陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

あなたはどんな人

2010-04-16 23:38:29 | weblog
「性格診断」でも「ストレス度チェック」でもいいのだが、あの手の質問を見ていると、わたしはいつも猛烈にアヤシイ気持ちになってしまう。

たとえばあなたは
「結果が悪いととても気になる」とか
「自分自身に厳しく、なんでもきちんとしなければ気が済まない」
などという質問に、いったいどこまで真剣に答えられますか?

これがストレス度チェックなら、「とても」にマルをつければ、ストレスポイントが1点加算されるだろうし、性格診断なら几帳面ポイントが1点加算されるだろう。
つまりは、わたしたちは質問項目を見たとたん、文字通り何を聞かれているかだけではなく、「この質問が意図することは何なのか」を理解しているからだ。
そうしてわたしたちはその質問の意味を了解した上で、自分の望む方向に――たとえばストレスが溜まっているなあ、と思えばそんな結果が出るように、おおざっぱで楽天的な性格だ、と思っていれば、そんな結果が出るように、かならず答えを誘導しているはずだ。
というのも、この手の質問は、どのような人であっても、どのようにも答えられるからだ。

どれほど几帳面な人であっても、ずぼらな面はかならずあるし、面倒になるときも、やる気が出ないときもある。ふだんグータラと陰口をたたかれるような人でも、自分の集めているフィギュアには、毎日ホコリを払って、整理整頓しているはずだ。自分の「どの面」を選ぶかは、その人次第なのである。

だからこそ、結果を見て「当たった」ということになる。自分でそうやって編集しているのだから、当たり前なのだが。

「尊敬する人物は?」
という質問にしても、現実に自分が尊敬するおびただしい人の中から、「自分をどう見てもらいたいか」に応じてわたしたちはあげる人を選ぶ。

好きな本、好きな音楽、好きな映画、趣味……。「一番好き」なものが決まっているわけではない。そのとき思いつくさまざまな答えをつなぎ合わせて、自分のイメージを作り上げているのだ。

だが、そんな「これがわたしです」というアンケートや質問よりも、仕事の仕上げ具合や、料理や、部屋の掃除の仕方や、人に相対するそのやり方などの方に、よほど「その人」があらわれるものではないのだろうか。

高校生のころ、よく「こんな試験の点数で、自分の一体何がわかるんだ」などと言っていたが、実はおびただしいことがわかるのである。単に「できるかできないか」だけではないのだ。決められた時間で、その人がどれだけ準備をしてきたか。必要な勉強のために、適切な本を選ぶことができたか。手順に沿って思考を積み重ねることができるか。論理を伝える文章が書けるかどうか……。見るべきポイントは枚挙にいとまがない。そうして、それらのすべてが「自分がどんな人間か」を伝えているのである。

「いつもいろいろな可能性をさがしている。」という質問にマルかバツで答えるより、よほど「その人」が現れているのだ。

現に、わたしたちは周囲の人がどんな人か、つきあいに応じて相手を理解しているが、それはかならずしも当人の自分の理解と一致しているわけではない。まして、「わたしは優しい人間なんです」などという「こう見て欲しい」という自分が自分につけた「コピー」を鵜呑みにしてくれている、などとは思わないほうがいいだろう。




家のない人

2010-04-15 22:42:02 | weblog
二月か三月ぐらいから、近所でホームレスとおぼしい男性を見かけるようになった。
大きな荷物を抱え、いかにも目的があって、そこに向かっている、という歩き方で、まっすぐ前を見て大股で歩いているのだが、垢じみた黒光りする顔や、すりきれた服、穴の空いた靴、なによりもあたりにまきちらしている臭いなどのすべてが、彼が何と呼ばれる人かを雄弁に物語っている。

あんなにも早足で、いったいどこに向かっているのだろう。そういう歩き方さえしていれば、人は彼を駅へ急ぐ勤め人とでも思ってくれるのではないか、と考えているのかもしれなかった。

いまはわたしが住んでいる地域では、駅に横になっている人を見ることはないし、公園に住んでいる人もいない。遊歩道のベンチで寝泊まりしている人もいないし、歩道橋の下の段ボールの囲いももう見ることはなくなった。そのような境遇の人は減ったのだろうか。それとも、どこかへ追いやられているだけなのだろうか。わたしはよくわからない。

