前作は、思えば革命の話だった。アルツハイマー治療薬によって“覚醒”した猿シーザー(この名前はいろいろなことを象徴している)は、群れのリーダーとして森に君臨している。妻帯し(奥さんの名前がコーネリウス!)、子がふたり(じゃないか)生まれるなど、それなりに穏やかな日々をすごしている。
かたや人間は、猿インフルエンザ(それは人間がつくり出したものだ)の高い致死性によって、500人にひとりしか生き残ることができず、耐性をもっていたとしても、暴動などによって命を失う。文明は破壊され、人類は、ほぼその種としての役目を終えようとしていた……。
生き残ってコロニーにいるグループ(リーダーはゲイリー・オールドマン)の一部は、水力発電所を再起動して文明を取り戻そうと森に入り、猿たちと最悪な遭遇を。
今回のシーザーは、一種の解放である革命を終えて、統治する段階にある。エイプはエイプを殺さないという絶対的なルールのもと、急進派をおさえつけ、人類と交渉し……たいへんそうだ。
革命政権は急速に腐敗するのが常なので、平和を維持しているシーザーは、オルガナイザーであったと同時に統治者としても優秀。あの金門橋の戦いを制した英雄伝説も有効なのだろう。
人間の側にもクズはいて、猿側にも威勢のいいことばに引きずられるグループが発生する。どうもこのあたりは観ていてまどろっこしい。なにしろ自分たちの現実を見せつけられる思いですから(笑)。
しかし後半、猿VSヒトの怒涛のたたかいの後にシーザーは苦渋の決断を下し、理解し合いながらも人類と決別する。猿の惑星の夜明けだ。このあたりは感動的ですらある。猿とヒトが合わせ鏡のように別れるラストにはうなったなあ。
猿の生態をよほど研究したはず。彼らの握手、彼らの謝罪、彼らがつくる家……ヒトが猿とよほど近い存在なのが理解できるようになっている。猿は螺旋の家をつくり、ヒトはタワーで上をめざす。
猿が上かヒトが優越するかという次元をはるかに超えたところまでシーザーは到達。こりゃ、どうしたって人類はかないませんな。今回もつくづく思う。シーザーを演じた、というよりシーザーそのもののアンディ・サーキスにオスカーを!