6月1日から私の住む町ではアワビ猟が解禁になりました。
町の漁師さんたちの稼ぎ時です。
だいたい、口開けの日の水揚げが一番多いんですよね、当たり前か。

↑丸で囲んだ黒い点が、ウエットスーツを着た漁師さんの頭です。
私はこの町に来て最初の夏、ロボットみたいな人が町を歩いているので
ビックリしたことがあります。
黒いウエットスーツを着た漁師さんだったのですね、今思うと。
私の町ではこのスーツのことを「カッパ」と呼びます。
今週の木曜日、NHKの「地球データマップ」という番組を見ました。
「魚が消えていく」という番組タイトルでした。
その中で「コモンズの悲劇」というものに興味を持ちました。
「コモンズ」とは、みんなの共有財産のことで、ともに大切に利用していくべき共有の資源です。
しかし「自分だけ儲かれば・・・」と考えて他人よりたくさんとって「ぬけがけ」しようとすると、共有の資源が枯渇してしまいます。
これを「コモンズの悲劇」と呼びました。
昔から日本では山や海を「入会地」として共同で管理し、資源を守る習慣がありました。自然の恵みを「コモンズ」として考え、「コモンズの悲劇」をさけるようにすることは、環境問題を考える上で大切なことです。
以上、「地球データマップ」のホームページより抜粋しました。
NHK「地球データマップ」
http://www.nhk.or.jp/datamap/ja/frame.html
正に、コモンズの悲劇が私の近所でもおこりつつあります。
「海を共同で管理し資源を守る習慣」があったとは思えません。
魚は乱獲しても乱獲しても、また復活する物としてきました。
実際、昔は魚が沢山獲れたのです。
ですから資源は守る必要などなく、海に出れば魚はいくらでもいたのです。
でも、さすがに今は違います。
特にこのアワビ猟は水揚げ量がぐっと減っていると聞きます。
けれど、自分だけ儲かればと考えて他人よりたくさんとって「ぬけがけ」しようとする人が絶えないと言うのです。
アワビは獲り尽くされてしまうのではないかと皆不安を持っているようですが
でも自分だけはと思ってしまうのですね。
そういう話を耳にしました。
皆が「コモンズの悲劇」をもっと考えてくれたら良いのになぁ
と思いました。
いつまでも、いつまでも豊かな海の幸がある町であってもらいたいです。
町の漁師さんたちの稼ぎ時です。
だいたい、口開けの日の水揚げが一番多いんですよね、当たり前か。

↑丸で囲んだ黒い点が、ウエットスーツを着た漁師さんの頭です。
私はこの町に来て最初の夏、ロボットみたいな人が町を歩いているので
ビックリしたことがあります。
黒いウエットスーツを着た漁師さんだったのですね、今思うと。
私の町ではこのスーツのことを「カッパ」と呼びます。
今週の木曜日、NHKの「地球データマップ」という番組を見ました。
「魚が消えていく」という番組タイトルでした。
その中で「コモンズの悲劇」というものに興味を持ちました。
「コモンズ」とは、みんなの共有財産のことで、ともに大切に利用していくべき共有の資源です。
しかし「自分だけ儲かれば・・・」と考えて他人よりたくさんとって「ぬけがけ」しようとすると、共有の資源が枯渇してしまいます。
これを「コモンズの悲劇」と呼びました。
昔から日本では山や海を「入会地」として共同で管理し、資源を守る習慣がありました。自然の恵みを「コモンズ」として考え、「コモンズの悲劇」をさけるようにすることは、環境問題を考える上で大切なことです。
以上、「地球データマップ」のホームページより抜粋しました。
NHK「地球データマップ」
http://www.nhk.or.jp/datamap/ja/frame.html
正に、コモンズの悲劇が私の近所でもおこりつつあります。
「海を共同で管理し資源を守る習慣」があったとは思えません。
魚は乱獲しても乱獲しても、また復活する物としてきました。
