事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

日本の警察 その7 「隠蔽捜査2~果断」

2007-07-10 | 日本の警察

前号繰越。

Kadann  隠蔽捜査は、オウム真理教信者による(と思われた)国松警察庁長官狙撃事件をモデルにしている。この事件は、当時オウムのテロが頻発していたので「また変なことをあいつらはやりやがって」と“自然に”受けとめたが、考えてみればとんでもない事件だ。

現職の警察官が、業界トップの長官を自宅マンション前で待ち伏せして狙撃しているのである。あ、現実には不起訴処分になっているので公的には犯人は不明なのだけれど。

 しかしシリーズ2作目果断~隠蔽捜査2は、現実の方が小説を模倣した結果になった。先日の愛知県長久手町29時間籠城事件である。版元である新潮社は、この事件との類似性を指摘して宣伝したいのが見え見え(週刊新潮では“小社刊”の「果断」を、事件の記事のなかにしのびこませたりしていた)。しかしネタを割るようだが、小説の方は単純な籠城事件と思われたものが実は……という具合に展開していく。

 ここで登場するのがSITとSAT。SITはSpecial Investigation Teamの略(実はSousa Ikka Tokusyuhanの略らしい)。全国の都道府県警察の刑事部捜査第一課におかれ、人質立てこもり事件などにおいて重装備で突入する。

SATはSpecial Assault Team(特殊急襲部隊)で、こちらは警備部に属する。その装備などには謎が多い。この二つの組織の連係が先日の事件ではうまく働かなかったようで、SATの隊員がひとり亡くなったのはご存じのとおり。今野敏は基本的に警察バンザイ系の作家だから、主人公竜崎の『果断』→SITとSATの突入指示を賞揚する。微妙なところだとは思うけどね。

4758410356  今野はひたすら多作な作家なので、実はおすすめの警察小説はもっとある。わたしが好きなのは警視庁ベイエリア分署安積班シリーズ。どこがすばらしいかというと、主人公の安積警部補は、他人から見るとひたすら有能な刑事なのに、自身はそのことに意識的ではなく、中間管理職として部下の気持ちを推しはかれなくて(実はめちゃめちゃに慕われているんだけれど)ウロウロするあたり。そして、まことに意外な人物が名探偵に設定されているのだ。

 おそらくは警察内部をかなりリサーチしてあるらしく、取り調べで“落ちた”容疑者は、身体中から水分が、特に例外なく鼻水が流れ出てくるなんて描写はリアルだ。

 さて、警察内部からの情報をもとに描く、しかし今野とは反対に警察の暗部をえぐる作家も存在する。佐々木譲。以下次号

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踊る大捜査線⑤

2007-07-09 | テレビ番組

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前号繰越

 さて肝心の織田。デビュー作「湘南爆走族」はさすがに観ていないが、うまく言えないけれど、顔が“主役面”しているというか、画面に映えるタイプなのだと思う。

その頃(80年代後半)は若手の男優があまり育っていなくて(反論も多いこととは思いますが)、映画界もどんどん落ち込んでいる時期だった。映画ファンの同好会から出発したホイチョイプロが、「私をスキーにつれてって」に続くホイチョイムービー第2弾「彼女が水着に着がえたら」に織田を起用する、と聞いた時は、さすがやるなあ、と思ったのを憶えている。こいつはスターになる、と私も感じていたのだ。

その後「東京ラブストーリー」(「踊る~」の中で、このビデオを観ながら湾岸署の連中がカンチを「煮え切らない野郎だなオイ」と馬鹿にしていたシーンには笑った)等を経て順調にスター街道を爆走したのはいいのだけれど、直情径行な性格はどうも治らないらしく、「振り返れば奴がいる」で脚本の遅さにブチ切れて、三谷幸喜とは二度と組まない、と宣言しているあたりは若い若い。

Umck5519 でも先日、都内のスタジオで、初めて木村拓哉と遭遇し(「HERO」と「ロケットボーイ」は同じスタジオで収録されているのだそうだ)、凍りつく周囲を(何でだ)よそに、年長者としての余裕をみせ「ども、織田です。」と挨拶したあたりは大人になったんだか。ユースケ・サンタマリアの陰に隠れっぱなしだったというキムタクが単にガキなんだろうが。

