「寒いな」タブがいった。
フランクは息を吐き出した。「文句はやめろよ、タブ。集中するんだ」
「文句なんていってない」
「集中だとさ」ケニーがいった。「おつぎは寝間着に着替えるか、フランク。空港の花は完売したしな」
「ケニー」フランクがとがめた。「おしゃべりが過ぎるぞ」
「わかったよ。もうなにもいわない。ベビーシッターがどうのこうの、なんて話はしないから」
「ベビーシッターがなんだって?」タブが聞いた。
「こっちのことだ」フランクはケニーから目を離さず答えた。「それはしゃべっちゃいけないことじゃなかったのか。口を閉じてるんだ」
ケニーは笑った。
「おまえがそれを頼んだんだ」フランクがいった。
「頼んだ、ってなにを?」
「わかってるだろう」
「おい」タブが割り込んだ。「おれたちは狩りに来たんじゃなかったのか?」
三人は雪原を横切って進んでいった。タブが柵をくぐり抜けようとしてひっかかった。フランクとケニーは手を貸してやることもできたのだ。針金のてっぺんを持ち上げ、底を踏みつけてやろうと思えばできたのだが、そういうことはしなかった。立って見ているだけだった。柵は何カ所もあって、森へつくころには、タブは息をあえがせていた。
そこで二時間以上も鹿を探したが、鹿どころか、足跡も、いたことを示す形跡も残っていない。とうとう小川のほとりで昼食をとることにした。ケニーはピザを数切れと、チョコレート・バーを二本食べ、フランクはサンドウィッチ、リンゴ、ニンジンを二本と板チョコを食べた。タブが食べたのは固ゆで卵がひとつと、セロリ一本だった。
「まったく死んじまいたいような気分だぜ」ケニーがいった。「おれを火あぶりにしたいと思ってるんだろう」それからタブの方を向いた。「まだダイエットしてるのか?」そういいながらフランクにウィンクする。
「じゃなきゃなんだっていうんだ。おれがゆで卵が好きだとも?」
「おれがいいたいのは、ゆで卵で太ったなんていうダイエット方法を聞いたのは初めてだ、ってことだけさ」
「おれが太っただって?」
「そりゃすまなかったな。訂正するよ。おれのこの目の前で、どんどん痩せていってるさ。そうじゃないか、フランク」
フランクは指を広げて、自分の食べ物が置いてある切り株をなでた。手の甲は毛深い。大ぶりの結婚指輪を右の小指にはめていたが、その平らな表面に刻まれたFの文字は、ダイアモンドがはまっているようにも見えた。フランクはその指輪をくるくる回した。「タブ、おまえは自分のタマなんて、もう十年がとこ、見たことはないだろう」
ケニーは身体を折って笑い、脱いだ帽子で脚をたたいた。
「じゃ、どうしろっていうんだ。甲状腺のせいなんだぞ」
三人は森を出ると、小川に沿って獲物を探した。フランクとケニーは一方の川縁を、タブはもう一方の川縁を歩きながら、上流に移動していった。雪は軽かったが吹きだまりは深く、そのなかを進むのは大変だった。どこを見てもなだらかな雪面が広がるばかりで、乱れた跡もなく、じきにタブは飽きてしまった。足跡を探すのをやめて、反対側のフランクとケニーに追いつくことにした。気がつくと、もうずいぶんふたりの姿を見ていない。弱い風が後ろから吹いてくる。風が止まると、ときおりケニーの笑い声が聞こえたが、それだけだった。タブは急ぎ足になって、吹きだまりをかきわけ、肘と膝でけんめいに雪を払い、蹴散らしながら進んだ。心臓がドクドクいい、頬が紅潮したが、それでも足を止めない。
小川が湾曲したところでフランクとケニーに追いついた。ふたりは向こうからこちらへ渡した丸太の上に立っている。丸太の裏側はつららが下がっていた。凍った葦は突っ立ち、風が吹いても、ろくにそよぐこともなかった。
