陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その2.

2010-04-24 22:28:43 | 翻訳
2.

 ローマでは、藁の上で眠り、手桶の水で体を洗う毎日だったが、確かに通りは目を奪うようなものだった。とはいえ、長い時間働きづめで、街をぶらつこうにも、その暇はほとんどなかったのだが。男爵は一ヶ月に1万2千リラ払うと約束してくれていたが、最初の一ヶ月が過ぎてもただの1リラも払ってくれず、二ヶ月目も同じだった。料理人が、旦那はしょっちゅう田舎から娘を連れてきちゃただ働きさせてるんだよ、と教えてくれた。

ある晩、男爵のために扉を開きながら、できるだけ失礼にならないように、給金がどうなっているか聞いてみた。ところが男爵は、おまえには部屋を与えているじゃないか、あの村からだって出してやった、それもローマに、と言い捨てた。ろくに教育も受けていない彼女には、言い返すことができない。通りへ着て歩けるような上着の一枚も持っていなかったし、靴には穴が空いていた、食べるものといえば、食卓の残り物だったのに。わかったのは、ほかの仕事口を探さなければならない、ということだった。ナスコスタに帰ろうにも、帰る金さえないのだから。

つぎの週、料理人のいとこがお針子兼女中の仕事を見つけてくれた。そこで彼女はこれまで以上に懸命に働いた。ところが月の終わりになっても、給金は出ない。そこで彼女は、奥様がレセプションに着ていけるよう頼まれたドレスは、お給料をいただけるまで仕上げません、と抵抗した。女主人は怒って頭の毛をかきむしったが、給金は払ってくれた。

その晩、例の料理人のいとこが、アメリカ人が女中を探しているらしい、という話を教えてくれた。汚れた皿は全部かまどに突っこんで、洗ったことにして、聖マルチェロに祈りを捧げた。思いはローマの街を横切って、アメリカ人の家へ飛んでいく。その晩は、通りの女の子たちがみな、その仕事口を手に入れようとしているような気がした。

アメリカ人の家というのは、男の子がふたりいる一家だった。教養ある人びとという話だったが、彼女の目には、地味で精彩に欠ける人たちにしか映らなかった。だが、給金は二万リラ払ってくれるという。おまけに居心地の良さそうな部屋へ案内すると、ここを使ってほしい、不都合がなければ良いのだが、と言うものだから、その日の朝の内に、彼女はアメリカ人の家に引っ越していった。



 アメリカ人というのがどんなものか、それまでにもいろいろ聞いていた。どれほど気前が良く、無知であるか。うわさのいくばくかはほんとうだった。一家はたいそう鷹揚で、彼女を客か何かのように扱ってくれる。用事はかならず「暇なときでいいから」とお願いされるし、木曜日と日曜日には「出かけてきたら?」と勧められた。

主人(シニョーレ)は長身でひどく痩せており、大使館で働いていた。短く刈り込んだ髪は、まるでドイツ人か囚人か、そうでなければ脳の手術をして回復途上にある病人のようだ。黒くて硬い毛を伸ばしてカールでもさせれば、通りの女の子たちもみんなうっとりすることだろう。だが、毎週床屋に行って、せっかくの男ぶりを台無しにしてしまうのだった。ほかの面ではたいそう慎み深く、ビーチでさえも体をすっぽり隠す水着を着ているくせに、通りを歩くときには、自分の頭のかたちを衆人環視のうちにさらしてはばからないのだから。

女主人(シニョーラ)はきれいな人で、大理石のように白い肌をしており、たくさん服を持っていた。広い屋敷と楽しいことがたくさんある生活がいつまでも続くよう、クレメンティーナは聖マルチェロに祈りを捧げた。

一家は電気代などというものが存在しないかのように、明かりという明かりを一晩中つけっぱなしにしていた。夕方、肌寒いというだけで暖炉で薪を燃やし、冷えたジンとベルモットを夕食前に飲む。

彼らは体臭までもがちがっていた。どうしてこんなにかすかにしかにおわないのだろう。貧弱な体臭。もしかしたら北部人の血と何か関係があるのかもしれない。それともしょっちゅう熱い風呂に入るせいだろうか。あんなにやたらと熱い風呂に浸かって、よく神経衰弱にならないものだ、と不思議に思った。

アメリカ人もイタリア料理を食べ、ワインを飲んでいるのだから、もっとたくさんパスタとオイルを摂るうちに、強い、健康的なにおいを発するようになるにちがいない。そう思ってときどき食卓で給仕をしながらにおいをかぐのだが、一向に強くなるようなこともなく、においなど感じられないことさえあった。

子供たちは甘やかされていて、両親に向かって横柄な口を利いたり、かんしゃくを起こしたりすることもあった。そんなとき、何より必要なのは鞭なのに、彼らは決して子供に鞭を使わない。この外国人ときたら、怒声を上げることすらしないで、ただ、お父さんとお母さんは大切なのだと説明するだけだった。あまつさえ、末っ子が悪いことをしたときには、母親は鞭で打つ代わりにおもちゃ屋へつれていき、ヨットを買ってやることまでした。

さらには、正装して夕方から出かけるようなときには、シニョーレは呼び鈴を鳴らしてクレメンティーナを呼びつける代わりに、まるでヒモか何かのように、自分から妻のボタンをかけてやったり、真珠のネックレスをとめてやったりしていた。





(この項つづく)