「ホワイトアウト」の製作に意地を見せたように、久方ぶりにガッツのあるスターのようだし、どんな経緯か「踊る~」の第2弾を安直に作る様子もないところは好感がもてる。ファンの気持ちも、少しは私もわかるようになってきた……。

……6年も前のネタなので、かなり無理が入ってます(笑)

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踊る大捜査線④

2007-07-08 | テレビ番組

前号繰越。

050913 いつも眉間にしわを寄せているキャリア、室井役の柳葉敏郎は、欽ドンの“良い子”だったことを考えると脚本の君塚とは欽ちゃんファミリーつながりだったのか、と気づかされるが(“悪い子”武野功雄も出ていた。長江健次も呼んでほしかったなぁ)、麻薬の捜査官で出た小木茂光とは一世風靡セピアつながりだ。

あ・武野も一世風靡だからあいつは二重につながっている。昔は大嫌いだった一世風靡だが、リーダー小木は「月はどっちに出ている」あたりから渋い役が絶妙で、実は彼がテレビに出るたびに「あ、小木だ。こいつは一世風靡セピアの……」とうちの奥さんに解説するのでうるさがられているくらいファンなのだ。それにしても、こいつらに加えて哀川翔までいたんだからあの集団ってすごかったんだな。しかしあのどこかしら匂う右翼臭が……。

 2005101400101 女優陣は、どんな関係があるのか知らないがバーニングプロの所属が多かったのは何でだ?このドラマ、途中までは刑事ドラマでいくか恋愛ドラマでいくか不確定だったらしいので(ほら、キャストだけ押さえていたわけだから)、トレンディドラマになるかもしれなかったので、とりあえず売り出し中の水野美紀を突っ込んでおき、人気が出たので内田有紀小泉今日子を投入した、というところなんだろうか。

水野は今時珍しく「アクション女優になりたい」と思っているらしいので、その肩幅をいかしてがんばってほしい。
 その水野と、ひょっとしたら三角関係を演ずることになったかもしれない深津絵里だが、昔はあれほど少女役が似合った彼女が、オバサンすれすれの役がすっかりはまっているのは恐ろしいかぎり。でもきっと、あの少女系の風貌はこれからも不滅のことと思う。今回気づいたんだけど、このひと意外に短足出っ尻なのね。好き(笑)。

以下次号

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踊る大捜査線③

2007-07-07 | テレビ番組

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前号繰越

 もうとっくに終るつもりだった「踊る大捜査線」ネタ。それなのにこのWEB版の最初の読者が、いい年をして織田裕二のものすごいファンなものだから「あれで終りってことはないわよね」と脅されたので、もう一回やります。観ていない人には意味不明な部分も多かろうと思います。ごめんなさい。

 今回は俳優陣について。
「踊る~」に限らず、近頃のテレビドラマにはコメディアンが大挙して出演している。バラエティの中で、ネタ中心に勝負し続ければ彼らがひたすら消耗していくことは自明なので、コメディアンの緊急避難先としてのドラマ、そんな側面はもちろんあるのだろう。制作側にとっても、さして時間をかけて作るわけでもないテレビにおいては、演技力云々よりも、役者は“柄”で選びたい、そんな需要が供給側と一致した結果といえる。

 それに、今のバラエティは、とんねるず・ウンナン・ナイナイ・ダウンタウンの四強が市場を独占していて(どうやらウンナンが脱落しつつあるが)、自分のネタで思い切り勝負する場など初手からテレビには存在しない。加えて日本のコメディアンには森繁症候群と呼ばれる傾向があって、お笑いを“卒業”してシリアスなドラマに移行すること(若い頃はタモリのような存在だった森繁は、「夫婦善哉」で名優として遇されるようになった。伴淳三郎は「飢餓海峡」の刑事役で……)をステップアップととらえる困った誤解が厳然とあるのだ。

 しかし動機は不純にしても、結果は伴っている。「踊る大捜査線」は、新人が苦しみつつもベテランの教えを受けて成長していく、一皮剥けばまことにオーソドックスな物語になっていることにファンは気づいていることと思う。19世紀英独に華開いた教養小説(ビルドゥングスロマン)と呼ばれるこの手法は、今でも十分に我々の心をうつ。そのベテラン、和久(わく)役のいかりや長介の好演がこのドラマを支えていたわけで、おかげでシリアス系だった他の役者たちが思い切り弾けることができたのであろう。

