北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

そしてまた新しい靴を履く

2022-10-13 16:43:05 | 日記

 

お久しぶりです。4年目の豊枝です。

時間が空いてしまい本当に申し訳ありませんがブログ書けたのであげます。書いていてブログにあげるに相応しいかわからなくなりましたが、元々ブログが何なのかわからないのであげようと思います。

 

今回は真面目な内容しか書けなかったので後付けで自分の名言を挟んでみようとしましたが1つしか書けませんでした。自分の意見ばかりだし文学部院にいくのに文章力もなくて長くなっちゃいましたが、時間があるときに読んでもらえたらと思います。

 

 

 

最初に後輩の皆さん、引退式開いてくれたのに参加できなくてごめんなさい。本当に行きたかったのですが、コロナにかかったり家族がうるさくて行けませんでした。本当に直前まで何とか行こうと思ってたんです。僕と菅野と古田の引退式開いてくれたら絶対行きます!

 

 

 

ということでその代わりではないですが、このブログは皆のこと考えながら書きました。引退式で話していたら1時間くらいかかったであろうことをここに詰め込みました。まずは自分の過去を晒します。入部してから今まで、どんなことを考えどんなことをしていたのか。豊枝の過去思考物語でございます。

 

 

 

 

 

まずは1年生の4月、なんといってもここから始まったわけです。正確には北大受験の道案内で声をかけられたのが最初ですが、4月のビラ配りで誰かからもらったビラを見て試乗会に行ったところから運命が動き始めました。

 

 

試乗会はすごい楽しかったです。今とは違ってエッセン食べたりしたんですよ。僕が乗ったのは確かフォアでしたが後ろにあきらさんが乗ってて、褒めてくれたりオアロックに押し付けながら漕いだらいいよとかアドバイスもらったの今でも覚えてます。その後説明会でも話しましたし、僕が入部宣言したのはあきらさんが連れてってくれた南路屋でしたね。入部宣言したら、その日からごっつぁん芸やらされました。上野さんと一緒にマグロの解体ショーやったの覚えてますか?面白かったですか?

 

 

ちなみに僕はボート部の人間の中で唯一かもしれませんが試乗会を体験して、もうボートはいいやと思ったタイプの人間です。30分乗って満足しました。最後の挨拶でボート部は第四志望で入部は考えてませんとか言い切った気がします。そんな人間でもその後フットサルの新歓大会に行ったのが原因でボート部に入ることになってしまうんですから、運命とは面白いですね。

 

 

何があったかというと細かに書いたのは過去のブログにあるはずなので、ざっくり言うと試乗会でひと目見たリーゼントのヤンキーと同じチームになって、なんやかんやで仲良くなってそいつがボート部に入部したので僕も後を追って入りました。今は丸くなってヤンキーの跡形は消えてます。

 

 

誰かを追って入ったと言うと、なんか軽くね?って誤解されそうなのでちゃんと説明しますと、僕は運動神経が良いので部活は何でも良かったのです。新歓は暇つぶしでした。その代わり重視していたのが人です。自分の4年の託せる相手がいるかどうかの方がよっぽど重要でした。見つけられなかったら個人戦の格闘技にしようと思っていたときに現れたのがそのモヒカンリーゼントです。こいつとならやっていけるかと思ったわけです。そしてボクシングとボートで悩んだ末、ボート部に入部を決まりました。

 

 

 

ボート部に入部を決めた私は、ボートを漕ぎたかったわけではないですが心はウキウキでした。学生生活をまた部活に捧げられるんだ!って。中学生の頃から部活好きで、でも高校では満足のいく部活にできなかった分、大学でまた部活ができるっていうことがめちゃくちゃ嬉しかったんです。勉強のことは考えてませんでした。

 

 

でもそんな自分を待ち受けているのは困難ばかりで、ボートを漕ぎ始めて2日で飽きてしまいました。ボートの上で「つまんねぇなー」と思っていたのを覚えています。部の雰囲気もガチガチのやつを想像していた自分にとって、サークルみたいな雰囲気がいやでした。普通にやめようと思いました。

