陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その4.

2010-04-26 22:56:34 | 翻訳
その4.

 七月になると、アメリカ人一家について山へ行き、八月にはヴェニスへ、そうしてローマに戻ったときには秋になっていた。一家はどうやらイタリアを離れるらしく、その話をしていることが彼女にも察しがついた。地下からトランクを引っ張り出して、彼女もシニョーラの荷造りを手伝った。

いまや彼女は靴を五足、ドレスを八着持っているし、銀行には預金まである。もうローマ人の屋敷で仕事を探すのはいやだった。ローマ人にまたこき使われるかと思うと、気持ちがふさぐ。ある日、シニョーラのドレスをつくろいながら、意気消沈していた彼女は不意に泣き出してしまった。そうして、これまでローマ人の家で、どれほど辛い仕打ちを受けてきたか、シニョーラに切々と訴えたのだった。それを聞いてシニョーラは、もしあなたが行きたければ、新大陸へ連れていってあげてもいいのよ、と言ってくれた。

六ヶ月間の短期滞在ビザをシニョーレたちが用意してくれた。そのあいだは楽しく過ごせるし、この一家のために働ける。出発準備がすべて終わると、ひとりでナスコスタへ向かった。母親は「行かないでおくれ」と泣きながらかきくどいたし、村の誰からも「行くんじゃない」と反対されたが、村の者たちが自分をねたんで言っているのはわかっていた。この人たちはどこにも行くチャンスがないんだ――コンキリアーノにさえ。

自分が育ち、幸せだった場所も、いまの彼女の目には、過去の世界にしか映らなかった。習慣も、立ち並ぶ壁も、生きている人間よりはるかに長い歴史を持っていた。わたしはきっと新しい世界で、壁も何もかも新しい世界で、幸せになれる、と思った。たとえそこに野蛮人しかいなかったとしても。



 出立が近づいて、一家はナポリへ車で向かった。途中、シニョーレがコーヒーとコニャックを補給するたびに車を停め、百万長者のような悠々とした旅である。ナポリの豪華ホテルには、彼女のために一部屋用意してあった。

だが、船出の朝になると、自分でも驚くほどの悲しみが襲ってきた。どうして自分の国を離れてちゃんと生きていけるだろう? 気を取り直そうと、自分に言いきかせる。ちょっと船に乗るってだけじゃないの。あたしは六ヶ月したら戻ってくるんだ。第一、たとえ見たことがないにしても、そこも良き主がお作りになった世界よ。どうしてそこが、こっちとはまるでちがう、おかしな場所ってことがあるだろう。彼女はパスポートにスタンプを押してもらい、大泣きしながら船に乗り込んだ。

船はアメリカ船で、真冬並みに寒く、昼食に出たのは氷水だった。火の通った料理は、味も素っ気もなく、調理はへたくそで、アメリカ人に対する憐れみの情がここでもわき起こった。この人たちは親切で気前がいいけど、ものを知らないし、男は奥さんの真珠のネックレスを留めてやるようなことまでする。あの人たちはあんなにお金を持っているくせに、皿いっぱいに広がる生焼けのステーキを、薬みたいな味がするコーヒーで飲み下すことしか知らないんだから。

乗船客は、美しくもなければ、エレガントでもない、薄い色の目をした人びとだった。何より、船内の老婦人たちにはうんざりさせられる。故郷のおばあちゃんたちはみんな、誰かしら亡くなった人を悼んで黒い服を来てるし、そのくらいの年齢になると、そういう格好が一番よく似合うわ。動作もゆっくりとして、落ち着きがあるし。だけど、ここにいるおばあちゃんたちはみんな、キーキー声でしゃべるし、派手な服を着て、ナスコスタの聖母みたいに宝石で飾り立てる。おまけにその宝石はみんなニセモノじゃない? 顔を塗りたくって、髪を染めて。だけど、誰がだまされるだろう。あのお化粧の下に老けた顔があるのはすぐわかる。ほっぺたも首も、カメの首みたいにしわくちゃで。おまけに故郷のおばあさんたちは春の野原みたいな匂いがするのに、ここの人たちはお墓の花みたいにしおれて、かさかさになってるし。あの人たちって藁みたい。おそらくこれが未開の国ってことなんだろう。年寄りが、分別もたしなみもないし、これじゃあの人たちの子供も孫も、尊敬することなんてできやしない。亡くなった人たちのことも、すっかり忘れてるんだから。



(この項続く)





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