陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

「雪の中のハンター」 その4.

2006-02-26 21:49:50 | 翻訳
 戸口に立っていた男は向きを変えて、中へ入った。フランクとタブもそのあとについていく。部屋の中央のストーブのそばに女が座っていた。ストーブからは煙がもうもうとあがっている。顔を上げた女は、また、膝の上で眠っている子供に目を落とした。青ざめた顔は泣いた跡があった。前髪が斜めにぺたりと額にはりついている。タブは両手をストーブにかざして暖めながら、台所で電話をかけているフランクを待った。ふたりを入れてくれた男は、両手をポケットに入れたまま窓際に立っていた。

「仲間がお宅の犬を撃ったんです」タブがいった。

 男はそちらを見ないまま、うなずいた。「ほんとなら自分でやらなきゃならなかったんだ。だが、できなかった」「うちのひとはあの犬を、そりゃかわいがってましたから」女はそういうと、もぞもぞと動く子供をそっと揺すった。

「じゃ、やつに頼んだんですか? 犬を撃ってくれって、やつにそういったんですか?」

「年も取ってたし、おまけに病気だった。食べ物を噛むことさえできなかった。自分でやろうにも銃がない」

「どっちにせよ、あなたにはできっこなかったわ。百万年たったところで」

 男は肩をすくめた。

 フランクが台所から出てきた。「おれたちが連れて行かなきゃならん。ここから一番近い病院まで80キロほどあって、救急車は全部出払ってるらしい」

 女が病院までの近道を知っていたが、道順が込み入っていたので、タブはそれを書き留めなければならなかった。男が、ケニーを乗せて運ぶ板がある場所を教えてくれた。その家には懐中電灯がなかったが、ポーチの明かりをつけておいてくれる、という。

 外は暗くなっていた。雲は低く、重たげにたれこめ、うなりをあげながら風が吹き荒れている。ゆるんだスクリーンドアが、ゆっくりバタンと閉まったかと思うと、突風にあおられて今度は強くたたきつけられる。納屋へ行く間もその音はずっと聞こえていた。フランクは板を取りに行き、タブは、元の場所に姿の見えないケニーを探した。ケニーはその先の私道で、うつぶせになって倒れていた。「大丈夫か?」

「いてえよ」

「フランクは、虫垂は外れてるといってたが」

「盲腸はもう取ってる」

「用意はできたぞ」フランクがやってきた。「あっという間に、あったかい上等のベッドのうえさ」そういうと、ケニーの右側に二枚の板きれを置いた。

「男の看護師が来る前に乗せてくれよな」

「ははは……。その意気だ。準備はいいか、それ、一、二、三」そういうと、フランクはケニーを転がして、板に乗せた。ケニーは悲鳴を上げ、脚で空を蹴る。静かになってから、フランクとタブは板を持ち上げ、私道を下っていった。後ろ側を抱えているタブの顔面に、雪がまともに吹きつけ、足の運びもままならない。疲れていたし、おまけに農家の主人はポーチのライトをつけるのを忘れていた。ちょうど家を過ぎたあたりで、タブは足を滑らせ、とっさに身体を支えようと、板から手を離した。板が落ちて転落したケニーは、そのまま私道のはずれまで、悲鳴を上げながら転がっていく。トラックの前輪にぶつかって、やっと止まった。

「この間抜けなデブが。こんなこともできないのか」

 タブはフランクの襟をつかむと、柵に力一杯押しつけた。フランクは手をふりほどこうとしたが、タブはフランクの頭を何度も叩きつけたので、とうとうフランクも抵抗をやめた。

「太ってるってのがどういうことだかおまえにわかるか。甲状腺がどういうことだか、わかってんのか」フランクをなおも揺さぶりながら、タブはいった。「おれのことをなんだと思ってるんだ」

「わかった」

「これからはな」

「わかったから」

「二度とあんなことをいうんじゃない。もう二度とあんなふうに見るな。あんなふうに笑うな」

「わかった、タブ、約束する」

 タブはフランクを自由にすると、柵に額を当ててもたれかかった。腕は両脇にだらんと下がっている。

「すまなかった、タブ」フランクはその肩にふれた。「おれはトラックの方にいるから」

 タブは柵の脇にしばらく立ったままだったが、やがてライフルを拾い上げた。フランクはもういちどケニーを板の上に転がして乗せ、ふたりはトラック後部のベッドにかつぎあげた。毛布を広げてケニーの身体にかけたフランクは「寒くないか?」と聞いた。

 ケニーがうなずく。

「よし。じゃ、こいつの向きを変えるにはどうしたらいいんだ?」

「一番左まで動かして、上げるんだ」フランクが前進させると、ケニーは身体を起こした。「フランク!」

「どうした?」

「動かなかったら、むりやり動かさないでくれ」

 トラックはすぐに動き出した。「まずな」フランクがいった。「こいつを日本人のとこへ持っていくんだ。大昔から続く精神文明をもった連中だから、こんなクソッタレのトラックだってどうにかしてくれる」そうしてタブをちらりと見やった。「あのな、さっきはすまなかったよ。そんなふうに思ってるなんて知らなかったんだ。正直、まったく気がつかなかった。言ってほしかったぞ」

「言った」

「いつ? いつそんなことを言った?」

「ほんの何時間か前だ」

「たぶんおれがぼうっとしてたんだろうな」

「ああ、フランク。なんだかおまえは心ここにあらずだ」

「タブ、あのな、あそこであったことも、もっとわかってやらなきゃいけなかったんだな。わかってきたんだ。おまえ、いろんなつらい目に遭ってきたんだって。あれはおまえのせいじゃない。あいつも自業自得だ」

「そう思うか?」

「そう思う。撃つか、撃たれるか、だった。もしおれがおまえでも、同じことをしていたはずだ」

 風がまともにふたりの顔にふきつけた。雪が動く白い壁となって、ヘッドライトの前にたちふさがる。フロントガラスに開いた穴から、雪が渦を巻きながら降りかかってきた。タブは手を叩きながら、なんとか身体を暖めようとしたが、何の役にも立たなかった。

「休まなくちゃムリだ」フランクがいった。「指の感覚がなくなってきた」

 その先の道路脇に明かりが見えた。酒場らしい。外の駐車場には、ジープやトラックが数台停まっていた。そのうちの何台かのボンネットには、鹿がくくりつけられている。フランクはそこに停めると、ケニーを振り返った。「調子はどうだ、相棒」

「寒い」

「ま、ローンレンジャーになった気分でいてくれよ。まったくの話、運転席のほうがひどい。フロントガラスは直しといた方がいいぞ」

「見ろよ」タブがいった。「毛布をはねのけてる」毛布は後部ドアの手前に固まっていた。

「いいか、ケニー」フランクが声をかけた。「あったかくしとかなきゃ。あとで寒いと文句をいっても、どうにもならんぞ。自分の面倒は自分でみろよな」毛布をケニーの身体にかけると、隅を折りこんだ。

「飛んじまったんだ」

「じゃ、しっかりつかまえてろ」

「フランク、なんで停まってる?」

「おれとタブもあったまらなきゃガチガチに凍っちまう。そうなったらおまえはどうなる?」ケニーの腕にそっとパンチを当てた。「だからな、ここでちょっとおまえの馬を休ませてやってくれ」

(この項つづく:明日最後まで行けるかどうか……微妙)



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