 

 

そんな自分を支えてくれたのは入部するときに決めた目標。インカレで優勝すること。それが僕をここまで導いてくれました。どれだけしんどくても自分を奮い立たせる毎日でした。

 

皆さんは目標ありますか?ある人間とない人間とではボートに対する熱量が全く変わってきます。無理につくれとは言いませんが、入部したときと今とでは部活に対する気持ちは変わってきてるんじゃないでしょうか?改めて考えてみたらこれからの自分を支えてくれる素敵な目標ができるかもしれないですよ。

 

 

 

自分の初めてのレースは東北戦だったはずです。大西と橋本に挟まれて7番を漕いでいました。あのときはとことんバウサイ側に落ちて毎ストローク腹切りしないように死に物狂いでスクエア返していました。小長井も覚えてるかな。自分達の新トレの全く減量してなくて70kgは余裕であったであろう井上海人がcoxに乗ってて明らかに進みが悪かったです。海人さんが減量してたらもっと良い勝負になってたよね。

 

 

 

自分はオッ盾の選考には落ちたのでサポートするだけだった初インカレはあんまり記憶にないです。ただ、4月の説明会であきらさんにインカレ優勝目指してるんですか?みたいなことを聞いたときに微妙な返事が返ってきた理由がわかりました。

 

 

1年生の新人戦は8+で出漕しました。自分は2番でバウが豊枝豊の下位互換の森勇人でした。その頃、自分達の代の4人のマネージャーが辞めそうな空気があってなんとか結果を残そうとしていましたが結果は言わずもがなでした。

 

 

新人戦が終わり、冬練に差しかかる時期にボート部がたいくつすぎて暇だったので、なんとかボート部を続けるためにボクシング部に入りました。留年してる人とかいて雰囲気も好きだったのでめちゃ楽しかったです。ボートと比べたらいけません。その頃はボートのことをスポーツだと思っていませんでした。

 

 

1年生の冬練は特別きつい!というわけでもなく自分のエルゴのフォームが良くなっていくのとかが嬉しかったですね。4人のマネージャーが辞めてしまったのは悲しい事件でしたが、特に気持ちの上下なく練習してました。5番部屋の集まりにはまっていた頃です。ボクシングに続きギターも始めました。

 

 

 

そんなこんなでコロナが流行り始めました。トレセンが使えなくなっても別に気落ちすることなく、家にエルゴを置いてぶんぶん回してました。それから2年間くらい家に置きっぱになるとは。

 

 

自粛期間中は生活リズムがはちゃめちゃで夜の12時に起床して、皆んなが寝静まった2時くらいからエルゴを漕ぎ始めて、朝の9時までゲームして寝て起きたら夜の12時という地獄のサイクルができあがりました。エルゴしながら聞いてたアイドルの曲を聞くとこの頃を思い出せます。あと、あきらとゲーム仲間になりました。モンハンとかApexしてくれてありがとうございました。今でもしたいですよ。

 

 

自粛期間が終わったのは2年生の8月くらい。シングルのみで乗艇が解禁されました。門野さんにキャッチができてない。入れてから押せてないってアドバイスされてめっちゃ練習しました。

 

 

インカレは延期して10月末に新人戦を中止して開催されました。インカレ組が戸田にいるときにやったエルゴ2000tt4年生まで更新できないほどのベストスコアを出しました。久我が710秒切るって言ってて、切ったらエースだねって言ったら本当に切ってて驚きました。その後みんなでキング牛丼早食いしたのも覚えてます。普通に伊藤亮太が早かった。みっそさんの勧誘でひなっちゃんが入部してくれたのもこの時期で、入部してもらおうと皆で行ったany cafeは懐かしいです。

 

岩本っていつ入部したんだっけ??

