その7.
樺と松の木立ちのなかを彼は走っていった。斜面には段差のある家が点々と建っていたが、そこの大きな窓からは、一心に外に目を向けている顔がいくつものぞいていた。そんな家々のどこかから、一味にたれ込みがあったにちがいない。水の涸れた小さな谷底まできたときには、連中がすぐ後ろに迫っていた。この静かな場所に住む、礼儀正しく法律を決して破ったりしないような人びとも、おれが逃げ延びることを望んではいないのだ。レイダーは悲しい気分でそう思った。おれが殺されるのが見たいのだ。それとも、すんでのところで、殺されるのをまぬがれるところが見たいのか。
実際は、どちらにせよ同じことだった。
谷底におりていくと、うっそうとした茂みに潜って身を横たえた。トンプソン一味が両方からおりてきて、ゆっくりと移動しながら、動くものの姿がないか目を光らせている。レイダーは息を殺し、身を潜めた場所に沿って歩いていく彼らをやり過ごした。
リボルバーの短い発射音が響いた。だが、殺し屋が仕留めたのはリス一匹だった。ぴくぴくしていたリスも、やがて動かなくなった。
茂みに横たわったまま、レイダーは頭上で旋回しているテレビ局のヘリコプターの音を聞いていた。カメラは自分の姿をとらえただろうか。ありそうなことだ。もしだれかそれを見たら。万一それが『善きサマリアびと』なら。
そこで仰向けになって、ヘリコプターに向かって敬虔な表情を作り、両手を組んで祈った。視聴者はこれみよがしな信仰の仕草は好まないかもしれない、そこで声は出さなかった。だが、唇は動かすことにした。これぐらいのことはしてかまわないだろう。
唱えたのは本物の祈りだった。以前、読唇術を身につけた視聴者がいて、ある逃亡者が祈るふりをしながら実際には九九を唱えていたことを見やぶったのである。そんな男をどうして助ける必要があろう!
レイダーの祈りが終わった。時計に目を走らせる。あと二時間ほどの辛抱だ。
死にたくはなかった。いくら金を積まれても、こんなことで死ぬのはごめんだ。まったく頭がどうかしていたんだ。あんな気ちがいじみた契約に同意してしまうなんて……。
だが、ほんとうはそうではなかったことを彼はよく知っていた。自分は徹頭徹尾、正気だったのだ。
* * * * *
ちょうど一週間前、彼はスポットライトもまばゆい『危険の報酬』のステージに登場していた。マイク・テリーが握手を求めてきた。
「さて、レイダー君」テリーはおごそかな声で言った。「君がやろうとするゲームのルールは、よくわかってるね?」
レイダーはうなずいた。
「ジム・レイダー君。もしあなたがこれを受け入れるなら、あなたは一週間の間、追われる身になるのです。殺し屋たちがあなたを追いかけるんですよ、ジム。凄腕の殺し屋です。ほかの罪状でお尋ね者になっている連中が、この一件のみ、任意自殺法が適用されるために免責扱いとなる。彼らは君を殺そうとするだろう。そのことはわかってるんだね?」
「わかってます」レイダーは言った。同時に、一週間生き延びれば、二十万ドルが手にはいることも了解していた。
「レイダー君、もう一度尋ねるよ。わたしたちは君に命を賭けるよう、いかなる強制もするつもりはないんだからね」
「おれがやりたいんです」レイダーは言った。
マイク・テリーは観客に向き直った。「紳士淑女のみなさん、わたしがここにもっているのは、一通の徹底的な心理テストの結果です。これはわたしたちの申し出を受け入れたジム・レイダー君に対して、第三者機関が心理テストをおこなったその結果なのです。この写しは、ご希望の方に25セントの送料をご負担いただいた上でお送りいたします。この結果によりますと、ジム・レイダー君の精神状態はまったく申し分なく、あらゆる面において責任を負うことが可能であるということです」そこで今度はレイダーの方を向いた。