P_27  いかりやの他にも、谷啓、伊集院光、つぶやきシロー(すっかり消えたなぁこいつ)、高木ブー、島田洋八、石塚英彦たちがいい味を出していて嬉しかった。特に、伊集院のストーカーぶりはシャレにならないレベルに達していたし。

 他にも、芸歴最高のアタリを見せた俳優はたくさんいる。中でもスリー・アミーゴスと呼ばれる署長役北村総一朗、副署長斉藤暁、刑事課長小野武彦の3人はこの番組で一気にブレイクし、貴重なバイプレーヤー、という存在以上の、一種のアイドルに昇華したのには笑った。それまでは色悪ぶりが目立つ新劇人だった北村は、以降「抜けた上役」として出演作が途切れず、斉藤はさんまの番組で「バツイチの頑固男」としてキャラ立ちまくりだし、「大都会」の刑事役が光った小野は、名セリフ「私の部下の命をなんだと思ってるんだ!」で一生食えていくのではないだろうか。

 この三人以外にも、巡査役の甲本雅裕や係長の佐戸井けん太(フィンランド人と結婚している設定が笑える)など、このドラマのおかげで注目を集めている……って注目しているのは私だけかな。ビデオで見直して気づいたが、今や「池袋ウエストゲートパーク」「ロケットボーイ」の人気脚本家として名を馳せる宮藤官九郎が放火犯役で出ていたりしたので、もっと気をつけて観ていれば、意外なキャストが他にも発見できたかもしれない。

以下次号

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踊る大捜査線②

2007-07-05 | テレビ番組

4988632501361_2 前回、勝手に金沢忠雄を殺してしまった堀です(笑)。ご指摘ありがとうございました。性懲りもなく生きてたんだなあアイツ(当時)。そんなこと言っちゃいけないか。

 さて「踊る大捜査線」ですが、一言でいえば『思想は気に入らないが出来はいい』ということになるでしょうか。水戸黄門あたりでいつも不満に思うのは「この天下の副将軍とやらと出会わなければ、一膳飯屋のお京さんはあえなく身売りされ、悪代官と廻船問屋越後屋は悪事のし放題だったわけか?」との疑問が拭えないこと。

 たまたま偉くて善良な(二律背反)ジジイと出会えたことでハッピーエンドを迎えたに過ぎないだろ、と私はテレビに突っ込んでいる。このドラマにしても、たまたま話のわかるキャリア(これもほとんど二律背反だ)と出会えたことでしか存在しえない脱サラ刑事の夢物語……こんな意地悪な観方もできるのだ。

 
 そーんな細かいこと言ってたらテレビドラマなんか観られないぞ!と言われるかもしれない。その通りです。並みのテレビなら、私もこんなことは言わない。「HERO」が中卒の検事を扱っていたとしても、私は全然かまわない。しかし「踊る~」はその点を除けば無茶苦茶に出来がいいドラマなのだ。無いものねだりもしたくなるというものではないか。例えば、そのキャリアである室井を傍流の東北大出に設定することで、改革派であることが必然であるかのように描いたり、“刑事ドラマ”そのまんまに突撃する青島の背後に、さりげなくゴルフのスイングなんかしている署員を配置する小技を見せる。見事なものだ。

 096b 前回も書いたように、山形では夕方の放映だったので、その頃はまだ宿泊していた教育事務所との共催研の日に、飽海郡の男性事務職員5人が保養所の一室で「踊る~」を観ていた。駄弁りながら観ていたテレビだったのに、たまたまその回は殆どの人が一番感動したであろうシーン⇒ユースケ・サンタマリアを撃った保坂尚輝を捕まえるために、青島は土砂降りのなか、這いつくばって銃弾を捜し、検問中のすみれさんは泣き出した交通課の婦警を平手打ちする……バックにはLove Somebody のゴスペルバージョンが流れている⇒だったため、その部屋にいた全員が思い切り粛然としてしまった。そのくらい力のあるドラマでもあったのだ。

 このドラマ以後、キャリアとノンキャリの問題は他省庁でも頻出したためにすっかりお馴染みとなり、本来はハードな警察小説(「新宿鮫」「レディ・ジョーカー」)でしかお目にかかれない公安と刑事警察の反目(公安が一方的に見下しているのだが)、といったマニアックなネタもテレビで受け容れられるようになったのは果たしていいことなんだか。

 さて、残る問題はこれだけのファンをつかんだドラマを、あのフジテレビ(と東宝)がそう放っておきはしない、ということだろう。どんな形で続編を作るにしろ、最初のセリフはもう決まっている。
「都知事とおんなじ名前の……じゃなくなってしまいましたが青島です。」あれ?これもうやったっけ?