「何か見つけたか?」フランクが聞いた。
タブは首を振った。
日が翳ってきたので、三人は道路まで引き返すことにした。フランクとケニーは丸木橋を渡って、タブがかきわけた道を通って一緒に下流へ向かった。じきにケニーが立ち止まった。「見ろよ」指さした先には、小川から森へ戻っていった足跡がある。タブの足跡がその真上を横切っていた。川縁のその場所に残されていたのは、まぎれもなく、鹿のフンだった。「タブ、ありゃなんだ?」ケニーはフンを蹴飛ばした。「ヴァニラ味のアイシングに乗っかったクルミか?」
「気がつかなかったんだ」
ケニーはフランクを見た。
「はぐれたと思ったんだ」
「はぐれたのか。そりゃ大変だ」
三人は足跡を追って森に入っていった。鹿は吹きだまりに半ば埋もれかけた柵の向こうに行ってしまっていた。狩猟許可区域の最上部には、もうどんな獲物の跡さえなかった。フランクは、クソッタレは字が読めるらしい、と笑った。ケニーはそのあとを追いかけたがったが、フランクはやめておけ、と止めた。ここらの人間だってやっかいごとはゴメンだろうよ。おそらくこの土地の持ち主は、頼んだらここをおれたちに使わせてくれるはずだ。ケニーは、そりゃどうだかな、とはいったものの、トラックの場所まで戻って、トラックが来た道を引き返すころには、暗くなっていることは、ケニーにもよくわかっていた。
「落ち着けよ」とフランクがいった。「自然を相手にせき立てたところで、無理なはなしだ。捕まえられるときには、捕まえられるだろうし、無理なときは無理なんだ」
三人はトラックに向かった。森のそのあたりに生えているのは、ほとんどが松だ。雪は影になって、表面が凍っていた。ケニーとフランクはスピードを緩めなかったが、タブはそうはいかなかった。脚を前に蹴り出すと、凍った縁でむこうずねを打った。ケニーとフランクははるか先を行き、声さえ聞こえない。タブは切り株に腰を下ろして、顔をぬぐった。サンドイッチをふたつとも平らげ、クッキーも半分腹に納めてひとやすみした。あたりは静まりかえっている。タブがやっと最後の柵をガマのようにはいつくばってくぐり抜けていると、トラックが動き出した。そのために走ることを余儀なくされたタブは、やっとのことで後部ドアにつかまると、トラックによじのぼった。そのまま後部のベッドに横になってあえいだ。ケニーは後ろの窓をのぞいて、にやりとする。タブは凍りつきそうな風をよけようと、運転台の下にもぐりこんだ。耳当てを引っ張りおろし、あごをコートの襟元に埋める。窓をたたく音がしても、そちらを見ようとはしなかった。
タブとフランクはケニーが農場主の家に許可を求めに行っているあいだ、外で待っていた。古い家で、はがれたペンキが丸まっている。煙突のてっぺんから出た煙は西にたなびき、薄い灰色の羽毛のように、ふわふわと漂っていた。丘の盛り上がったあたりの真上には、青い雲が同じように盛り上がっている。
「記憶力がずいぶん悪くなったもんだな」とタブがいった。
「なんだって?」フランクはあらぬ方に目をやったまま聞き返した。
「いつだっておまえの味方をしてやったのに」
「ああ。おまえはいつでも味方してくれた。で、何が気にくわないんだ」
「あんなふうにおれを残して行ってしまうことはなかった」
「タブ、おまえは大人だ。自分の面倒ぐらい、自分で見られるだろ。ともかくおまえは問題を抱えているのは自分だけだと思っているかもしれないが、それはちがう」
「フランク、どうかしたのか?」
フランクは雪のなかからつきだしている枝を蹴った。「気にするな」
「ケニーがいっていたベビーシッターのことか?」
「まったくケニーはしゃべりすぎる。ともかく、おまえは自分の頭のハエを追うこった」
