お久しぶりです、4年目元主務の船山です。
引退ブログを書こうとずっと思っていたのですが...3年目をはじめとした新シーズンへの意気込みや、新人戦に関するブログが書かれ始めたので書くタイミングを失ってしまっておりました。
新人戦も終わり、現役部員の邪魔にならないタイミングになったかと思うので引退ブログを書かせていただいています。
最後の1年は主務をやったり、いろいろと忙しいことやつらいこともありましたが...なんだかんだ一番覚えていることはcoxのことです。
特に記憶に残っていることを1年の時から書かせてもらおうと思います。
僕のcoxの歴史として、自分の自信のなさをどうするかが大変でした。
自分のcoxを認めてあげられなかったので、本気の漕手と乗るのが申し訳ないという気持ちがずっとありました。
【1年目】
もともと僕は漕手として部活に入部し、1年生の夏にcoxへ転向しました。
僕もcox自体に興味はありましたが、転向したきっかけとしては新人戦でcoxが足りないからだったような気がします。
同期にはもともとcox志望で地崎(水産)と奥田(農女子)が入部しており、そんな2人に対して自分は消極的な理由でcoxをしているような気がしていて…胸を張ってcoxをできていませんでした。
ここですでにネガティブ思考でしたね。
そんな、コックスを初めて数か月というところで最大といってもいい山場がやってきました。
9月末の全道選手権のことです。付きフォアで出場することになったのですが…クルーが全員1個上の先輩方で
S横山敦紀(水産2年)
3野田笙太(農2年)
2上野彰士(経2年)
B岩崎陽平(薬2年)
全員、その年のインカレで対校8+のクルーでした。
ぶっちゃけ、怖すぎました…それまでほとんどしゃべったこと無い先輩たちでしたし、迫力あるメンバーでガクブルでした。
ついでに初めてのトップcoxでした。ついでで済ましていい内容じゃないです、レースまで1週間しか練習できません。
アツキさんから、「船山は真っ直ぐ進めてくれればいいから」といわれて、ひたすらまっすぐ進むことだけを頑張りました。全然真っ直ぐ進まないけどね、はは…
正直、怖すぎて部活辞めたくなるレベルだったのを覚えています。1週間ずっと、逃げたら楽になるんだろうな~と考えていました。
今となっては、逃げなくて本当に良かったです。あと、先輩たちは話してみるといい人でだいぶ怖さが減りました。
新人戦には2nd8+で出場することになりました。
coxboxが不足していたので毎日大声でコールをしていました。僕は声が通る方だったので最低限のコールはできていたと思いますが...果たして漕手にとって漕ぎやすい船だったのかは疑問が残りますね。
初めてのTTではゴール前に艇を止めてしまう失敗もしたりしました。「まだ終わってない!」と誰かが叫んでゴールしましたが、頭が真っ白になりましたね…漕いでないcoxが明確に足を引っ張ってどうするんだ。
そんなこんなで初めて戸田で舵を取りました。真太郎さんや大平さんといった先輩が乗っていたので、戸田での航行でめっちゃ頼らせてもらいました。心強かったです。
レースは楽しかったと思います。2000mがあっという間でした。
この時の新人戦では、正直に言って「乗せてもらっていた」という表現が似合うcoxだったと思います。
新人戦2nd8+の練習風景
ちなみに、全道選手権,新人戦を経験してもcoxとして自信が持てたかというと、全くでした。
僕がcoxにのることが同じ船に乗る漕手にとってはマイナスになると本気で思っていました…
冬連を挟み、春遠征が開催されるのですが…coxとして参加することになってました。
全体ミーティングで遠征メンバーの発表を見て
「????????????」
本気で嫌でした。行動力が無くて流されて生きてきた僕が、当時主将だった細川さんに「行きたくないです」と直談判しに行ったレベルで行きたくなかったです。
「船山が嫌なのは理解したし、船山の意見も聞くけど来てもらうことは変わらないかな」と言われて、絶望してました。4+2杯じゃなくて8+出せよ!!!とか思ってました。
しかも遠征なので、気が休まる場所もなさそうだなと…死んでしまいますよ?僕の心臓はそんなに強靭じゃないです。砕け散ります。
まるでテスト前日のような気分のまま春休みに突入したのですが、事態が急変したのは春遠征の2週間ほど前だったでしょうか?
この春遠征は2020年3月に予定されていたのですが、この年のこのタイミング、すでに大昔のような気がしますが…「新型コロナウイルス」が流行し始めていました。
コロナウイルスの影響で、春遠征の開催が見送られることになってしまったのです!