 

 

2回目の冬練もまともにできませんでしたが、この頃からボート部に対する気持ちが変わってきました。

 

 

最初に書いた通り入部直後に自分の思ってた部活と違ったことにショックを受けて、部活よりも自分を優先しようと決めてたんですけど、やはり僕も人間だったみたいで同期と過ごす時間が楽しかったり、後輩ができて責任感が芽生えてきたりで、少しずつチームとして強くなりたいと思うようになってきました。

 

 

なんとなくですが自分の考えは持ってました。僕の3つ上の代が1人もいなかったのも原因だと思いますが、その頃は部としての体制が取れておらず先輩から後輩への技術の伝達とか全くできていませんでした。

 

そういう問題を解決するために同期と話し合ったのが3年生の6月くらい?部活に対する気持ちとか熱量とか、まずは心を一つにするところから、同じ目標を共有するところから始めました。

 

今までそんなこと話したこともなくて、改めて同期全員と話し合うのは恥ずかしさもありましたが、ちょうど大西も同じことを考えてたり同期との運命もあり、熱い話し合いができだと思います。このときのこと同期の人たちはどう思っているのか気になります。自分にとっては、自分の生まれ変わるきっかけをくれたミーティングです。

 

そして実はこれがネクステの1回目だったりします。そこから同期を超えて今の3年生へ。たまに先輩を呼んだりして部の雰囲気は着実に変わっていったと思います。自分たちが強くなる方法と後輩を強くするための教育方法について話し合う。それがネクステの目的であり起源です。嬉しいことに今の3年生が2年生と共に続けてくれているようなのでどうしてもこれは伝えておきたかったです。続けることが目的になってしまうのは良くないので、なんのためにやるのかよくわからないミーティングではなく、全員がその目指すところを共有したものであってほしいです。今の1年生はなんのこっちゃだと思いますが、もし来年ネクステと聞いたらこのことを思い出してね。

 

 

3年生の冬練が始まる頃にはそのネクステの効果が現れ始めたと思います。まずはキックオフミーティングからですが、ここでは新人を卒業した今の2年生に向けての内容がたくさん含まれていたと思います。練習を効率よくしていくための方法、食事等。週1で上級生が1年生のエルゴやウエイトのフォームを見たりもしましたね。でもなんといってもキックオフミーティングの目的は上級生と1年生の気持ちを1つにすること。それは少し言い過ぎかもしれません。上級生の熱量を1年生に知ってもらうことですかね。

 

 

チームとしての活動がどうしても減ってしまう冬練で如何にお互いの気持ちが乖離することなく過ごせるかを考えたとき、まず1年生には新人を卒業して正式に部員になったという自覚と、どのくらいの熱量で部活に打ち込めばいいかという指標が必要だと思います。それをキックオフミーティングで伝えられたらなと。ちなみに発案してくれたのはヤンキーです。

 

 

当時の1年生にはどう映っていたのでしょうか?もし来年もやるのであれば今の形式を保とうとするのではなく、1年生だったときのキックオフミーティングで自分達がどう感じていたか、何を求めていたかを思い出して自分たちが1年生に向けてやるときにはその形を変えながらやってほしいです。

 

 

 

冬練期間中には1年生だけでなく部員全員を教育するシステムがあきらさんを中心として回りはじめました。1年生と上級生を一緒にして1年生だけでの練習を無くしたこと。週1ut計測、アクティブレストを取り入れたこと。フィードバック会を開いたこと。新しい取り組みをたくさん導入しました。

 

 

これに関してもどうだったでしょうか?皆に聞いてみたいところです。システムを導入した側としては、それを受ける側の気持ちがわからず結構不安です。ただキックオフミーティングと同じようにこれをやる意味は目標を共有するだとか部員を強くするということだけに非ず。ひと通り実践した上で何が足りないかを考え変化させること。自分達の下の代で自分達のやってきたことについてきてくれた皆だからこそ気づくことがたくさんあったと思います。それを君たちの代になったら活かしてほしいです。そうやって常に進化を求めて良い方向へ進んでいくことがネクステやキックオフミーティングをやる狙いでもあります。