わたしが子供の頃は、身近なところで家のない人を見たことがなかった。初めて新宿駅につづく地下街で段ボールを敷いて寝転がっている人を見たときはぎょっとした。戦後間もないころの小説の中でしか見たことのない人が、現実にいたのだった。
当時はそういう人たちを、表立ってではなく、影へ回ってだと思うが、「浮浪者」と呼んでいたように思う。大学に入ったころ、河原町界隈を歩いている人を「レゲエのおじさん」と呼んでいるのを聞いた。と思ったら、いつのまにかそのちょっと揶揄したような言い方が、市民権を得たようになった。ほどなくその「レゲエのおじさん」の持っていた親しみは、「ホームレス」という、無機質で抽象化された言葉に取って代わられるようになる。


ときどき、家というのはどんなところだろうと思う。
昔といまとでは、家という場所の性格も、ずいぶん変わってしまった。かつて家は、体を休める場所、集まって食べる場所だけではなく、働く場所でもあり、生まれ、育ち、死ぬ場所でもあった。

だが、時代が下っても、しばらくは家族が集まって暮らす場所であり続けたのだ。
それがここ十数年のあいだに、単身世帯が大幅に増加するようになった。「団らん」という言葉は、家から消えようとしているのかもしれない。「家」という言葉が指すのは、「住居」であって、「家庭」という言葉も消滅しかかっているのかもしれない。

それでも家は単に寝るときの雨露をしのぐ、というだけの場所ではない。扉を閉ざすことによって、外部から身を守る。逆に、家によって守られることで、その内側にいれば、まったくの無防備になることができるのだ。守られ、疲労から回復し、その中で火をおこし、暖まり、飲物や食べ物を用意する、それが家だ。

そうして、自分の家には、自分の「物」がある。自分の本、自分のCD、自分の写真、自分の服、数々の「自分がこれまで何をしてきたか」「自分が誰であるか」を物語る物たち。家というのは、単にその場所を所有するということではなく、そこに住まうことによって、明日も生きていくことが約束されるような場所なのである。

その家を持たない人がいる、というのは、胸が痛む話だ。
胸が痛むから、見ないようにしているのか。臭いを嗅がなくてすむように迂回して、ひとりの人ではなく「ホームレス」と抽象化して。

その人が、顔を昂然と上げ、いかにも目的を持っているかのように歩いているのも、家の壁の代わりに、プライドという壁を作って、自分を守ろうとしているのかもしれない。




ネコがしゃべる話

2010-04-14 23:08:35 | weblog
自転車で走っていたら、ネコが目の前を横切った。あわててブレーキをかけたら、ネコは首だけこちらを向けて、「気をつけろよ」と言った。ほんとうは、いかにもそう言ったような顔をしただけなのだが。
まるで『物いう小箱』の中の話のように。

以前、ここで訳したサキの「トバモリー」もネコがしゃべる話だが、森銑三のネコは、もっとさりげない話なのである。

なんとも味わい深いいい話なので、ぜひ紹介したくなってきた。
短いので全文を引用する。

     春の日

 うららかな春の日に、浅井金弥のお婆さんは、新しい手拭を冠って、庭先の縁台で白魚を選分けていた。後の窓に、家の猫がうずくまって、お婆さんの手元を見下していた。ぶざまなほど大きい、年の行った男猫だった。

 お婆さんは選分けに余念がない。

 猫は睡そうな目付でそれを見ていたが、少ししてから、ゆっくりした調子で、
「ばばさん。それを、おれに食わしゃ」といった。

 おばあさんは、猫の言葉を聞いても、振向こうともしなかった。仕事の手も休めずに、子供でも叱るような口調でたしなめていった。

「おぬしは何をいうぞ。まだ旦那どんも食わしゃらぬに」

 猫は微かに苦笑したようだった。そして、仕方がないと諦めたのであろう、物憂そうに目を閉じだ。

 僅かに離れてこの様子を見ていた某は、猫とお婆さんとの対話に驚かされた。それで改めて猫を見、お婆さんを見たけれども、どちらにも何の変わった様子もない。暖かな日射が、お婆さんの頭の手拭を照らし、膝の上の白魚を照らし、窓の猫の背中を照らしている。のどかな春の日和である。