先輩の皆さんごめんなさい、内心大喜びしておりました!プレッシャーから解放されて気持ちが軽くなりました。遠征費も浮くしね。
一方で、春遠征がなくなったことを喜んでいる自分は嫌いでした。めんどくさい性格してますね、僕。
結果的に開催されなかった春遠征ですが、春遠征に僕が行けていた未来も見てみたい気がしますね。僕はどんな成長を遂げてくれるのでしょうか?僕は春遠征で頑張れましたか?
【2年目】
自粛、自粛、自粛…
ほぼcoxしてません。気分は楽でした。
そんな中でも「コロナ渦に負けないcoxミーティング」のようなものに参加させてもらいました。
経験豊富な、全国の「本物のcox」たちの貴重な意見を聞くことができました。
艇速への、さまざまアプローチを知りました。乗艇でしか鍛えられないことも多いですが、本当にたくさんの知識をいただけました。
ここでやる気をだして練習をして、自信がついて行ったら良かったのですが…乗艇練習はできていません。
自分の現状と、「本物のcox」との差を感じ、自信はさらに無くなったような気がします。ネガティブすぎんか?
2年生はまともに大艇での練習は数か月しかできず、レースの記憶もほぼ残ってないです。
そんな中、当時4年目coxの藤田さんの引退、同期のcox地崎が水産に行ってしまうため退部、奥田はW4×+がなくなるためcox業はほぼ無くなることになり(男子艇には乗らないらしい)
なんと、乗艇練習をまともにできてない僕が、自信のない僕が、いつの間にか最上級生coxになっていました!
あれぇ~?
なんの冗談かと思いました。
後輩のcoxに長坂がいましたが、コロナの影響で経験が足りていません。来年の対校艇が付き艇なら、ほぼ僕が確実に乗る状況になるでしょう。
僕なんかが対校艇に乗る…?
なんの冗談だろうかと思っていました。とても対校艇に乗る漕手と釣り合うcoxではありません。申し訳ないなあ…と
【3年目】
自粛の流れはいまだに続いていました。
東北戦は来年に延期になり、インカレも10月開催となりました。
この年は、予想通り僕が対校coxに乗ることになり、当時4年の上野さん,義忠さん、同期の小長井,大西と付きフォアでした。
全員本当に尊敬している漕手です。少しでもこのクルーにふさわしいcoxになろうと必死でした。
自信のなさは健在で、自信が無いことをごまかして…漕手の気持ちとか考えて勝手に苦しくなったりしました。
いろんなプレッシャーから、本当に苦しい期間でした。
その分、先輩と同期からいろいろなことを教えてもらって、coxとして一番成長した時期だったんじゃないかと思います。
僕はちゃんと対校coxができていたでしょうか?
先輩と同期の晴れ舞台、僕は少しでも力になれたでしょうか?
今では、少しは力になっていたんじゃないかな、と思っています。
インカレを経て自信が付いたか、微妙なところでした。
少しは、付いたんじゃないかな?
さて、4年目の引退で、僕たちが最上級生となるわけですが
僕は主務をやらせてもらうことになりました。
他の人の負担を少しでも減らして、特に同期の漕手にはトレーニングに専念してもらえるようにしようと考えていました。
なので、可能な限り僕だけで仕事をかたずけてやろうとひそかに考えていました。
正しいことではないと思いますが、coxとして自信がない分、そういう形で同期のみんなに貢献したかったわけです。
主務の仕事は結構な仕事量がありましたし、忘れたりすると致命的な問題になる仕事もありました。
僕の前に主務を務めていた和田さん、門野さんへの尊敬の念が深まりました。
冬連の間は主務の仕事に専念していて、この期間でかなり仕事に慣れることができました。
春休みの終わりには、無理やり小規模な春遠征(漕手2人と僕だけ)を1週間だけ開催して、コロナ渦の終わりも見えてきたような気がしました。
春遠征は大変でした。スタッフが僕だけですから…買い出しやエッセン作り、洗濯、OBOGさんとの交流、ひたすらに時間がなかった。
春遠征、阿部と福田のM2×でした。3人で県艇の2階が貸し切りでした!めちゃめちゃ贅沢ですね。
【4年目】
さて、新シーズン開始です。
主務とcoxを両立できるか、とても不安でしたが…何とかなっていた、と思いたいです。
全日本選手権は無しフォアで出場したので、僕の出る幕はありませんでした。正直、ほっとしていました。
商大戦を主管しました。同期に助けてもらいながらも、大部分の仕事は僕一人でできました。
2000mレースができないなどのトラブルはありましたが、無事に終わったと信じています。
大西福田ダブルが、イレギュラーな状況の中でも勝ってくれてよかったです。ありがとう。
いい笑顔です
そのあとの東北戦、大変でした。
仕事を先延ばしにする悪癖が出てしまって、東北戦前1週間は大忙しでしたし、前日に東北大学が茨戸入りした時も案内などが大変でした。
大西と菅野が手伝いに来てくれて、心理的に本当に助けられました。前日は結局20:00まで茨戸にいて、急いで帰ってパンフレットの印刷、寝て起きて東北戦の朝練…司会をしてレースをして司会をして…よくやり切ったと自分を褒めましたね。
後輩たちには是非、適切な仕事分配をして負担を減らして運営してほしいです。頑張ってね!