意外なことにまだつづく。

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踊る大捜査線

2007-07-04 | テレビ番組

0pcpcbc50999 なんか、「日本の警察」シリーズのなかで、予想したこととは
言え、「踊る大捜査線」が突出してレスも多いようなので
むかし特集したヤツを再録。

 脚本の君塚良一が萩本欽一門下だということは結構知られている。

大学を出てブラブラしていた君塚に欽ちゃんが命じたことは「もっとブラブラしていろ。」だったそうだ。夢のような師匠である。

 枠(火曜9時だったかなあ)を用意したフジテレビも変わっている。普通ならこんなネタで、こんなテーマで、が最初に来るべき企画が「織田裕二と深津絵里は用意しました何やります?」が君塚へのアプローチだったらしい。アバウトにも程ってものが……。まあ、テレビってそんなものなんだろうが。

 しかし恵まれた条件だから優れたドラマが生まれるわけではないのはご承知の通り。そして恵まれた条件下、優れたドラマが生み出されたにしろ、みんなに観てもらえるものではないところがテレビの、そして視聴率の難しい部分だ。「ロケットボーイ」の例を見るがいい。恵まれた枠、無闇に面白い脚本(宮藤「池袋ウエストゲートパーク」官九郎)、最高のキャスト、それが織田裕二のぎっくり腰一発で文字通り腰を折られてしまうのだ。ショウビジネスって怖い。

 さて「踊る大捜査線」だが、放映されたのが山形ではYTSのネット変更の時期だったため、リアルタイムで観ることは出来なくて……あ、このネットの関係は脇道に逸れるけれどちょっと語っておこう。

 そもそも山形県の民放は日本テレビ1局系列の山形放送がまず第一にあり、私が小学生の頃だから昭和四十年代後半にUHF(今の若い奴は知らんだろうなあ)の周波数を使い、コンバーター(今の若い奴は……)を各家庭でテレビに接続し、新たにフジテレビ系列の山形テレビを見ることが出来るようになったのである。当時の郵政族のボス、田中角栄の周波数大盤振る舞いの結果らしい。

しかし山形にはかの有名な“天皇”服部敬雄が君臨しており、マスコミの集中排除の方針もどこへやら、山形テレビも服部の軍門に下り、山形新聞グループに組み入れられることになってから随分と歪な形をとるようになってきた。ちょっとマニアックな話になるが、「クロスネット」の名の下に、系列にとらわれない番組をチョイスして県民に最も適した番組を提供する、まあ建前はきれいだが、要するに在京キー局のいうことばっかりはききませんよ、と山新グループ(即ち服部)が意地をはった結果、日テレ系列の山形放送の中にテレビ朝日の番組が混入し、同時に山形テレビのゴールデンタイムにもテレ朝の番組が進出することになったのである。これは当時テレ朝の重役だった三浦甲子二という業師と服部が手を結んだ結果だったと聞いている。って誰から聞いたんだ俺は。

 具体的には、日テレの野球中継をYBCで観ていると、途中で「一部の地域を除き、野球中継を延長させていただきます」とのテロップが入るが、山形は例外なくその一部の地域となり、8回表ぐらいで中継はブチ切られてしまった。そして本来そのまま水曜ロードショー(日テレ系)に移行するはずのものが、なぜか欽どこ(「欽ちゃんのどこまでやるの」テレ朝系)に番組は移り、意味無く水曜ロードショーは山形テレビで放映されるのであった。

おまけにその映画も、二時間以上のスペシャル版だったりすると、山形だけが、ジュリアーノ・ジェンマあたりのB級西部劇に作品が差し替えられるという情けない事態に陥るのだ。全く、今では信じられないことだが。

だから君塚には悪いが欽ちゃんに私はあまりいい印象を持っていない。彼には何の落ち度もないのに。あ、浅利慶太にのせられて長野冬季オリンピックの閉会式に出てきたのは汚点だったなぁ。