 今一言何とかいわないかしらと思ったけれども、猫は睡ってしまったらしい。それなり口を利かなかった。

小泉八雲の『怪談』を愛した森銑三は、八雲風の怪談をいくつも書いた。『物いう小箱』はそんな掌篇を集めたものだが、これはその中でも淡い、花びらがふわりと地面に落ちるような作品である。

その情景が目に浮かぶようで、こんなことがあるわけはないのに、どこかありそうな気がしてくる。ネコは確かにこちらに向かって「ゆっくりとした調子で」話しかけてくるのだ。わたしたちの耳には「にゃー」としか聞こえないのだが。

幻想的な話、というと、現実からかけ離れた話、と考える人が多いのかもしれない。けれども『物いう小箱』を読んでいると、そうではないことがよくわかる。
 猫は睡そうな目付でそれを見ていたが、少ししてから、ゆっくりした調子で、
「ばばさん。それを、おれに食わしゃ」といった。

これは、ネコの人間の顔を見るときの表情や仕草を伝えるための、一番適切な描写なのかもしれない。


「見た目」におさまらない「顔」

2010-04-13 22:51:32 | weblog
このあいだ訳した『ロイス・タゲットの長いデビュー』の中に、財産目当てで結婚した男が、ロイスの無防備な寝顔を見て、恋に落ちるという場面がある。ロイスの無防備な顔に恋をした、というより、生まれて初めて女性の無防備な寝顔を朝の光で見て、恋に落ちたわけだ。そういえば、ハンバーガーにかぶりつくときの顔を見て、それまで何とも感じたことのない相手だったのに、急に意識するようになってしまったという話を聞いたことがある。つまり、ここでのポイントは「意外性」ということだ。ふだんふざけてばかりいる人が見せた真剣な顔に胸がドキドキした、などという系統の話なら、枚挙にいとまがないだろう。

もちろん逆のパターンもあって、ロッド・スチュワートの「マギー・メイ」という歌では、高校生の男の子が同棲、というか、転がり込んでいる年上の(母親の年ほどの)女性の寝顔を朝の光で見て、彼女の年齢をはっきり意識してしまい、家へ帰って学校へ戻ろうか、と考える。

こう考えていくと、意外性だけとも言えなくなるような気がしてくる。
起きているときなら、お化粧もするし、何よりもさまざまな表情を浮かべている。対面する相手は、その表情の意味を読み取るのに忙しい。そのおかげで「顔」そのものを見ることもない。無防備な相手の寝顔は、その人の「顔」そのものをむきだしにしているのかもしれない。

ところが自分の無防備な顔となると、わたしたちはそれがどんなものなのか、知らないのである。

鏡の中をのぞきこむとき、わたしたちは「こう見てほしい」という顔をしている。決して無防備な顔に「なる」ことはできない。意識して、ぼーっとしてみよう、ゆるんだ顔をしてみよう、と表情を変えてみても、それは単に表情を作っているだけで、本物の「無防備さ」とは縁もゆかりもないものだ。ロイスにせよ、マギー・メイにせよ、自分が浮かべている表情がどんなものか見ることができたら、きっと上掛けをかぶせてしまいたくになるにちがいないだろう。

誰かが恋に落ちるかもしれないし、逆に愛想をつかされるきっかけになるかもしれない自分の「顔」がどんなものか、わたしたちには決して知ることがない。ほかの人がまず最初に見る自分の部分なのに。

たまに三面鏡などを使って、自分の横顔を見て驚くことがある。自分を横から見たら、こんなふうになるのだろうか。自分はこんな横顔なのか。
正面から見たにしても、鏡の中の顔は、左右が逆なのだ。ほくろや髪の分け目だけではなく、目の形でも左右対称ではないし。わたしたちが鏡の自分の姿に違和感を覚えないのは、ほんとうの顔を知らないから、というだけのことではないのだろうか。
写真にしても、かならずしも正確な姿を映し出すものではないことは、ほかの人の例でも明らかだ。