 

ちなみにあの冬練中に運動会をやろうとしたりしてて、医学部とかEfyの人呼んだりして、小学生のときみたいにリレーしたら楽しいだろうなとか。でもコロナとかでうまくいかなかったりして。

 

そのくらいの自由度はあります。なんといったって学生主体が売りの北大ボート部ですから。自分達がやりたいと思うことはとことんやっていける、そんな強みを活かしてしきましょう。それが監督ガチガチの経験者寄せ集め大学に勝つためには必要です。もう大人に頼り切りの時代は終わりです。自分達で活路を見いだすのです。

 

 

 

冬練明けといえば新歓でしょう。朝連やってそのまま新歓やったら疲れるよそりゃ。そのあと2スタ目いくのは流石にしんどい。とは言いつつ、いつもと違う雰囲気が割と楽しいです。新歓って4年生はやらなくていいみたいな風潮もありますよね。でも自分はちゃんと参加した方が良いと思います。やっぱり自分の代だけでなく、自分がいなくなったときのことも考えると自分があまり関わらない代だからといって手を抜くことはできないでしょう。おそらく今年で引退した4年生、院生の方々で来年以降のボート部のことを応援していない人はいないでしょう。共に戦った仲間ですから勝ってほしいと思ってるはずです。それならばいずれ部活の中心となっていく1年生には期待するでしょう。入部宣言してくれたときはめちゃ嬉しいですよ。高森はアホみたいなタイミングで入部してくれました。期待大ですね。

 

もっとこうしたら良いとか思うところはありますが、自分の代で変えられなかったことを下の代に押し付けるような形になってしまいそうなのでここでは心の奥にしまっておくことにします。それよりもやはり自分が新入生のときにどう感じたかが大事だと思います。特に記憶が新しい今の1年生にはぜひ来年の新歓で活躍してほしいです。

 

 

4年生になりました!大会続きの6.7月の中でも忘れられないのは東北戦でしょうか。メンバーが決まったとき、ここだけの話ですが、コーチのあきらさんに500mで勝負しようという話をされました。2000mレースですが、最初の1Q500mで全力を出し切るということです。それだけ北大と東北に力の差があるということです。びっくりしちゃいました。そのとには納得はできませんでしたが全員了承したというか了承したけど了承してないというか、なんとも言えない微妙な感じでした。

 

その後どうなったかというと、その後はあのレースです。特に話し合ったわけじゃありません。当然のように500mのあとも漕ぎました。本気で2000m漕ぎました。500mで出し切るつもりで漕いだわけじゃなく、2000mで勝つつもりで漕ぎました。自分の代の人は目標に掲げるくらい東北大に対して強い思いを持ってたのでおそらくあきらさんに何と言われてもああしていたでしょう。もちろん純、あべたい、久我、ともひろ誰一人として気持ちをぶらさなかったと思います。500mの後も漕ぎ続ける北大エイトを見てあきらさんはどう思ったでしょう。いつか聞かせてください。

 

レース自体は本当に素晴らしいものでした。何が良かったか聞かれても答えられませんが、スタート直後のアクシデントを含め心が震えました。結果はあの通りですが、1年生の頃の新人8+から差を縮め、自分達が今までやってきたことが間違ってなかったんだという自信に繋がりました。自分を強くしてくれた忘れられないレースの1つです。

 

 

その後自分の記憶だと漕いだ男子全員がベスト更新したエルゴ2000tt期間。ここで自分達のやってきたことの成果が目に見えてわかりました。嬉しさや興奮とともに、感謝です。

 

 

インカレももちろん記憶に残っています。練習の1つから、僕より自信家の菅野と語ったこと。あきらさんや大熊さんに応援されながら漕いだ2000mとか、インカレ前に東京工業大学と並べた1000m。タイムトライアルで1着のレースも負けたレースも全部覚えてます。スタート地点に向かうまでの間、狭いコースを進んでいるときに笑顔で送ってくれたり手を振ってくれたり、思い返すと照れくさいですが嬉しかった記憶もあります。