東北戦のcoxは、自分としてはかなり成長できていたのを感じました。
主務をやったり、4年目で活動する中で最上級生としての自覚と自信が出てきたような気がします。
橋本(男子主将)が選手宣誓で噛みました。たまにいじられてます笑
いろいろなイベントが過ぎ、最後のインカレとなりました。
対校は4+、coxとして乗ることになります。
対校coxに乗るうえで、これまでは自信が本当にありませんでした。
ただ、最後のインカレのcoxだけは、少しだけ胸を張ってcoxに乗れたかなと思います。
最高の漕手4人に恥じないcoxでありたかったので、自分のcoxに自信がないとか、そんな些細なことは気にしないことにしました。
自分の最大限で答えるしかありません。
一緒の船に乗ってくれた4人は、本当に尊敬して、感謝してます。
特に大西,小長井とは一緒に乗る機会が多かったです。僕を成長させてくれてありがとう。
最終的に、インカレで8位を取ることができました。最後のレースは、ほんのちょっとだけレースの全体が見えた気がしました。他の艇の艇速とか、どれくらい余力があるかとか、なんとなくだけど感じました。
インカレはコロナで想定外のことが起きて、部活全体を主務としてみてきた僕にとっては何とも言えない感じになってしまいましたが、インカレ棄権になってしまった人も、少しでも悔いが無く部活を終われたらいいな…と思ってます。
最後は、coxとして自信を持てたのかはいまだにはっきりとわかりませんが
胸をはってcoxをできるようになりました。
ここまで続けてこれて、続けさせてくれて本当に、いろいろな人に感謝です。
少しは、自分のことに自信をもって生きていけるようになった気がします。
ここまで自分語りをたくさんしました。
ちょっとだけ、後輩について書こうと思います。
coxとして後輩の長坂,納谷,倉内にどれくらいのことを教えてあげられたか、正しいcoxの姿を見せてあげることができたのかはわかりません。
長坂は練習ノートにコメントしてくれたり、函館から全学の活動を応援してくれています。水産学部ということで3年生以降はクルーボートに乗れていない彼ですが、他大学との混成クルーでオッ盾に出場したり、ボートを好きでいてくれているようで良かったです。
倉内は、今シーズンcoxをやれているところをあまり見れていないので、先輩らしいアドバイスとかはあまりしてあげられませんでした。
結構気分が浮き沈みしているのを見るので心配していますが、倉内は良い同期,先輩に恵まれているので大丈夫でしょう。頑張り屋さんだしね。
今シーズンあと少し、8+のcoxをして進化していってほしいです。応援してます!
納谷は…今年で化けたような気がしますね。
最初は彼女も自分に自信がない感じがしてましたが、近頃の活動を見ていると逞しくやっているようです。
来年には、僕よりもクルーを作るのがうまくなっていると確信しています。coxの後継者がいなくて心配をしていたのですが、心から心配の必要がないですね。来年は戸田で最終日にレースをしてきてください、応援してます。
すでに8+のコックスは僕よりもクルー作りが上手なんじゃないかな?トップコックスでの技量は負けませんが!
3年目の漕手諸君
コロナ渦の中で入部した君たちは芯の強さが段違いです。僕の代に負けない、強い代です。必ず目標は達成できます。自分たちを信じて突き進んでください。
手伝えることは僕たちも手伝うしね。
あと、次期主務の小原と副務の皆さん。
主務の仕事、頑張ってください。わからないこと、手伝ってほしいことがあったらいつでも声をかけてくれれば教えてあげられます。
僕みたいに背負い込んで、無理をしないようにしてください。
最後に、同期の皆には感謝してもしきれません。
長くなりすぎるのでここでは書けませんが、一人ひとり、本当に助けてもらったし、頑張れる活力をもらいました。
みんな元気で、また一緒になにかできる日を楽しみにしてます!
そんな感じで、僕のラストブログでした!
読みにくくてごめんね!思い付きで書いてるから文脈もぐちゃぐちゃだったかも
では、また会いましょう!