わたしたちは「自分の顔」を知らない。

こんなことを言うのも、先日図書館に行ったとき、予約の棚に『人は見た目が9割』という本がたくさん並んでいたのを見たのだ。ずいぶん人気のある本のようで、同じ本が7~8冊も並んでいる。いったい何が書いてあるかあまり知りたいという気持ちも起こってこないのだが、おそらく「人は見た目が9割だから、身だしなみに気をつけましょう」といったことが書いてあるのではないか(ちがってたらごめんなさい)。

けれど、自分の「見た目」がいったいどんなものか、わたしたちは決してそれを知ることはできないのではあるまいか。身だしなみにどれだけ気をつけても、それが「どう見えるか」をわたしたちは「見る」ことはできないのだ。ましてそれを見た人が「どう感じるか」ともなると、なおさらである。知らないものを、いったいどう調整することができるのだろう。こう見て欲しい、と演出したところで、相手がそうは見てくれるかどうか、いったいどうやって知るのだろう。

確かに、わたしたちはほかの人と知り合うとき、まず相手の「顔」と向きあう。「見た目が9割」を意識して、演出した顔。こう読み取って欲しいという表情を浮かべた顔。けれども、ほんの一瞬浮かべる無防備な顔は、「顔」そのものを浮かび上がらせるのではないだろうか。そんな「顔」そのものは、どんな演出より強烈に、わたしたち「そのもの」を浮かび上がらせてしまうのではないか。


花のころ

2010-04-09 23:53:21 | weblog
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という一節は、わたしは耳で聴いたのが最初だ。
中学の時、国語の先生が、学期の終わりだったかに、授業の中身とは関係なく、読んでくれたのだ。

いまのように『檸檬』も有名ではなかったような気がする。ともかく、わたしは梶井基次郎という名前も知らなければ、そんな文章から始まる短篇がありうるのだということも知らない頃だった。

耳で聞く話は、より一層の喚起力をもって、胸に届いた。字面で見るよりはるかにくっきりと、その情景が浮かんできた。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。」

朗読聞いてからというもの、桜を見る目が変わった。のちに坂口安吾の『桜の森の満開の下』を読んで、いよいよ「桜」が「ものくるおしいもの」「見えない部分におぞましいものを秘めたもの」に思えてきた。そんな木の下にすわってよくも呑気に飲み食いができるものだ、と花見客を後目にそんなことを考えていたものだ。

それからずいぶん時が過ぎ、いつのまにか桜は桜で、そうした作品のイメージとは別個に、花が咲けばその下を、花が咲いたというだけでうれしい気持で通ることができるようになっていた。

整然と植えられた桜並木は、夜でもライトアップされていて、あやしさとも、ものくるおしさとも無縁だったのである。

それが一度、ぎょっとするような思いで桜の木を見上げたことがある。十一月の、紅葉の季節だったのだ。夜、ライトが当たって浮かび上がる半ば葉の落ちた桜の木は、光の加減で、季節はずれの満開の桜に見えたのである。秋の夜、こつぜんと現れた満開の桜。確かにそれは恐ろしいものだった。

小泉八雲の怪談集を森銑三と萩原恭平が共訳した本で『十六桜』というものがある。

そのタイトルにもなった「十六桜」というのは、伊予国和気郡にある旧暦の正月十六日に、その日だけ咲く桜のことである。その日桜がなぜ咲くか。それがこの話なのである。

伊予国に、自分の家に桜をたいそう愛でている武士がいた。子供のころは樹の下で遊び、先祖代々、花の咲いた枝に歌を記した短冊をつるしてきた。やがて子供にも先立たれ、桜を除いては彼の愛を受けるものもなくなった。それが、ある年の夏、その桜の老木は枯れてしまったのである。

彼はたいそう悲しんだ。親切な隣人が、同じような桜を庭に植えてくれたことさえも、彼の悲しみをいっそうかき立てることになった。彼が愛したのはその樹だったのである。

 つひに幸福な想ひが彼に来ました。彼は枯れた樹を救ふことの出来る方法を思ひ浮かべたのでありました。(それは正月の十六日でした)彼はひとりで庭に行き、枯れた樹の前に拝跪し、それに語つていひました。