 

 

全レース終わったあとの感想はほんとに悔しい。これに尽きます。入部したときからずっと夢に描いてきた舞台に辿り着いたものの、夢に描いたレースはできなかった。悔しすぎる。

 

 

楽しいレースをしようとか、4年生まで漕ぎ切ることに意味があるとかよく聞きますが、

 

 

そんなものインカレで優勝することに比べたら何の意味があるんだろう。

 

 

4年間を注いで得られるものが長い間頑張ったという達成感なのか、1番になったという優越感なのか。もしどっちかしか得られないならどっちを選ぶだろうか。しんどいとき、もう嫌だと思ったとき、それでも自分を奮い立たせてくれたのがそれに対する僕の答えです。

 

 

 

 

 

ここまでがこれまでの僕の歩んできた道とその

ときに感じていたことです。いや、正直こんなところで書き尽くせるほど平坦な道じゃなかったって。いつか直接話せる日が来たら話そうや。

 

ここからは少し内容が変わるので読み疲れた方は休憩してくださいね。第2部は北大ボート部のあり方、現在思考物語と願いです。

 

 

皆は今の北大ボート部をどう思っていますか。北大のボート部以外の部活をみて、他大学のボート部と比べて、その特徴は何だろうと考えたことはありますか?入部してからしばらく経った今となっては今のやり方が普通だと思い込みがちですが、見えないところでは思いもよらない世界が広がっています。

 

 

ここでは組織作りについて書きます。今の時代の部活には大きく分けて2つの形があるでしょう。部をまとめるのが監督か部員かという違いです。北大はまさに部員が部をまとめる、学生主体の形をとっています。もちろん江川監督をはじめ、たくさんの大人の方々の支えがあってこそ成り立っていますが、部活を動かすのは我々学生です。これが本当に難しいんですよ。今の3年生はその難しさを目の当たりにしている頃でしょうか。

 

 

どうやって部を作っていけば良いかあれだけ考えたのは人生で初めてでした。そしてそれこそ学生主体でやることの良さでしょう。組織づくり、役割、協調生、その他にもこれから役立ちそうなことをたくさん学べました。では、監督が部をまとめることの良さとは何でしょうか?僕なりの答えは、監督が絶対的存在になることです。

 

 

絶対的存在とはどんなものか、部に対してどんな影響があるか。まず1つ、怒ってくれること。これだけで監督の存在する価値があるといっても過言ではないでしょう。何かミスをしたとき、悪いことしたとき、遅刻したときに怒ってくれる人が必要でしょう。それがないと反省する機会を逃してしまうかもしれないし、自分が悪いことをしたということに気づけないかもしれない。また、怒ってくれる人がいるというだけでチームの雰囲気が常に緩むことなく練習に対する集中力を保ってくれるはずです。

 

 

次に2つ目、戦略や指導に安定性があり、進化すること。これは指導者が変わらないためです。同じ人が部を作り続けるため、代によって強さに差が出にくかったり、もちろん監督も成長するため時間が経てば経つほど指導のレベルも上がるでしょう。そしてその部の強さが監督のレベルに強く起因するために、高校や大学の部活で急に強くなったり、逆に弱くなったりという話がよくありますがその背景には監督の交代があったりしますよね。

 

 

その他にも、物事を判断するときの指針になったり、学校で権力があれば経験者を呼びやすかったりするんですかね?前者については例えば、学生同士でああした方がいい、いやこうした方がいいと話し合っていても結論が出にくいのに対し、絶対的存在である大熊さんや武田大作さんに言われたことはすっと頭に入ってくるみたいなことです。今まで自分たちが重視していなかったところを指摘されたら逆にそこしか考えられなくなるようなことありましたよね。

