陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

「読むこと」を考える その2.

2006-02-02 22:24:39 | 
2.短編を読んでみよう

とりあえず短編をひとつ読んでみよう。
英語もむずかしくないし、ごく短いものなので、オリジナルを読みたい人はhttp://www.fontys.nl/lerarenopleiding/tilburg/engels/Litcult2005/txt_greene_gentlemen.htmをどうぞ。
(今日全編を訳すのが無理だったので、前編・後編に分けることになりました。)

* * *

八人の見えない日本の紳士たち(前編)

グレアム・グリーン


 ホテル・ベントリーのレストランで、八人の日本の紳士たちが魚料理を食べていた。理解できない彼らの言葉は、ごくまれに行き交うだけだったが、礼儀正しい笑みを絶やさず、たびたび軽く頭を下げる。ひとりを除けば、全員が眼鏡をかけていた。日本人の向こう側、窓際に座ったきれいな娘は、ときおりそちらに目を走らせてはいたが、ひどく深刻な問題を抱えているらしく、自分と自分の連れ以外、だれにもまともに注意を払う気にはなれないようだった。

 ブロンドの髪は細く、19世紀初頭ふうの小作りで愛らしい顔は、卵形で人形のようだが、しゃべりかたは乱暴だった。おそらくそのアクセントはローディーンかチェルトナム女子大あたりのもの、そこを出たのもそれほど前のことではあるまい。左手の婚約指輪をはめる場所に、男物の認印付きの指輪をはめており、わたしが席に着いたとき、日本人をあいだにはさんで、娘が話すのが聞こえた。「だから、あたしたち来週には結婚できる、ってこと」

「ほんと?」

 娘の相手はいささか狼狽したようだ。自分と娘のグラスにシャブリをついで言った。「もちろんそうしてもいいんだけどさ、ぼくの母親が……」そのあとの言葉をわたしは聞き逃してしまった。というのも、一同の中で最年長の日本人紳士が、笑みを浮かべたまま小さく頭を下げると、テーブルに身を乗りだして、話をはじめたからだった。口にする言葉は養鶏場から聞こえてくるざわめきのよう、そのあいだ、だれもがそちらを向いて、にこやかに聞いており、わたしもついそちらに気を取られたのだった。

 婚約者の風貌も、娘そっくりだ。ホワイトウッドの壁に並んでぶらさげられている、二体の人形を見るようだ。彼の方は、ネルソン提督時代の若き海軍士官、といったところ、そのころならある種の弱々しさと感じやすさも昇進の妨げにはならなかったはずだ。

 娘が言った。「アドヴァンス料として五百ポンド払ってくれるんですって。それにペーパーバックの版権だってもう売れたし」いきなり業界用語が飛び出してきたので、わたしは度肝を抜かれた。わたしの同業者だということにも驚いた。二十歳を超えているようには見えない。もっと彼女に見合った人生があるはずだ。

「だけど伯父さんが……」

「伯父さんと一緒にやってけないことぐらい、わかってるでしょ。あたしたち、ちゃんと自立しなきゃならないんだから」

「君は自立できるんだろうけどさ」しぶしぶそう認めた。

「ワインを扱う仕事なんて、全然向いてない。あたし、あなたのこと、出版社の人に話したのよ、絶対うまくいくって。ちょっと本を読みさえしたら……」

「ぼくは本のことなんて何にも知らないよ」

「一からあたしが教えてあげる」

「ぼくの母親は、書くことは大きな精神的支えになるとは言ってたけど……」

「五百ポンドとペーパーバックの版権の半分は、すごく確かな支えよ」

「このシャブリ、うまいよな?」

「かもね」

婚約者について、わたしは意見を変えつつあった。ネルソン提督流の腕前など持ち合わせてはいない。彼が打ち負かされるのは目に見えていた。娘がぴったりと横付けして、船首から船尾まで掃射するのだ。

「ドワイトさんが何て言ったか知ってる?」

「ドワイトさん、ってだれ?」

「もう、ちっとも聞いてないんだから。あたしの編集者よ。ドワイトさんが言うには、この十年間に出た処女作のなかで、こんなに鋭い観察力を発揮した小説はなかったんだって」

「そりゃすごいね」そのくちぶりは悲しげだった。「すごいや」

「あたしに言ったのは、タイトルを変えた方がいい、ってことだけ」

「そうなんだ」

「『とわに澱みなき流れ』って、あんまり好みじゃなかったみたい。『チェルシーの潮流』っていうタイトルの方がいいんだって」

「で、君はなんて言ったの?」

「言うことを聞いておいた。処女作を出そうと思ったら、編集者を喜ばせておかなきゃダメだって思うから。とくに結婚式の費用を出してくれそうなときはね」

「なるほどね」心ここにあらず、といったようすで彼はシャブリをフォークでかきまぜている。婚約するまでは、シャンペンばかり飲んでいたのだろう。日本の紳士は魚料理を食べ終え、片言の英語で、だが極めて礼儀正しく、中年のウェイトレスに、新鮮な果物のサラダを注文している。娘がそちらに目を遣り、つぎにわたしを見た。だが、その目に映っているのは、未来だけだろう。『チェルシーの潮流』というタイトルの処女作を頼りにすることに、どんな未来もありはしないことを忠告したい、という、激しい思いにかられる。おそらくは婚約者の母親と同じことを言うだろう。そう認めるのは悔しかったが、おそらくわたしに娘がいれば、彼女と同じくらいのはずだ。

(後半は明日へ)