も教育基本法の改正も。
時の政治権力が金次郎さんを道徳教育に利用しようがしまいが、薪を背負って、黙々と勉強を続けているのですねえ。
江戸時代の貧農の子でも、たくさん本手に入ったかなあ。
なんだか本当の二宮金次郎さんは、政治に利用されて、あんなの俺じゃないと言っているような気がするなあ。
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本を読みながら歩くと (TAGA)
2006-11-19 14:50:35
本を読みながら歩くと交通事故にあうからダメ、ってな発想は凄いですね。笑えます。
時代遅れになったというのは、ある意味、勉強ばかりしても...っていう一種のあきらめのような、世の中の人々の迷いが感じられます。
今、私も自分の子供たちに「勉強しろ!」って言わないわけじゃないけれど、ただ勉強すればいいってことではなく、「何を勉強するか?」「なんのために勉強するか?」ということに明確に答えられる大人がどれだけいるでしょうか?本当に、勉強して自分がやりたいことがあるとすれば(自分のやりたいことのために勉強するのだとすれば)寸暇を惜しんで勉強することでしょう。
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純粋な知識欲 (bikki)
2006-11-19 22:52:53
こんばんは。
二宮金次郎、実際は何をした人だったんでしょうね。
寸暇を惜しんで勉学に励んだ言い伝えとか、
そのような記憶しかないですよね。
類まれな知識欲の固まりだったのではないかと思います。
勉学に励み、専門知識を得たいというのは、
人間の自然な欲求の一変形かもしれません。
「教育」という言葉がもうそもそも?の時代ですね。
教え育てる大人の世界が混乱している現代、普通に育っていけるのでしょうか?
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khagyさん (ふるやのもり)
2006-11-19 22:54:31
そうですね~~。
二宮金次郎さんは今の子供達を見て
どう思うんでしょうね。
知識だけの勉強ばかりしている子供達を。
昔は学問を志す者は徳の高さも求められたのだと思うのですが
今は勉強さえできれば性格悪くてもOKみたいな
感じありますよね~。
二宮金次郎さんはきっと徳も高い人だったのだと思います。


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笑えるけど (ふるやのもり)
2006-11-19 23:09:23
TAGAさん
笑えるけど、七十年代に本当に言われていた事です。
すごく変な可笑しい事でも
大真面目に語られていたのですね。
そういうことって、たまにありますよね。
何てバカなこと言ってたんだろうなって
思いますよね。

今の子供達は興味もないことまで
無理やり覚えさせられて、
知識を得る事はもはや苦痛でしかないとこまで
行っちゃってる感じしますよね。
知識を得る喜び、知る事の楽しさなんて
感じた事あるんだろーーか、学校の勉強で。
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bikkiさん (ふるやのもり)
2006-11-19 23:20:44
そうですよね~~。
教え育てる人がしっかりしてないいんだもの
(親も教師も地域の人も)
でも、みんな社会の変化についていけないんですよね。
誰もが経験した事のない変な時代に生きてるんですよ~~~私達も子供も。

二宮金次郎さんは・・・・えっと
テレビで少し見たのは飢饉を救った人?
志のある人。
う~ん、ちょっと調べなくちゃですね
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