 

 

部の人とこういう話をしませんが、自分はすごく気になってました。教えてもらうことが少なく何でも自分でやってみて自分で試行錯誤して成長していくという形で練習が進んでいき、とても苦労しました。上でもいったように、自分の力でやることで得られることももちろんあります。ですが、3年半という限られた時間で結果を残そうとしたときどっちがいいでしょうか?何回も失敗を繰り返し自分で導いた正解が本当に正解かもわからないような状況で強くなるか、進むべき方向が示され強者への道を一直線で進んでいくか。さあ、本当にどっちがいいんでしょう。

 

 

ここまで散々監督主体の良さを書いてきましたが、後輩の皆にはぜひ学生主体でやり続けてほしいです。僕が考える学生主体の最大のメリットは、部の熱量が完全に学生の熱量に依存し、それ故に下限も上限もないということ。動かなければ何も始まらないし、動き出せば止まる所を知らない。今年僕たちは自分たちで考え行動し、互いに高め合い、自分自身を鼓舞し、その熱さで魂を燃やし部全体に命を吹き込んだ。おそらく監督という存在とルールに縛られていてはあれほどの熱い気持ちと勢いを生むことはできなかったでしょう。

 

 

そしてこれだけが学生主体やることの意味だと思います。最初に言った、組織づくりとか協調生が学べるとかそんなものは副産物にすぎない。最高学年としてやった1年を過ごして思います。そんなもの自分が頑張る理由になり得ない。自分たちが火種となり、自分たちを焚きつける。だから熱くなれるんだと思います。

 

 

そして学生主体を続けてほしい理由としては、その一歩目を踏み出したからです。まだ小さな一歩かもしれませんが、北大がいつか猛威を振るうその片鱗が見えたのではないでしょうか?かつて東北大に圧倒していた北大を取り戻したいという思いが僕にはあります。すぐにできることじゃない。だから長年かけて強くなっていける体制を整えることに力を注ぐことができた。そして皆も同じことをしていくことが求められると思いますが、チャレンジするに足るものは残せたと思ってます。

 

 

あの2000ttの日の空気は化物の匂いがした

 

 

 

あまり具体的な話ではありませんでしたが、こんな感じで終わります。そろそろ終幕です。第三部は感謝とエールを伝えます。

 

 

この3年半の間たくさんの人にお世話になりました。僕は人生において、理屈や根拠よりも心や直感を大事にしています。すると感じるのが人に思いを伝えるのがどれだけ大切かということ。たとえ思いが伝わらなかったとしても、伝えようとする心が大事だということ。迷ったときは心に従うこと。だからこの自分の気持ちを伝えずに去ることはできません。

 

 

大熊さん、江川さんをはじめOBの方々

学生が知らない所でたくさん働いてくれていることを僕は3年生になるまで知りませんでした。学生とOBの架け橋になってくれたり、モーターやオール、艇、工具などの道具類、艇庫の設備まで。それでも僕の知らないことはまだたくさんあると思います。直接指導してくださると本当に知識と経験に溢れているのだと感じます。学生主体ではあるものの皆さんの力添えがなければここまで成長できませんでした。

 

 

 

1年生!期待の若者たち

1年生がいるだけで結構雰囲気変わりますよ。なんだか元気がもらえるような気分になります。だけど新人を卒業して正式に部員となってできることが増えたはず。君たちにはとても頼りになる先輩がいると思います。だけどいつかは越えなくちゃいけないし、いつまでも面倒を見てくれません。早く一人前の部員になって部を担う存在になってほしいです。

 

ボート部ってあの異常な活動時間とか練習の成果の出にくさのせいで度々辛くなります。だから皆には目標を持ってほしい。何を成し遂げたいか、ボート部を去るときどうなっていたいか、そうして自分の未来を明確に想像すること、それすれば君たちが何度立ち止まっても道を踏み外さないように行くべき道を示してくれるはずです。

 

 

 

2年生 鉄の心の持ち主たち

感謝しきれません。

結果として去年の冬練で数人の1年生が辞めてしまうこととなってしまいました。申し訳ないなと度々思います。でもそれでも僕達に着いてきて、僕たちを超える勢いで練習を積み重ねて実力をつけてきた今の2年生は本当に誇らしいです。

 

男子はなんか大変そうだけど頑張れと思います。西井!