「お願ひだ、どうかも一度花を咲かせておくれ。――わしはお前の身代りになつて死なうから」(といふのは、人は神々の恵みにより、その生命を他の人、或は動物、或は樹木にさへも実際に与へることが出来ると信ぜられてゐるからである――そしてかやうに生命を移すことは、「身代わりに立つ」といふ言葉を以ていひ現される)そこで彼はその樹の下に、白布と何枚かの敷物を敷き、その敷物の上に坐つて、武士の作法どほりに切腹しました。そして彼の魂は樹の中に入り、同時に花を開かせました。

 かうして毎年、雪の季節の正月十六日に今もなほその樹には花が開くのです。
(小泉八雲『十六桜』森銑三・萩原恭平訳 研文社)

わたしたちはあまり樹が死ぬ、というふうには考えない。葉が枯れ、裸木になったとしても、太い幹ががっしり立っている限りは、またつぎの年も花が咲き、葉を繁らせることを知っている。けれども花が咲いたのを目の当たりにするとき、そこに改めて〈生〉というものをありありと感じ取ることができるのだろう。

春が来れば花が咲く。桜の生は続いていく。人が去り、移りゆく世界の中にあって、生き続ける桜の存在は、どれほどその武士の心の支えになったことか。

それが予想もしなかったことに、桜が枯れた。そこで彼は自分の生命を「永遠」に捧げるのである。自分の命を永遠とひとつにしたのである。
こうした世界観は八雲にとって、おそらく驚きだったろうし、同時に強く引かれもしたのだろう。

けれども、同じ春に咲く花でも、辛夷や木蓮にくらべて、満開の桜はどこか過剰な印象を受ける。生の奔流というか、ともかく過剰なのである。「十六桜」にしても、梶井基次郎や坂口安吾にしても底に流れる死のイメージは、桜の過剰さが、生から逆に死へと結びついていくことから来ているのではあるまいか。

良寛は「散る桜 残る桜も 散る桜」と詠った。
満開の中に、死はある。だからこそよけいに花は美しく咲く。


更新情報も書きました。
またよろしく。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html




この恨み、晴らさずおくべきか

2010-04-06 23:00:30 | weblog
昨日、「レッド・ヘリング」の話を書いたあと、そういえばこんな話があったなあ、と思い出した。ラフカディオ・ハーン、というか、小泉八雲の短篇の「はかりごと」である。

青空文庫には入っていないので、ここで簡単にあらすじだけを書いておく。

ある人物が屋敷の庭で首を斬られることになった。その人物は、「自分は生まれつき非常に愚かで、その愚かさゆえに、何をやってもうまくできるということがなかった。今度の失敗(※作品の中で手打ちにされる理由はあきらかにされていない)も、自分が意図したものではなく、単に愚かだったせいだ。愚かな人間を手打ちにするというのは、誤っている。首を斬るような真似をすれば、オレはかならず化けて出てやるからな」と言う。

こんなことを言う男が、果たしてほんとうに頭が悪いものかどうか、疑問の余地のあるところだが、以降の展開を見ると、もしかすると実際、頭が悪かったのかも知れない。

ともかく、彼の怒りの形相のすさまじさに、家中の者は恐れおののくのだが、主人はちがう。「ほんとうに化けて出るというのなら、その証拠に、斬られて落ちた首で、庭石に噛みついてみろ」と言うのである。

「よし、やってみろ」と罪人は言い、首が落とされる。と思うと、地面に落ちた首はごろごろと転がっていき、庭石に噛みついた。

それを見た一同は、幽霊の報復を怖れて震え上がった。ところが主人は少しも怖れる様子はなく、冷静に「心配ない」という。あのまま死なせていたら、もしかしたら化けて出たかも知れないが、あの男は庭石に噛みつくことだけを考えて死んだのだ。化けて出ることなんて忘れてしまったにちがいない」