(この項つづく)
フランクは息を吐き出した。「文句はやめろよ、タブ。集中するんだ」
「文句なんていってない」
「集中だとさ」ケニーがいった。「おつぎは寝間着に着替えるか、フランク。空港の花は完売したしな」
「ケニー」フランクがとがめた。「おしゃべりが過ぎるぞ」
「わかったよ。もうなにもいわない。ベビーシッターがどうのこうの、なんて話はしないから」
「ベビーシッターがなんだって?」タブが聞いた。
「こっちのことだ」フランクはケニーから目を離さず答えた。「それはしゃべっちゃいけないことじゃなかったのか。口を閉じてるんだ」
ケニーは笑った。
「おまえがそれを頼んだんだ」フランクがいった。
「頼んだ、ってなにを?」
「わかってるだろう」
「おい」タブが割り込んだ。「おれたちは狩りに来たんじゃなかったのか?」
三人は雪原を横切って進んでいった。タブが柵をくぐり抜けようとしてひっかかった。フランクとケニーは手を貸してやることもできたのだ。針金のてっぺんを持ち上げ、底を踏みつけてやろうと思えばできたのだが、そういうことはしなかった。立って見ているだけだった。柵は何カ所もあって、森へつくころには、タブは息をあえがせていた。
そこで二時間以上も鹿を探したが、鹿どころか、足跡も、いたことを示す形跡も残っていない。とうとう小川のほとりで昼食をとることにした。ケニーはピザを数切れと、チョコレート・バーを二本食べ、フランクはサンドウィッチ、リンゴ、ニンジンを二本と板チョコを食べた。タブが食べたのは固ゆで卵がひとつと、セロリ一本だった。
「まったく死んじまいたいような気分だぜ」ケニーがいった。「おれを火あぶりにしたいと思ってるんだろう」それからタブの方を向いた。「まだダイエットしてるのか?」そういいながらフランクにウィンクする。
「じゃなきゃなんだっていうんだ。おれがゆで卵が好きだとも?」
「おれがいいたいのは、ゆで卵で太ったなんていうダイエット方法を聞いたのは初めてだ、ってことだけさ」
「おれが太っただって?」
「そりゃすまなかったな。訂正するよ。おれのこの目の前で、どんどん痩せていってるさ。そうじゃないか、フランク」
フランクは指を広げて、自分の食べ物が置いてある切り株をなでた。手の甲は毛深い。大ぶりの結婚指輪を右の小指にはめていたが、その平らな表面に刻まれたFの文字は、ダイアモンドがはまっているようにも見えた。フランクはその指輪をくるくる回した。「タブ、おまえは自分のタマなんて、もう十年がとこ、見たことはないだろう」
ケニーは身体を折って笑い、脱いだ帽子で脚をたたいた。
「じゃ、どうしろっていうんだ。甲状腺のせいなんだぞ」
三人は森を出ると、小川に沿って獲物を探した。フランクとケニーは一方の川縁を、タブはもう一方の川縁を歩きながら、上流に移動していった。雪は軽かったが吹きだまりは深く、そのなかを進むのは大変だった。どこを見てもなだらかな雪面が広がるばかりで、乱れた跡もなく、じきにタブは飽きてしまった。足跡を探すのをやめて、反対側のフランクとケニーに追いつくことにした。気がつくと、もうずいぶんふたりの姿を見ていない。弱い風が後ろから吹いてくる。風が止まると、ときおりケニーの笑い声が聞こえたが、それだけだった。タブは急ぎ足になって、吹きだまりをかきわけ、肘と膝でけんめいに雪を払い、蹴散らしながら進んだ。心臓がドクドクいい、頬が紅潮したが、それでも足を止めない。
小川が湾曲したところでフランクとケニーに追いついた。ふたりは向こうからこちらへ渡した丸太の上に立っている。丸太の裏側はつららが下がっていた。凍った葦は突っ立ち、風が吹いても、ろくにそよぐこともなかった。
「何か見つけたか?」フランクが聞いた。
