陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その6.

2010-04-28 23:31:13 | 翻訳
6.

 日中、シニョーレは仕事に行ったが、ローマにいた頃は王女のように暮らしていたシニョーラが、新世界では秘書になってしまったようだった。もしかしたらおふたりは貧乏になったのだろうか。だから、奥様も働きに行かなくてはならなくなったのだろうか。いつも電話で話したり、なにやら計算をしたり、手紙を書いたりと、秘書さながらの仕事をしている。日中はいつも何かに追い立てられて、夜になるとぐったり疲れているところも、秘書そっくりだ。シニョーレたちがともに、夜は疲労困憊しているせいで、家の中はローマにいたころのように、心安らぐ場所ではなくなってしまっていた。

とうとうたまりかねて、シニョーレに、どうして奥様に秘書なんかをさせていらっしゃるのですか、と聞いてみた。ところがシニョーレは、家内は秘書をしているわけではないんだ、貧しい人びとや体や心の病気の人びとのために、お金を集めるので忙しいだけなんだよ、と教えてくれた。話を聞いて、クレメンティーナはひどく不思議な気がした。

気候も彼女には何だかおかしいように思われた。蒸し暑いし、肺や肝臓に悪いような気がする。ただ、いまの季節、木々の色鮮やかなこと――これまでには紅葉など見たことがなかった。木々の葉が金色や赤や黄色に変わって、ローマやヴェニスにある天井の壁画から、絵の具が落剥するように、葉が宙にひらひらと舞うのだった。



 同郷人がひとりいた。牛乳を配達しているジョーという老人が、南イタリアから来ていた。六十代かもう少し上で、腰をかがめて牛乳瓶を運んでいる。それでも一緒に映画を観に行き、映画の筋をイタリア語で教えてもらった。つねられたかと思うと、結婚を申し込まれたのも映画館だった。クレメンティーナにしてみれば、まったくの冗談としか受け取れなかったのだが。

新世界では奇妙な祭りを祝った。七面鳥を供えるのだが、祀るはずの聖者がいない。イタリアではナターレの時期だったが、ここまで聖母マリアや聖なる御子に対して無礼な祝祭は見たことがなかった。

まず、彼らは緑の木を買ってきて、それから応接間に据える。そうしてその木が悪しきものを鎮め、祈りを聞き届ける聖者であるかのように、きらきら輝くネックレスをぶらさげるのだ。マンマ・ミーア! 木だなんて!

彼女が告解に行くと、神父は日曜ごとに教会へ来ないと言って、おまえには悪魔の尻尾を与える、と告げるような厳しい人物だった。ミサに行けば、三度も献金箱が回ってくる。ローマに戻ったときには、新世界の教会では、キスをするための聖者の手根骨すらない(※カトリック教会では崇敬の対象に聖人の遺骨の一部が保管されている)ことを新聞に投書してやろう、と考えた。緑の木を祀り、聖母マリアの受難を忘れてしまっていることや、献金箱が三度も回ってきたことも書かなくては。

やがて雪が降ったが、ここでの雪はナスコスタより、ずっとすてきなものだった――オオカミはおらず、シニョーレたちは山でスキーをし、子供たちは雪遊び、家はいつも暖かに保たれていた。




(この項つづく)