結局、その言葉通り、何も起こらなかった、というところでこの話は終わる。

つまり「庭石に噛みつく」という「レッド・ヘリング」に、この男はまんまと引っかかったのである。

だが、わたしがこの主人の家臣であれば、はたしてこの主人の言葉に説得されるだろうか、という気はする。だってものすごい形相で、首だけになって転がって石にかじりついたのですよ。文字通り、石にかじりつく執念で、化けてでるくらい朝飯前……なのではあるまいか。

主人が言っているのは要するに、水が気体になるときのように、人間が幽霊になるときに必要なエネルギー量というものがあって、彼はそのエネルギーを石にかみつくことによって使い果たした、ゆえにもはや幽霊になるエネルギーは残っていない、ということだろう。だが、一種の質量保存の法則みたいなものが人間と幽霊のあいだに働いているのなら、確かに大丈夫、と言えるが、人間と幽霊というのは、液体が気体になるようなものなのだろうか。どうでもいいけれど、この「質量保存の法則」を見つけだしたラヴォアジェ、この人は確かギロチンで首を斬られていたはずだ。

実際の話、首を斬られた人はどのくらいのあいだ意識があるものだろうか。そうして、その意識があるのは、頭の側なのか、体の側なのか。よく首を切り落としたニワトリが走る、という話を聞くが、あれは一種の不随意運動なのだろうか。

ここで思い出すのがビアスの「アウル・クリーク橋でのできごと」である(以下、作品の肝にあたる部分のネタばれをしますので、読んだことのない人は、ぜひぜひリンク先をどうぞ)。

ここでは主人公の首にロープがまきついてから、こときれるまでの、時間にすればものの一分もないあいだに、人間がいったいどれほどのことを考えるかが描かれている。

確かに人間は文字通り一瞬のあいだに壮大なストーリィを思い描くことが可能らしい。わたしたちは、目覚ましが鳴る音がオチになるような夢を見て、実際に目覚ましの音で目を覚ましてから、いったいどうしてそんな夢を見たのだろうと首をひねるが、あれは実際に目覚ましの音を聞いてから、そんな夢を見ているものらしい。睡眠中に目覚ましの音に気がついてから覚醒するまでの一瞬のあいだに、ことによったら数年分のストーリィを持つ夢を見ることができるらしい。というか、もう少し正確にいえば、ストーリィというのは、時間軸に沿って組み立てられたものなのだが、目が覚めたわたしたちが、時間軸を持たない、骨を抜かれた凧のような夢の塊を、半ば無意識のうちに時間軸に沿って組み立てているものらしい。

意識の状態にあるわたしたちの考えというのは、かならず、始め―中―終わりや前と後ろ、先とそのあとといった時間軸によって組み立てられたものである。けれども意識の前の段階にあるそれは、ぐにゃぐにゃで折り重なり錯綜したもの、だからこそ、時間軸になおせば一生の出来事が、コーリャンを煮る時間にも満たないあいだに経験してしまえるのだ。

だから、首を斬られた男が、薄れゆく意識の中で、いったいどれだけのことを考えることができるか。これまでの人生が走馬燈のように、という言い方があるが、その走馬燈に浮かび上がる映像を、時間軸に沿って組立てなおせば、『戦争と平和』も真っ青になるほどの大長編にもなるかもしれない。

自由にまかせば、水の中で泳ぎ、森を抜け、家へ帰るほどのことを考えることができるのに、「石に噛みついてみせろ」と言った主人のおかげで、くだんの罪人は、ただひたすら石に噛みつくことだけを考えて、こときれるのだ。なんというか、その主人、罪なことをしたものだなあ、という気がする。

だが、仮に、幽霊になってやる、この恨みはらさずおくべきか、化けてでてやる……という執念が、人を幽霊にするものであるとしても、いまわの際にこれほどのことを考えることができる人間なのだから、そんなことぐらい石に噛みつきながらでも十分に可能なような気がするのだが、どうだろうか。



赤いニシン

2010-04-05 23:17:37 | weblog
英語にはred herring という言葉がある。
red は赤で、herring はニシン、赤いニシンとは薫製にして赤くなったニシンのことだが、食べ物をさすのではない。

