その3.
こんなこともあった。アパートメントに水がなかったので、階段を降りて泉へ水を取りに行こうとすると、シニョーレが手伝いについてきた。旦那様に水を運んでいただくなんてできません、と断っても、若い娘が大きな瓶を抱えて階段を上ったり降りたりしているというのに、暖炉のそばでくつろいでいられるわけがないじゃないか、などと言い張るのだ。シニョーレは大瓶を彼女の手から取り上げると、泉へ降りていき、門番やほかの使用人たちに見られるかもしれないのに、水を汲んできた。台所の窓から一部始終を見ていた彼女は、たいそう腹が立ち、恥ずかしさのあまりにワインを少しばかり胃の中に流しこまないではいられなかった。きっとみんながあたしのことを怠け者だってうわさするだろう。おまけにあたしが働いているお宅は、下品で無教養な人たちだ、って。
彼らは死者の存在を信じない。黄昏どきに広間を歩いていると、目の前に幽霊がいるのが見えたことがある。あまりにその姿がくっきりしているので、立っているのが男だとわかるまで、そこにシニョーラがいらっしゃるとばかり思っていたほどだった。そうではなかったことに気がついた彼女が悲鳴を上げて、メガネと瓶が載っているトレイを落とした。悲鳴を聞きつけたシニョーレが、いったいどうしたんだ、と尋ね、幽霊がいたんです、と答えたところ、相手にもされなかったのだ。別のときには、ホールの奥にそれとはちがう幽霊、ミトラをかぶった僧正の幽霊がたたずんでいるのを見たこともある。そのときも悲鳴をあげ、シニョーレに自分が見たものを伝えたのだが、一向に興味を引かれたようすもなかった。
だが、子供たちは夢中で話を聞いてくれた。夜になると、ベッドに入った子供たちにナスコスタの話を聞かせてやる。子供たちが何より喜んだのは、アスンタという美しい娘と結婚したナスコスタの若い農夫の話だった。
ふたりが結婚して一年が過ぎてから、黒い巻き毛に輝くような肌の、かわいい男の赤ちゃんが生まれたの。でもね、生まれつき病弱な子で、泣いてばかりいたのね。だから、ふたりは赤ちゃんはきっと呪われてるんだ、って考えた。だからコンキリアーノに住むお医者さんに診せに、ロバに乗って行ったの。そしたらお医者さんは、赤ん坊は飢え死にしかけているじゃないか、と言ったの。そんなはずはありません、とお母さんとお父さんは言った。アスンタのブラウスにはあふれだしたおっぱいの染みができるほどだったのに。
そこでお医者さんは、夜、何が起こっているか、よくよく注意して見ていなさい、と教えてくれたの。だから、ふたりはまたロバに乗って家に帰った。夕飯をすませて、アスンタは寝たんだけど、お父さんの方は寝ずに様子をうかがっていた。するとどうだろう、真夜中の月明かりの中に、とてつもなく大きなマムシの姿が浮かんだ。マムシは農家の戸口に現れて、ベッドに入り込んだかと思うと、アスンタのおっぱいを吸い始めたの。お父さんは動くことができなかった。だって、ちょっとでも動いたら、マムシはお母さんの胸に噛みついて、殺してしまうでしょう?
おっぱいが出なくなるまで飲んだマムシは、床を這いながら戸口を超えて、月で明かるい外へ戻っていったの。お父さんは警鐘を鳴らして、あたり一帯のお百姓さんたちをみんな集めた。そしてとうとうお百姓さんたちは、農場の壁の裏側に巣を見つけたのよ。そこにいたのは八匹の大きなヘビ! 乳をたらふく飲んだせいで丸々と太って、シューッと息を吹きかけられただけでも死んでしまうくらいの毒をもってるの。だからお百姓さんたちは、ヘビを全部、棍棒で叩き殺したんだよ。これは全部ほんとうの話。だってあたしはその農家の横を、何百回も通ったんだからね。
このほかにも子供たちが喜んだのは、コンキリアーノに住んでいたレディが、アメリカから来たハンサムな外国人と恋仲になる、という話だった。
ある晩のこと、そのレディは恋人の背中に、葉っぱの形をした小さなあざがあるのに気づいたの。それを見て思い出した。そのレディは、はるか昔、赤ちゃんを盗まれたことがあったの。ああ、あの子にはこんなあざがあったわ、って。恋人は、実はわたしの子供だった……。レディは急いで教会に駆け込んで、告解でお赦しを得ようとした。でも、神父様は太った横柄な男でね、そんな罪には赦しは与えられない、って言ったのよ。するとどうでしょう、突然、告解の最中に、骨がカタカタって鳴る大きな音が響いたの。急いで告解場の扉を開けたら、その偉そうで横柄な神父様の姿はどこにもなくて、ただ骨だけが残ってたんだって。
子供たちには聖母マリアの宝石の奇跡の話も、食べるものが何もない冬に、カヴール通りを駆け上がってきたオオカミにでくわした話も、従姉妹のマリアが赤い衣装に身を包んだ悪魔に会った話も聞かせてやった。
(この項つづく)