 

女子は団結力と競争心がすごいですよね。その才能が羨ましいです。自分にしかできないことを見つけて個を高め、絶対同期に負けちゃだめです。

 

 

 

3年生 少数精鋭

まじで頑張れ!君たちが主役!

3年生という時期はやっぱり伸び悩むと思うので。だってここは第3Qで、落ちていきそうなタイムを必至に落とさないように堪える所。すぐに結果が出ないことに焦らないように。

 

今の実力なら十分、来年戦えるはずです。1日の練習を大切にする。毎日の積み重ねが最後には実を結ぶと信じてください。あと、仕事は分担するんだよ。

 

 

 

 

色々思い出していて、感謝すべき人を1人思い出しました。井上海人さん。僕の新トレです。去年インカレ前に茨戸にいらっしゃったので2.3年生は見たことあると思います。もちろん空さん、山谷さん、和田さんにも感謝しています。

 

海人さんと関わったのは新人期間なので半年くらい?適当人間みたいなイメージありますが、教え方は丁寧だし目を見れば熱い人なんだなってわかりますよね。これまでに海人さんに教えてもらったことを何度も思い出し、海人さんを思い出すのは、自分のモチベーションでした。短い期間でしたが色んな記憶があります。エイトの上で説教してもらったこと、練習時間外にダブルに乗ったこと。ダブルに乗ったとき、海人さんは話しやすい人でしたがめちゃめちゃ緊張しました。

一応ボート選手としては大先輩なので朝の集合時からガチガチだったのですが、艇の上で「今日の空、◯◯みたいじゃね?」って言われたのを忘れません。◯◯の部分は忘れました。心を落ち着かせてくれたんですよね。新トレやるだけあって教育の素質ありますね。

 

あとは先輩と呼んでくれたこと。茨戸レガッタだったと思うのですが、シングルのレースで同じ組になって、煽るように「先輩!」と呼んでくれました。僕が先輩のことを、あきら!とかともひろ!って呼び捨てにするのはそんな海人さんの影響なのか、上下関係のない部活が好きだからなんですよ。

 

 

そしてその院生の先輩たち。とても頼もしかった。

2年間男子コーチを務めてくれたあきら。

自分たちの代で一緒に漕いでくれた伊藤さんとむかいおじさん。伊藤さんを呼び捨てにはできません。

女子コーチ兼漕手スカル穂さん。これは内心ひやひやです。

間違いなく今年北大に熱を加えてくれた人たちです。あまり触れていませんが学生主体でやっていくにあたり、院生という存在は不可欠ですもんね。あきらさんのコーチングはすごいですよ。メガホンでアドバイスするようなコーチングというよりは、部員のまとめ方とか、練習方針の立て方とかですね。学生主体の我々にとって絶対的存在に1番近かったと思います。

 

 

 

 

最後4年生。仲間。

照れ臭くて言葉が出てきません。

一緒に戦ってくれて、素敵な時間をくれて、僕の同期になってくれてありがとう。

 

 

 

これで終わろうと思います。これを読んでくれた人はどう感じたでしょうか。人それぞれで感じるものがあれば嬉しいです。

 

 

 

これから僕は何をするのか自分でもわかりません。ただ時間はあります。院に進むのであと2年。院に落ちればあと3年。何かを成し遂げるには十分です。ずっと昔からなりたかったので日本一を目指そうと思います。そして皆に勇気と希望を与えてくれるそんな人間になっていることでしょう。

 

 

 

それでは、今までお世話になりました。大きくなってまた会いましょう。

 

 

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