検索してみると、わたしのサイトをリンクしてくださっている eigo21com でもこの言葉を取り上げていて、大変わかりやすくまとまっているので、このページをどうぞ。

http://www.eigo21.com/etc/kimagure/z122.htm

うーん。ためになるサイトだ。

で、こちらはためにならない話をもう少し続ける。

どういうのがレッド・ヘリングかというと、たとえばこんななぞなぞはどうだろう。

「ゾウを冷蔵庫に入れます。どうやったらいいでしょう」

答えは
1.冷蔵庫のドアを開けます。
2.冷蔵庫にゾウを入れます。
3.冷蔵庫のドアを閉めます。

なんのこたあない、冷蔵庫にマヨネーズを入れるのと一緒である。問われているのは「入れる方法」なのだから。まあずいぶん大きな冷蔵庫が必要ではあるが。

ここでのレッド・ヘリングは「ゾウ」だ。なにしろあの大きさのゾウだから、ゾウのサイズで頭がいっぱいになってしまって、「ゾウ」の項に「マヨネーズ」が入っているのと同じ答え方をしたらいいことに頭が回らない。

推理小説ではこのレッド・ヘリングはいたるところにちりばめてある。「マクベス殺人事件」にも出てくるけれど、「だれだってあの夫婦が一番怪しいと考えるわよね、だけどそういう人が犯人だなんてことはあり得ないの」ということになる。いかにも「一番怪しい」のがおとりのエサ、レッド・ヘリングなのである。

もちろんこの小説も、レッド・ヘリングに当たるのは、かの『マクベス』なのだが、『マクベス』をあくまで推理小説と読んでいくアメリカ人女性が楽しい。

ところで、アメリカのドラマ『ザ・ホワイトハウス』のDVDを見ていたら、こんなレッド・ヘリングが出てきた。

ある信心深い男がいた。
そこに、洪水が来るぞ、という知らせがラジオから聞こえてきた。避難するように言われた。男は、大丈夫、わたしは神を信じている、神はわたしをお見捨てになったりしない。
つぎに、ボートに乗った男が来た。一緒に避難しよう。そこでもまた男は、大丈夫、神はわたしを守ってくださる、と断った。
やがてヘリコプターが来た。早くこのロープにつかまれ。
男は、大丈夫。神が助けてくれるから。
男は死んだ。
審判を受ける前に、男は頼んだ。神に会わせてくれ、ひとこと言いたいことがある。
男は神に言った。自分はこれまでひたすらに神を信じてきた。日曜は欠かさず礼拝に行き、神に仕えてきた。なのにどうして自分を見捨てたのか。
神は言った。自分は助けを出した。それも三度も。どうしてその助けに応えなかったのか。

ここで、男のレッド・ヘリングとなっているのはなんなのだろう。
いわゆる「救済」のイメージ、雲間から光が差しこみ、天使が現れてくるような、男が自分で思い描く、「助け」とはこういうものだ、というイメージなのである。
そのイメージがレッド・ヘリングになってしまって、男に正しい判断をさせないのである。

だが、こんなことは実際にわたしたちの日常でずいぶんあることだろう。

うまくいかない、なぜなんだ、どうしてうまくいかないんだ、と苦しんでいる。誰も助けてくれない、なぜ、みんな見て見ぬふりをするんだ、と怒りを内に溜めているかも知れない。

けれども、ほんとうはさまざまな形で「助け」は与えられているのではないのか。「いま」の自分が思い描く「助け」ではないから、それに気が付かないだけであって。

そうして、自分が望む「助け」、思い描く「助け」は、あくまでも「いま」の段階の自分の限界のうちにある「助け」である。けれども、問題に突き当たっている自分が望む助けでは、おそらくその問題を乗り越えることはできない。

おそらく問題を乗り越えることに手を貸してくれるのは、それまでの自分が思いもかけないもの、予想だにしなかったものだろう。現在の限界のうちにある自分の前に、夢にも思っていなかった形の「助け」が現れる。それにすがることができるか、それともやりすごしてしまうか。