実際、昔は魚が沢山獲れたのです。
ですから資源は守る必要などなく、海に出れば魚はいくらでもいたのです。
でも、さすがに今は違います。
特にこのアワビ猟は水揚げ量がぐっと減っていると聞きます。
けれど、自分だけ儲かればと考えて他人よりたくさんとって「ぬけがけ」しようとする人が絶えないと言うのです。
アワビは獲り尽くされてしまうのではないかと皆不安を持っているようですが
でも自分だけはと思ってしまうのですね。
そういう話を耳にしました。
皆が「コモンズの悲劇」をもっと考えてくれたら良いのになぁ
と思いました。
いつまでも、いつまでも豊かな海の幸がある町であってもらいたいです。
何だかよその国の文化が入ってきて
間違って理解した自由っていうか、
自己中心的な人が増えてきましたよね。
地域の人と人の繋がりも、うっとおしいもの
として理解されているようですし。
町内でも、地域力のある昔ながらのご近所の付き合い
の濃い所では
漁でも皆の意気が揃っていてアワビを減らさないように
気をつけているので
結果、アワビの漁獲量も一番多いようです。
海の幸も山の幸も都会の人々が欲しがるのは
当然だと思います。
けど、いくらお金になるからと言って
回復できないほどに取り尽すのは
いけないですよね~。
フクジュソウを見に行った山でガイドさんが
もし山で舞茸だったか何茸だったか忘れたけど
見つけた場合全部取ってはいけません
残してください
根こそぎにしないでください
もう生えなくなります
確か・・そう言っていました。
山を知らない人が山に来て根こそぎにしていくようですね。
多分
アワビを取りすぎたから減ったんだ
皆が取らなきゃ損みたいに取るからだ
(自分はいいけど)
誰かが取るんだったら俺も取る
みたいな感じでしょうか?
これではいけないと誰もが思っているのでしょうが。
だからまた輪を掛けて採取される・・・なんて事も、
コモンズの悲劇には含まれます。
共有財産だからこそ、
誰よりも先に自分の物にしたくなるんですね・・・
実は、コモンズの悲劇ってもっともっと身近に起きてるんです。
例えば「ご近所付き合い」
これも、元々は「共有の財産」であったのに
近年では「隣は何をする人ぞ?」と言われるように
共有の財産よりも「自分優先」に変わってきてるんですね。
いや・・・もしかすると、
ご近所付き合いと言う「コモンズ」が成立していたら・・・
お互いがお互いを協力して行く空間が保てていたら、
もしかしたら、
こういった漁などのコモンズも解消されるのかもしれませんね。
漁の時間も九時半から二時半までと固く守られているように思います。
けれど、アワビが少なくなった事の原因については、
とりすぎたからと皆思っている様です。
この規制でもまだアワビが回復するにはゆるすぎると言う事なのでしょうか。
まわりの漁場を見回しても、規制の強い地区はアワビの水揚げが多く、
ゆるい地区は少ないようです。
ゆるい地区では規定の大きさに満たないものまでとっているのを見てみぬふりをしているようです。
そういう所ではやはり減って行っているようです。
地区地区の意識の問題でしょうか。
その土地で取れるものは、本来そこに住む人たちに与えられた自然の恵みだと考えれば、
必要なだけの収穫量を守るのが本来の姿なんでしょう。
でも高いお金を出しても食べたい人がいれば、
ルールを守らず根こそぎかっさらってゆく業者もいますね。
海や山にはセキュリティシステムがないから・・・・。う~む、困ったもんです。
先日、うっかり日記に銀座で産地直送の山菜のこと書いたばかりでした。ふるやのもりさんの記事を読んで考え直さなくてはならない問題だと痛感!
自分と同じことを他の人も考える。『自分が多く採る』=『みんなが多く採る』なんですよね
みんなで考えなければならない問題なんだけど、当事者はどのように考えているんでしょうね。