本当に、ディズニーとは何者だったのだろう。1960年生まれのわたしにとっては、二週間に一回テレビに登場する穏やかなおじさん、が第一印象だ。こどもの頃、テレビ番組でミッキーマウスを紹介する彼こそがアメリカ文化を体現していたのであり、20世紀とはビートルズとディズニーの世紀なのだ、と誰かが断言したら「そりゃ、そうだよな」と答えるだろう。
初めてディズニーアーカイブが資料を提供し、しかも内容に干渉しなかったという彼の壮大な伝記「創造の狂気」(ニール・ゲイブラー著 中谷和男訳 ダイヤモンド社刊)をテキストに、彼の足跡をたどってみよう。はたして、ウォルト・ディズニーとは何者だったのか。
おそろしい数字がある。
ウォルトが逝った1966年だけでも、2億4千万人がディズニーの映画を鑑賞し、一週間平均1億人がディズニーのテレビ番組に熱中し、8千万人が彼の本を読み、5千万人が彼のレコードを聴き、8千万人がディズニーのグッズを購入し、1億5千万人がディズニーの漫画に夢中になり、8千万人が彼の教育映画を観て、また7百万人がディズニーランドを訪ねた。
……つまり、彼ほど大衆の娯楽への欲望に応えた人間はいなかったということだ。誰もが「星に願いを」のメロディーを口ずさむことができるし、黒くて丸い耳のついたキャップをかぶれば、誰でもがミッキーマウスという“記号”に変化するほどに。
辛辣な評価もある。
ディズニーが息をひきとる頃には、「アメリカの親愛なるおじさん」という偶像的なイメージは揺らぐことはなかったが、芸術家としての地位は急落していった。かつてはアメリカ気質の象徴として歓迎された彼も、今では卑しい民衆扇動家に堕落した、とか。
……「創造の狂気」以前に話題になった「闇の王子ディズニー」(マーク・エリオット著)では、彼の反共、反ユダヤ主義が徹底して描かれた。そこまでではないにしろ、彼の性格がパブリックイメージほどに穏やかなものではなかったことは、この書でも十分にうかがうことができる。以下次号。