タブは首を振った。
日が翳ってきたので、三人は道路まで引き返すことにした。フランクとケニーは丸木橋を渡って、タブがかきわけた道を通って一緒に下流へ向かった。じきにケニーが立ち止まった。「見ろよ」指さした先には、小川から森へ戻っていった足跡がある。タブの足跡がその真上を横切っていた。川縁のその場所に残されていたのは、まぎれもなく、鹿のフンだった。「タブ、ありゃなんだ?」ケニーはフンを蹴飛ばした。「ヴァニラ味のアイシングに乗っかったクルミか?」
「気がつかなかったんだ」
ケニーはフランクを見た。
「はぐれたと思ったんだ」
「はぐれたのか。そりゃ大変だ」
三人は足跡を追って森に入っていった。鹿は吹きだまりに半ば埋もれかけた柵の向こうに行ってしまっていた。狩猟許可区域の最上部には、もうどんな獲物の跡さえなかった。フランクは、クソッタレは字が読めるらしい、と笑った。ケニーはそのあとを追いかけたがったが、フランクはやめておけ、と止めた。ここらの人間だってやっかいごとはゴメンだろうよ。おそらくこの土地の持ち主は、頼んだらここをおれたちに使わせてくれるはずだ。ケニーは、そりゃどうだかな、とはいったものの、トラックの場所まで戻って、トラックが来た道を引き返すころには、暗くなっていることは、ケニーにもよくわかっていた。
「落ち着けよ」とフランクがいった。「自然を相手にせき立てたところで、無理なはなしだ。捕まえられるときには、捕まえられるだろうし、無理なときは無理なんだ」
三人はトラックに向かった。森のそのあたりに生えているのは、ほとんどが松だ。雪は影になって、表面が凍っていた。ケニーとフランクはスピードを緩めなかったが、タブはそうはいかなかった。脚を前に蹴り出すと、凍った縁でむこうずねを打った。ケニーとフランクははるか先を行き、声さえ聞こえない。タブは切り株に腰を下ろして、顔をぬぐった。サンドイッチをふたつとも平らげ、クッキーも半分腹に納めてひとやすみした。あたりは静まりかえっている。タブがやっと最後の柵をガマのようにはいつくばってくぐり抜けていると、トラックが動き出した。そのために走ることを余儀なくされたタブは、やっとのことで後部ドアにつかまると、トラックによじのぼった。そのまま後部のベッドに横になってあえいだ。ケニーは後ろの窓をのぞいて、にやりとする。タブは凍りつきそうな風をよけようと、運転台の下にもぐりこんだ。耳当てを引っ張りおろし、あごをコートの襟元に埋める。窓をたたく音がしても、そちらを見ようとはしなかった。
タブとフランクはケニーが農場主の家に許可を求めに行っているあいだ、外で待っていた。古い家で、はがれたペンキが丸まっている。煙突のてっぺんから出た煙は西にたなびき、薄い灰色の羽毛のように、ふわふわと漂っていた。丘の盛り上がったあたりの真上には、青い雲が同じように盛り上がっている。
「記憶力がずいぶん悪くなったもんだな」とタブがいった。
「なんだって?」フランクはあらぬ方に目をやったまま聞き返した。
「いつだっておまえの味方をしてやったのに」
「ああ。おまえはいつでも味方してくれた。で、何が気にくわないんだ」
「あんなふうにおれを残して行ってしまうことはなかった」
「タブ、おまえは大人だ。自分の面倒ぐらい、自分で見られるだろ。ともかくおまえは問題を抱えているのは自分だけだと思っているかもしれないが、それはちがう」
「フランク、どうかしたのか?」
フランクは雪のなかからつきだしている枝を蹴った。「気にするな」
「ケニーがいっていたベビーシッターのことか?」
「まったくケニーはしゃべりすぎる。ともかく、おまえは自分の頭のハエを追うこった」
(この項つづく)