陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

赤いニシン

2010-04-05 23:17:37 | weblog
英語にはred herring という言葉がある。
red は赤で、herring はニシン、赤いニシンとは薫製にして赤くなったニシンのことだが、食べ物をさすのではない。

検索してみると、わたしのサイトをリンクしてくださっている eigo21com でもこの言葉を取り上げていて、大変わかりやすくまとまっているので、このページをどうぞ。

http://www.eigo21.com/etc/kimagure/z122.htm

うーん。ためになるサイトだ。

で、こちらはためにならない話をもう少し続ける。

どういうのがレッド・ヘリングかというと、たとえばこんななぞなぞはどうだろう。

「ゾウを冷蔵庫に入れます。どうやったらいいでしょう」

答えは
1.冷蔵庫のドアを開けます。
2.冷蔵庫にゾウを入れます。
3.冷蔵庫のドアを閉めます。

なんのこたあない、冷蔵庫にマヨネーズを入れるのと一緒である。問われているのは「入れる方法」なのだから。まあずいぶん大きな冷蔵庫が必要ではあるが。

ここでのレッド・ヘリングは「ゾウ」だ。なにしろあの大きさのゾウだから、ゾウのサイズで頭がいっぱいになってしまって、「ゾウ」の項に「マヨネーズ」が入っているのと同じ答え方をしたらいいことに頭が回らない。

推理小説ではこのレッド・ヘリングはいたるところにちりばめてある。「マクベス殺人事件」にも出てくるけれど、「だれだってあの夫婦が一番怪しいと考えるわよね、だけどそういう人が犯人だなんてことはあり得ないの」ということになる。いかにも「一番怪しい」のがおとりのエサ、レッド・ヘリングなのである。

もちろんこの小説も、レッド・ヘリングに当たるのは、かの『マクベス』なのだが、『マクベス』をあくまで推理小説と読んでいくアメリカ人女性が楽しい。

ところで、アメリカのドラマ『ザ・ホワイトハウス』のDVDを見ていたら、こんなレッド・ヘリングが出てきた。

ある信心深い男がいた。
そこに、洪水が来るぞ、という知らせがラジオから聞こえてきた。避難するように言われた。男は、大丈夫、わたしは神を信じている、神はわたしをお見捨てになったりしない。
つぎに、ボートに乗った男が来た。一緒に避難しよう。そこでもまた男は、大丈夫、神はわたしを守ってくださる、と断った。
やがてヘリコプターが来た。早くこのロープにつかまれ。
男は、大丈夫。神が助けてくれるから。
男は死んだ。
審判を受ける前に、男は頼んだ。神に会わせてくれ、ひとこと言いたいことがある。
男は神に言った。自分はこれまでひたすらに神を信じてきた。日曜は欠かさず礼拝に行き、神に仕えてきた。なのにどうして自分を見捨てたのか。
神は言った。自分は助けを出した。それも三度も。どうしてその助けに応えなかったのか。

ここで、男のレッド・ヘリングとなっているのはなんなのだろう。
いわゆる「救済」のイメージ、雲間から光が差しこみ、天使が現れてくるような、男が自分で思い描く、「助け」とはこういうものだ、というイメージなのである。
そのイメージがレッド・ヘリングになってしまって、男に正しい判断をさせないのである。

だが、こんなことは実際にわたしたちの日常でずいぶんあることだろう。

うまくいかない、なぜなんだ、どうしてうまくいかないんだ、と苦しんでいる。誰も助けてくれない、なぜ、みんな見て見ぬふりをするんだ、と怒りを内に溜めているかも知れない。

けれども、ほんとうはさまざまな形で「助け」は与えられているのではないのか。「いま」の自分が思い描く「助け」ではないから、それに気が付かないだけであって。

そうして、自分が望む「助け」、思い描く「助け」は、あくまでも「いま」の段階の自分の限界のうちにある「助け」である。けれども、問題に突き当たっている自分が望む助けでは、おそらくその問題を乗り越えることはできない。

おそらく問題を乗り越えることに手を貸してくれるのは、それまでの自分が思いもかけないもの、予想だにしなかったものだろう。現在の限界のうちにある自分の前に、夢にも思っていなかった形の「助け」が現れる。それにすがることができるか、それともやりすごしてしまうか。

そう考えていくと、「助け」を見つけるということは、すなわち、助けを「助けである」と理解することは、それだけでその問題を解決していることになるのではあるまいか。

洪水で、避難しなさい、というラジオの警告に従った人にとって、「洪水」は対処すべきことがらであって、「神の救済が得られるかどうか」という問題ではない。

つまり、問題を解決するということは、数学の問題に答えを出すこととはちがって、それがもはや問題ではなくなる方法を見つける、ということなのだろう。

そうして、その方法はおそらくわたしたちの目の前にあるのだ。ちょうど、キツネが猟犬のすぐ近くにいるように。難問にがんじがらめになっているときのわたしたちは、きっと「レッド・ヘリング」にしてやられているにちがいない。