陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン「夏の人びと」その8.

2010-07-19 22:49:54 | 翻訳
その7.

 アリスン夫人は息子の見なれた手書きの文字に、自分でも意外なほど、夢中になって目を凝らした。どうして手紙が来たぐらいでこんなに興奮してしまうのだろう。その理由がわからない。もしかしたら、ずっと待っていたあとで、やっと受けとったからだろうか。きっと明るくて礼儀正しい、アリスと子供たちがああしたこうしたということから始まって、自分の仕事の進み具合が続き、シカゴの最近の天気にふれたあと、「愛をこめて」で終わる手紙だ。
アリスン氏もアリスン夫人も、子供たちの手紙のパターンならすっかり呑み込んで、暗唱することだってできただろう。

 アリスン氏はたいそう慎重に封を切り、それから中の便せんを台所のテーブルに広げた。ふたりはかがみ込んで一緒に読み始めた。

「親愛なるお父さん、お母さん」と手紙は始まっていた。ジェリーの見なれた、いささか子供っぽい筆跡である。
この手紙もいつも通り、湖へ届いたようで、良かったです。いつも、お父さんたちが少し帰りを急ぎすぎるんじゃないか、そっちで好きなだけ過ごしたらいいのに、と思っていました。アリスも言ってるんですが、いまはもう、前みたいに若いわけじゃないし、自分の時間をどう使おうが自由なんだし、つきあいのある人も少なくなってきたんだから、楽しめるうちになんでも楽しいことをやればいいんですよ。お父さんもお母さんもそちらで楽しく過ごしているのなら、滞在を延ばすのはいい考えだと思います。

 アリスン夫人は落ち着かなげに、隣の夫をちらりと見やった。夫は真剣な面もちで手紙を読み耽っている。夫人は自分でも何をしようとしているのかわからないまま、手を伸ばして空の封筒を取り上げた。いつもと同じ、ジェリーの手書きで宛名が記され、「シカゴ」の消印が押してある。シカゴの消印があるのはあたりまえじゃない、と即座に夫人は思い直した。どこかよその消印かもしれない、なんて考える理由がどこにあるっていうの? 手紙に目を戻すと、夫は便せんをめくっていたので、そこから一緒に読み始めた。
……もちろん、あの子たちがいまのうちに麻疹だのなんだのをすませておけば、あとあとずっと楽なんですから。むろんアリスは元気だし、ぼくもそうです。最近ではカラザーズ夫妻、お父さんやお母さんは知らないでしょうが、その人たちと、よくブリッジをやっています。ぼくらと同年代の、おもしろい若夫婦です。さて、もうこれ以上、ぼくのあれやこれやを聞くのにもうんざりしているのではないですか。だからここらでペンを置くことにします。

シカゴの事務所のディクスン老が亡くなったこと、お父さんにお知らせしておきます。ディクスンさんはお父さんがどうしているか、よく聞いていたのですが。

湖で楽しい日をお過ごしください。何も急いで帰ってくることはありませんからね。


             家族全員の愛をこめて ジェリー
 
「おかしいな」アリスン氏はひとこと言った。
「何だかジェリーらしくないわね」アリスン夫人も小さな声で言った。「あの子が書く手紙はこんな……」夫人は言いよどんだ。

「どんな手紙だ?」アリスン氏は尋ねた。「どんなところがあの子の手紙らしくないって言うんだ」

 アリスン夫人は眉をひそめたまま、手紙を最初に戻した。どの文章を取っても、どの言葉づかいも、ジェリーのいつもの手紙とちがうところを指摘することはできない。おそらくこの手紙が遅くなったからそんなことを思ってしまうんだろう。さもなければ、いつもとはちがって、封筒に汚れた指紋がたくさんついているから。

「わからないわ」いらだたしげに夫人は答えた。

「もう一回、電話をかけてくる」アリスン氏は言った。

 アリスン夫人は何かおかしな文章がないか見つけようと、さらに二度手紙を読み返した。そこにアリスン氏が戻ってきて、ひどく静かな声で言った。「電話が死んでしまった」

「何ですって」アリスン夫人の手から、手紙が滑り落ちる。

「電話が通じないんだ」アリスン氏はもう一度言った。




(この項つづく)