こんなこともあった。アパートメントに水がなかったので、階段を降りて泉へ水を取りに行こうとすると、シニョーレが手伝いについてきた。旦那様に水を運んでいただくなんてできません、と断っても、若い娘が大きな瓶を抱えて階段を上ったり降りたりしているというのに、暖炉のそばでくつろいでいられるわけがないじゃないか、などと言い張るのだ。シニョーレは大瓶を彼女の手から取り上げると、泉へ降りていき、門番やほかの使用人たちに見られるかもしれないのに、水を汲んできた。台所の窓から一部始終を見ていた彼女は、たいそう腹が立ち、恥ずかしさのあまりにワインを少しばかり胃の中に流しこまないではいられなかった。きっとみんながあたしのことを怠け者だってうわさするだろう。おまけにあたしが働いているお宅は、下品で無教養な人たちだ、って。
彼らは死者の存在を信じない。黄昏どきに広間を歩いていると、目の前に幽霊がいるのが見えたことがある。あまりにその姿がくっきりしているので、立っているのが男だとわかるまで、そこにシニョーラがいらっしゃるとばかり思っていたほどだった。そうではなかったことに気がついた彼女が悲鳴を上げて、メガネと瓶が載っているトレイを落とした。悲鳴を聞きつけたシニョーレが、いったいどうしたんだ、と尋ね、幽霊がいたんです、と答えたところ、相手にもされなかったのだ。別のときには、ホールの奥にそれとはちがう幽霊、ミトラをかぶった僧正の幽霊がたたずんでいるのを見たこともある。そのときも悲鳴をあげ、シニョーレに自分が見たものを伝えたのだが、一向に興味を引かれたようすもなかった。
だが、子供たちは夢中で話を聞いてくれた。夜になると、ベッドに入った子供たちにナスコスタの話を聞かせてやる。子供たちが何より喜んだのは、アスンタという美しい娘と結婚したナスコスタの若い農夫の話だった。
ふたりが結婚して一年が過ぎてから、黒い巻き毛に輝くような肌の、かわいい男の赤ちゃんが生まれたの。でもね、生まれつき病弱な子で、泣いてばかりいたのね。だから、ふたりは赤ちゃんはきっと呪われてるんだ、って考えた。だからコンキリアーノに住むお医者さんに診せに、ロバに乗って行ったの。そしたらお医者さんは、赤ん坊は飢え死にしかけているじゃないか、と言ったの。そんなはずはありません、とお母さんとお父さんは言った。アスンタのブラウスにはあふれだしたおっぱいの染みができるほどだったのに。
そこでお医者さんは、夜、何が起こっているか、よくよく注意して見ていなさい、と教えてくれたの。だから、ふたりはまたロバに乗って家に帰った。夕飯をすませて、アスンタは寝たんだけど、お父さんの方は寝ずに様子をうかがっていた。するとどうだろう、真夜中の月明かりの中に、とてつもなく大きなマムシの姿が浮かんだ。マムシは農家の戸口に現れて、ベッドに入り込んだかと思うと、アスンタのおっぱいを吸い始めたの。お父さんは動くことができなかった。だって、ちょっとでも動いたら、マムシはお母さんの胸に噛みついて、殺してしまうでしょう?
おっぱいが出なくなるまで飲んだマムシは、床を這いながら戸口を超えて、月で明かるい外へ戻っていったの。お父さんは警鐘を鳴らして、あたり一帯のお百姓さんたちをみんな集めた。そしてとうとうお百姓さんたちは、農場の壁の裏側に巣を見つけたのよ。そこにいたのは八匹の大きなヘビ! 乳をたらふく飲んだせいで丸々と太って、シューッと息を吹きかけられただけでも死んでしまうくらいの毒をもってるの。だからお百姓さんたちは、ヘビを全部、棍棒で叩き殺したんだよ。これは全部ほんとうの話。だってあたしはその農家の横を、何百回も通ったんだからね。
このほかにも子供たちが喜んだのは、コンキリアーノに住んでいたレディが、アメリカから来たハンサムな外国人と恋仲になる、という話だった。
ある晩のこと、そのレディは恋人の背中に、葉っぱの形をした小さなあざがあるのに気づいたの。それを見て思い出した。そのレディは、はるか昔、赤ちゃんを盗まれたことがあったの。ああ、あの子にはこんなあざがあったわ、って。恋人は、実はわたしの子供だった……。レディは急いで教会に駆け込んで、告解でお赦しを得ようとした。でも、神父様は太った横柄な男でね、そんな罪には赦しは与えられない、って言ったのよ。するとどうでしょう、突然、告解の最中に、骨がカタカタって鳴る大きな音が響いたの。急いで告解場の扉を開けたら、その偉そうで横柄な神父様の姿はどこにもなくて、ただ骨だけが残ってたんだって。
子供たちには聖母マリアの宝石の奇跡の話も、食べるものが何もない冬に、カヴール通りを駆け上がってきたオオカミにでくわした話も、従姉妹のマリアが赤い衣装に身を包んだ悪魔に会った話も聞かせてやった。
(この項つづく)
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