そう考えていくと、「助け」を見つけるということは、すなわち、助けを「助けである」と理解することは、それだけでその問題を解決していることになるのではあるまいか。

洪水で、避難しなさい、というラジオの警告に従った人にとって、「洪水」は対処すべきことがらであって、「神の救済が得られるかどうか」という問題ではない。

つまり、問題を解決するということは、数学の問題に答えを出すこととはちがって、それがもはや問題ではなくなる方法を見つける、ということなのだろう。

そうして、その方法はおそらくわたしたちの目の前にあるのだ。ちょうど、キツネが猟犬のすぐ近くにいるように。難問にがんじがらめになっているときのわたしたちは、きっと「レッド・ヘリング」にしてやられているにちがいない。



なんでそれがわたしではなかったのだろう

2010-04-04 23:12:54 | weblog
中学生のころの話だ。
本屋を出ようとして、わたしの数歩先を、ちょうどわたしと同じくらいの年格好で、よその学校の制服を着た子が歩いていた。その子が自動ドアが開いて店を出た瞬間、わたしをつきとばすような勢いでスーツ姿の男がうしろから走ってきたかと思うと、その子の肘をつかんだ。

それを見た瞬間、その子が何をしたのかわかった。まるで万引きをしたのが自分であったかのように、膝ががくがくし、心臓が停まりそうになった。スーツ姿のおじさんに肩を抱かれるようにして、下を向いて店に戻っていくその子とすれちがいながら、わたしは自分がその子でなくて良かった、と心の底から思っていた。

まったく面識のない子ではあったけれど、ほんのひととき本屋で一緒に過ごしたその子は、もしかしたらわたしだったかもしれなかった。

わたしが万引きをしなかったのは、ただ、そんなふうに捕まって、親や学校に通報されるのが、ただただ怖かっただけかもしれない。本代として、お小遣いを余分にもらっていたから、そんなことをする必要がなかっただけなのかもしれないし、親にどれだけ叱られるかと思うと、それが歯止めになっていただけなのかもしれない。なんにせよ、自分とその子を隔てるわずかな差が、わたしを万引きに向かわせずに、その子にそんなことをさせた。それを考えると、その子がわたしの代わりになってくれたような気がした。

犯人逮捕の報道を見るとき、よくその出来事を思い出す。事件を起こした人と自分を隔てるものは、そこまで歴然としたものだろうか。自分を取り巻く環境が多少恵まれていたり、受けた教育の差だったり、家族や友人や、わたしを支え、助けてくれる人がいたというだけの話で、わたしの力、これまで独力でやったことなしたことが、どれほど関与していることだろう。いくつかの偶然が重なって、わたしはそれをしなくてすんだ。事件を起こした人に比べて、それがそんなに立派なことなのか。わたしにはよくわからない。

それにしても、事件が起こるたびに、犯人のプライヴァシーがこれでもかこれでもかと暴かれる。犯人と被害者が同じ共同体に属する人であれば、被害者までもがあれこれと書きたてられる。

そんな情報が、わたしたちに必要なのだろうか。
事実、わたしたちはそういう情報を求めるのだ。

なぜ自分が住んでいるところとはほぼ無関係の場所で起こった事件であっても、犯人の名前や顔の情報が必要なのだろう。さらには、直接には関係のない両親の氏名や職業までも、暴かれなければならないのだろう。

もちろん、表向きは、そんなことを二度と起こさないため、ということになっている(のではないか?)。けれども、わたしたちの日常に起きるほとんどのできごとは、一回限りのものだ。つぎに同じことが起こる、まして、別の人間のあいだで、ということは、ありえない。仮にある面だけをとりあげて類似の点を取り上げたとしても、それと、その前に起こった出来事は、まったく異なるものだ。

おそらく、事件はわたしたちにふだんは考えて見ることもない「正義」を思い出させてくれるのだろう。ちょうどエイプリル・フール、「嘘をついても良い日」があることによって、改めて「それ以外の日は嘘をついてはいけない=わたしたちは嘘をつくべきではない」ということが思い出されるように。
公式の場で、逸脱した服装をしている人物が、わたしたちにしかるべき場ではしかるべき服装をすることを思い出させてくれるように。

事件を起こす人びとの存在は、わたしたちに社会規範の存在を思い出させてくれる。ふだん、意識しているわけでもないのに、自分が社会規範を遵守しているのだ、ということを思い出させてくれて、良い気持ちになるのだ――本当は何もしているわけではないのに。