 このいびつなクロスネットが解消されるきっかけは、地方ローカル局のくせに米映画に投資するなどバブリーな経営を続けていたYTSが、財務状況の悪化のため、救援資金を出すことを条件にフジを切り捨ててテレ朝一局ネットとなる選択をしたことだった。視聴率的には圧倒的にフジテレビの方が勝っていたにもかかわらず、なんでテレ朝に助けを求めたかは判然としないが(おそらく入札に近い状況だったのだと思う。新局を立ち上げるよりはずっと安上がりだから)、捨てられた形のフジテレビの怒りはもの凄く、様々な嫌がらせをYTSにかましていったらしい。それからフジ系列のさくらんぼテレビが開局するまで、山形はフジ制作番組空白県となった。「サザエさん」まで、TBS系のTUYが軒先を貸すような形で17:30という中途半端な時間帯に放映していたのだ。長谷川町子が化けて出そうな話である。

 パソコンを使える環境にあるか否かのデジタルディバイドが問題になっているが、それどころか民放4局体制に達したのがつい先日である山形の人間は、“生まれた時から4局体制”だった地区の人間との情報量の蓄積が違いすぎる。東京に出た山形人がまず悔しがるのが、“映る”テレビのチャンネルが多い!ということだった。私も意地になって面白くも無いテレビ東京の番組を観ていた憶えがある。「テレビ探偵団」を北海道出身の妻と一緒に観ていると「懐かしいわねぇ、これ」と彼女が呟く番組の半分も観たことがない事態は寂しすぎるぞ。まあこれは彼女が随分と年上のせいもあるのだが(笑)。

Sub2
 それにしたっていかりや長介が「うぃーっす!」と観客に声をかける「8時だよ!全員集合!」(TBS系)をリアルタイムで観ていれば、定年間近な和久さん役への感慨もまたひとしおのものがあったろうに。くっそー、服部ぃ、てめえの所為だぞ!…って言ってもあのジジイも、その子分板垣前知事と金沢元山形市長も死んじゃってるからなあ。救いは、旧体制に反逆した高橋和雄が知事になり、金沢と骨肉の争いを演じていた吉村和夫が山形市長になっていることか。昔よりは、少なくともマシにはなっているのだ。みんなは忘れちゃってるみたいだけど。

 そして、前にも書いたようにそのさくらんぼテレビの開局寸前にオンエアーされていたのがこの「踊る大捜査線」で、だから次第に上昇する視聴率とか、最終回前に“発火”するように人気が出ていることとか、評判だけを山形の人間は聞かされていたのだ。結局山形でのオンエアーは夕方5:00から、という一頃のサザエさん状態だったのだが、噂以上に、このドラマはよく出来ていて……って中身に入る前に字数は尽きた。“業界”バナシが私は好きだからなぁ……次回を待て!

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星新一 1001話をつくった人

2007-07-03 | 本と雑誌

Hoshishinnichi 最相葉月著 新潮社刊

 

 この人の作品を読んだことがない日本人っているんだろうか。現在では国語の教科書にも必須に掲載されているようだし、ショートショートといえば星新一が今でも代名詞になっている。

 わたしも中学生当時に熱中し、本棚には新潮文庫の薄緑色のカバーがずらりと並んだ。いっときの流行を追わず、下ネタを排除し、平易で簡潔な文章だけが生き残る……星のコンセプトに影響を受けた人は多いはずだ。

 

だいたい、わたしもどうして星新一を“卒業”なんてしてしまったのだろう。クールなエヌ氏の物語は、今読んでもまったく古びていないのに。文学的通過儀礼として教科書なんかに載せておいたら、子どもは星新一を嫌いになっちゃうかもしれないぞ。彼の再評価は、まずふたたび読むことから始まる。再刊も相次いでいるようだ。急いで本屋へ走れ!

 しかし、そんな彼を日本の文壇はきちんと遇することができなかった。百三十四人の関係者に取材した最相の長大な評伝によれば、悲しいことに星自身もその低評価に意識的だったようだ。その意味で、無残な晩年と言えるかもしれない。

「あのころの未来~星新一の預言」特集はこちら

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生け贄

2007-07-02 | 国際・政治

Abekoizumi 今日はちょっと一年以上も前のネタを再録。
状況は果てしなく似通っているので。

……高い塀の向こうは騒然としている。群衆が押しかけ、口々に何か 叫んでいる。

「彼らは何を求めているんです?」
そばにいる白衣の男に、ベッドに横たわるわたしはたずねる。
「ああ、君は知らなかったのか。残念ながら『君を殺せ』と言っているんだろう」
「わたしを?なぜ」
「君がこの施設にいるのは、君のその身体の秘密のためだ。君の体質にはこの世界の食糧事情を一気に改善できる秘密がかくされているらしい。」
「それで、なぜ殺せと」

