陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その1.

2010-04-23 21:59:42 | 翻訳
今日からジョン・チーヴァーの「クレメンティーナ」を訳していきます。12日くらいを目途にしています。まとめて読みたい方はそのくらいに来てみてください。

これまで訳してきたを見ても、チーヴァーというと、ニューヨーク郊外に住む中流階級の人びとに潜む不安や怖れを描いた都会派の作家、という印象が強いのですが、この作品は珍しいことにイタリアの小さな村「ナスコスタ」から話が始まります。

原文はhttp://members.multimania.co.uk/shortstories/cheeverclementina.html
で読むことができます。


* * *

Clementina (クレメンティーナ)

by John Cheever


1.

 娘はイタリアの小さな村、ナスコスタで生まれ、そこで育った。それは不思議な日々だった。宝石の奇跡が起こり、オオカミの冬があった……。

娘が十歳のとき、晩課の終わった聖ジョヴァンニ教会に泥棒が入った。聖処女マリア礼拝堂に保管されていた宝石が盗まれたのである。宝石は、昔ナスコスタで療養し、肝臓病が快癒した王女が、聖母マリアに奉納したものだった。

翌日、伯父のセラフィノが山に向かって歩いていると、古代エトルリア人の墳墓だった洞穴の入り口で、全身まばゆいばかりに輝く子供が手招きしている。セラフィノは驚き、あわてて逃げ出した。ところが帰るとひどい熱だ。そこで神父を呼んで自分が見たものを告げた。神父がその洞穴に行き、天使が立っていたあたりの落ち葉をかきわけてみると、聖母の宝石が隠されていた。

同じ年、農場の下の道で、いとこのマリアが悪魔に出くわした。角を生やし、尖った尻尾に、ぴったりとした赤い服、絵で見たことのある悪魔とそっくり同じいでたちをしていた。

大雪が降ったのは、娘が十四歳の年のこと。ある晩、暗くなってから水を汲みに行き、当時一家が住んでいた塔に戻ろうとしたところ、オオカミの姿を見つけた。六、七匹の群れが、雪の降り積もったカヴール通りの石段を駆け上ってくる。水差しを取り落とし、塔に飛び込んだ。恐ろしさに舌がふくれあがる思いだったが、それでもドアの隙間から外をのぞいてみた。イヌよりも貧相で、ぼろぼろの薄汚い毛のあいだからあばら骨が浮き出している。口からしたたり落ちる血は、羊の殺戮のあかしだろう。

心底おびえながらも、娘はオオカミに心奪われた。雪原をひた走る姿は、さながら死者の霊魂が飛びすさっていくところか。もしかしたら、何かしら人知を超えたものの一端なのかもしれない――生命の核心にふれるような何かが飛んでゆく……。オオカミの姿が消えてしまえば、自分が見たものは、とても実際に起こったこととは思えなかった。もし、雪の中に足跡さえ残っていなかったなら。

十七歳になると、娘は召使いとして丘の上の館に仕える身になった。あるじは地位の低い男爵である。夏のある夜、アントーニオ男爵は牧草地で娘を「露に濡れたバラ」と呼び、娘は気が遠くなりそうな思いをした。神父に一夜のことを告解すると、償いが与えられ、神父は罪を赦してくれた。だがその告白が六度目に及ぶと、神父が、あなたがたは結婚しなければなりません、と言ったので、アントーニオはいいなづけになった。

だが、アントーニオの母親は娘が気に入らず、三年経ってもクレメンティーナはまだ彼のバラのまま、アントーニオは彼女の婚約者のまま、結婚という言葉が出ようものなら、アントーニオの母親は頭をかきむしって悲鳴を上げる。秋が来て、男爵は彼女に、召使いとして一緒にローマに来てくれ、と頼んだ。夜ごと、ローマ法王にお目にかかる夢を見、夜もなお、街灯が昼間のようにあたりを照らしている通りにあこがれてきた彼女に、どうしてそれを断わることができただろう。




(この項つづく)