陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン「夏の人びと」その9.

2010-07-20 23:56:21 | 翻訳
その9.

そのあとは一日がどんどんと過ぎていった。クラッカーと牛乳の昼食をすませると、アリスン夫妻は外に出て芝生に腰をおろしたが、午後のひとときも早々に切り上げることになってしまった。低く垂れこめた暗雲がしだいに広がってきて、湖からコテージにかけてすっぽりとおおい、まだ四時だというのに、あたりは夜のように暗くなったのだ。だが、嵐はなかなか来なかった。まるでコテージを打ち壊す一瞬の予感を、心ゆくまで味わっているかのように。ときおり稲妻がひらめいたが、雨はまだ落ちてきてはいなかった。

日が落ちると、アリスン夫妻はニューヨークで買った電池式のラジオをつけて、家の中で寄り添って腰を下ろした。ランプもなく、明かりといえば、戸外の稲光りと、ラジオの文字盤からもれる四角い光だけだった。

 コテージの華奢な造作では、ラジオから流れ出す街の騒音も音楽も人の声も閉じこめておくことはできず、アリスン夫妻は湖面をたゆたうニューヨークのダンスバンドのサキソフォーンの音や、田舎の空気を鋭く切り裂く女性歌手の平板な声が、こだまして返ってくるのを聞いた。安全カミソリの替え刃の切れ味を高らかに伝えるアナウンサーの声さえも、アリスン家のコテージから流れ出す非人間的な声にしか聞こえず、まるで湖も丘も木々も、そんなものはいらないとはねつけるかのように、こだまとなって戻ってくるのだった。

 コマーシャルとコマーシャルがとぎれたときに、アリスン夫人は夫の方へ向き直って、弱々しいほほえみをうかべた。「わたしたち……何かした方がいいのかしら」

「いや」考えながらアリスン氏は答えた。「そうは思わない。いまは待つことにしよう」

 アリスン夫人はほっと息をつき、バンドがふたたびありふれたダンスのメロディの演奏を始めたのを背景にして、アリスン氏は言った。「車はいじられたんだ。それくらい、わたしにだってわかるさ」

 アリスン夫人は少しためらってから、静かに言った。「電話線も切られたのよね」

「きっとそうだろう」アリスン氏は答えた。

 しばらくして、ダンス音楽が終わり、ふたりはニュースに耳を傾けた。固唾を呑んで聞いているふたりの耳に、アナウンサーがよく響く声で、ハリウッドスターの結婚や、野球の試合結果、来週、食料品の値上げが予測されることなどを伝えた。アナウンサーは夏のコテージにいるふたりに語りかけていた。いつまで保つかも定かではない電池式のラジオがたったひとつ残された接点で、もはや彼らには手の届かない世界だが、そのニュースだけは聞かせてやってもよい、と言うがごとくに。ラジオもすでに音が消えかけていた。とりあえずまだ、ここにある世界に属している彼らだが、そのつながりさえもが、この音のようにか細いものになっていることを示すかのように。

 アリスン夫人は窓越しに、穏やかな湖面や、黒々とした木々のかたまりを見やり、やがて来る嵐を思った。それから穏やかな声で言った。

「あのジェリーからだっていう手紙のこと、もう気にしないことにするわ」

「昨晩、ホールの家に明かりがついていたのを見たときに、わかっていたんだ」アリスン氏は言った。

 不意に、風が湖を渡って夏のコテージに吹きつけ、窓がガタガタと悲鳴をあげた。アリスン夫妻は思わず身を寄せ合い、最初の雷鳴がとどろくと、アリスン氏は手を延ばして夫人の手を取った。戸外で稲妻がひらめき、ラジオの音がすっと消えると、パチパチという雑音だけになった。ふたりの老人は、彼らの夏の家の中で身を寄せて小さくうずくまり、やがて来るものを待った。





The End



(後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)





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3 コメント

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Unknown (風憩)
2011-06-25 10:07:07
たいへん面白く読ませて戴いました。
ありがとう。
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夏の話 (陰陽師)
2011-06-27 23:12:10
風憩さん、書き込みどうもありがとうございます。
この短編、おもしろいものでしょう?
わたしが大変好きなもののひとつです。
「さわやかさ」と「恐怖」って、なかなかワンセットになりにくいと思うんですが、これは両方のテイストがうまく混ざり合っているような気がするんです。夏の終わりのさわやかさとかすかな寂しさがいつのまにか得体の知れない恐ろしさになっていく。

そういえば、かの藤原敏行の有名な歌

 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども
  風の音にぞ おどろかれぬる

という歌に出てくる「風の音」というのは、人生の華やかな「夏の日々」にさっと吹き込む「死の気配」ということだ、という解釈を読んだことがあるんです(柴田翔『詩に誘われて』)。
夏の終わりというのは、「死」の気配を人に感じさせる季節なのかもしれませんね。

書き込み、ありがとうございました。
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Unknown (風憩)
2011-07-15 12:52:55
あの後、「くじ」なども読ませていただきました。「くじ」とこの作品を比較しますと、わたしは断然、この作品のほうが好きです。描写が丁寧で、いい文章だと思います。くじのほうは勢いであっという間に書いた作品という感じで。
 このサイトで、ジョン・チーバァーという作家も初めて知りました。
 普段、あまり小説を読まないのですが、この作家の作品も面白いと思い、「橋の上の天使」という短編集を今、よみはじめたところです。
 また、すこしづつこのサイトで、翻訳された作品を読んでみたいと思います。

 
 
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