「殺して、解剖しろということかな。」
「……ふむ。では、どうしてあなた方はわたしを殺さないんです?」
「もちろん、即刻解剖して数多くの飢えた国民を救えという議論もあった。だが、よく考えてみたまえ。生きている人間を犠牲にして得た情報で世界が救えたとして……君は、その世界に住みたいか?」

星新一のショートショートを再現。もうなんというタイトルだったか忘れたし、どの文庫に入っているかも失念。内容にしても、若い頃に読んだものだからかなり美化しているんだろう。左翼であるわたし(笑)のことだからちょっとバイアスがかかっているかも。

ブラックで厭世的な著作が多かった星新一にしては理想主義的すぎるし、狷介な性格で、斜にかまえて世の中を見るあたりが彼の本領だったから(酒席での星新一のトークは絶対に世間に公表できない、と筒井康隆はコメントしていた)、今読むと全然違うストーリーだってこともありうる。

ま、それはともかくわたしが今回言いたいのは、ライブドアや耐震強度偽装問題でゆれる日本って、「住みたい世界」になり得ているのか、だ。極端な拝金主義が生む「勝ち組」と「負け組」への二極分化は、圧倒的多数の犠牲の上にかろうじて成立する少数の幸福を希求しているにすぎない。およそ「勝ち組」がその犠牲の存在を“当然のこと”ととらえているであろうあたりがこの国の不幸なのだと思う。

わたしは今、この国が嫌いだ。

……明日は星新一を特集します。

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消えたあの人たち②~時任三郎

2007-07-01 | 芸能ネタ

Tokito_saburo ロザンナ・アークェットにとって、順調にキャリアをつんでいたデブラ・ウィンガーがいつの間にかスクリーンから消え、しかもそのことをまったく後悔していないことはショックであり、共感もしたようだ。

この“いつの間にか消えている”パターンでわたしが感じたのは……

「あれ?ちかごろ時任三郎を見てないな」
だった。

「ふぞろいの林檎たち」(山田太一)「ライスカレー」(倉本聡)でいい味を出し、映画でも「俺っちのウェディング」「海燕ジョーの奇跡」とコンスタントに活躍していたのに。わたし、好きな役者なのだ。

 人気が爆発して燃えつきたわけでもなく、実力もあり、いかにも好漢だから現場で嫌われているわけでもなさそうだ。圧倒的な長身という売り物もあり、歌もうまい。リゲインのCMで見せたようにユーモアのセンスもある……作り手にとっていかにも使い勝手がよさそうな役者なのに、いったいどうして彼は消えてしまったのだろう。

 原因は、やはり家庭の問題だったようだ。

 3児の父親である彼は、子どもを“のびのびと育てるため”にニュージーランドに移住までしてしまったのだ。消えるもなにも、物理的に四年間日本にいなかったのだ。知らなかったー。オレだけかな。しかも彼の“休養”はこれが初めてではない。オンとオフの違いがくっきりとしている……とでもいうか。

 帰国していきなり「Dr.コトー診療所」や「海猿」で復活を果たし、お茶の間に迎えられたことからも、時任がいかに愛されていたかがわかる。ある意味、めでたいし、いい話だ。

 でも。

 意地悪く考えれば、彼の役柄は出国前と現在では変容してしまったのも確かなのだ。まがりなりにも常に主演格だった時任は、いまではすっかり“いい兄貴分”あるいは“頑固な父親”としてバイプレーヤーに徹している。

 時任本人は後悔していないだろう。そのような『芸能界におけるある程度の格の低下』を覚悟のうえでニュージーランドへ移住したのだろうし。

 ここからは感じ方の問題だ。

・そのような思い切った行動までとって子どもたちのことを考えるなんて。いいぞマイホームパパ!

あるいは

・時任自身に(年齢とか以外には)なんの違いもないのに役柄が変化して不満はないの?芸能人としての意地はないのか時任!

……おそらく彼には微塵も後悔はないのだと思う。なにしろ好漢だし。でも、そこが彼の限界なのではないか、とさみしくも思ったりする。業(ごう)のない役者であることに。

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