「ジム、君はほんとうに競技への出場を希望するんだね?」
「はい。そうするつもりです」
「すばらしい!」マイク・テリーは叫んだ。「ジム・レイダー君、君を殺そうとする連中をお目にかけよう!」
ギャングのトンプソン一味が舞台に登場し、観客からブーイングが浴びせられた。
「やつらを見てやってください、みなさん」マイク・テリーが軽蔑もあらわに言った。「どうですか、みなさん。反社会的で、骨の髄まで冷酷、道徳心のかけらもない。連中にあるのは闇社会のねじ曲げられた掟だけ、彼らには規範なんてものは存在しないんだ。彼らには誇りもありません。かりにあったとしても、雇われ殺し屋の腰抜けの名誉です。彼らは滅びゆく連中だ。彼らの行為をもはや許容できないわたしたちの社会のなかにあって、滅ぼされる連中、早晩、惨めな末路をたどることが宿命づけられた手合いなのです」
観衆は熱狂的な歓声を送った。
「何か言いたいことはあるかね、クロード・トンプソン?」テリーは尋ねた。
クロード、トンプソン一家のスポークスマンがマイクの前に立った。きちんとひげを剃った、痩せて地味な格好をした男だった。
「思うんだが」クロード・トンプソンはしわがれた声で言った。「おれたちが世間の連中にくらべて格別あくどいってわけじゃない。戦争中の兵隊を見てみろ、人を殺すことには変わりないんだ。政府だって組合だって、同じことじゃねえか。みんな袖の下を取ってるんだ」
それがトンプソンにとっての精一杯の理屈らしかった。だが、マイク・テリーはいともたやすく、また、きっぱりとした口調で、殺し屋どもの言い分を完膚なきまでにうちのめす。テリーは相手を問いつめ、薄汚れた魂をまっすぐに貫いた。
インタビューの終わるころには、クロード・トンプソンは汗だくになり、絹のハンカチで顔をぬぐいながら、子分の方にちらちらと目配せしていた。
マイク・テリーはレイダーの肩に手を載せた。「ここに君たちの獲物になることに同意した人物がいる――ただし、君たちに捕まえることができたら、の話だが」
「わけなく捕まえられるさ」トンプソンは言ったが、ここへ来て落ち着きを取り戻したらしかった。
「いい気になるなよ」テリーは言った。「ジム・レイダー君は凶暴な牡牛とだって闘ったことがある――こんどの相手は小物だからな。彼はありふれた男だ。大衆の一員だ――最終的に、君や、君の同類を滅ぼしてしまう大衆のな」
「捕まえてやる」トンプソンは言った。
「それからもうひとつ」テリーがなごやかな調子で言った。「ジム・レイダー君はひとりじゃない。アメリカ中の人びとが彼の味方だ。全国至るところにいる偉大な人びとが『善きサマリヤびと』として、彼を助ける。武器も持たず、身を守るすべもないジム・レイダー君だが、彼はみんなの援助と応援を味方につけているんだ。彼は大衆の代表なのだからな。だからいい気になるんじゃないぞ、クロード・トンプソン! ありふれた人びとはみなジム・レイダーの味方だ――ありふれた人びとの数は多いぞ!」
* * * * *
(※ジム・レイダーの運命やいかに。明日怒濤の最終回)
樺と松の木立ちのなかを彼は走っていった。斜面には段差のある家が点々と建っていたが、そこの大きな窓からは、一心に外に目を向けている顔がいくつものぞいていた。そんな家々のどこかから、一味にたれ込みがあったにちがいない。水の涸れた小さな谷底まできたときには、連中がすぐ後ろに迫っていた。この静かな場所に住む、礼儀正しく法律を決して破ったりしないような人びとも、おれが逃げ延びることを望んではいないのだ。レイダーは悲しい気分でそう思った。おれが殺されるのが見たいのだ。それとも、すんでのところで、殺されるのをまぬがれるところが見たいのか。
実際は、どちらにせよ同じことだった。
谷底におりていくと、うっそうとした茂みに潜って身を横たえた。トンプソン一味が両方からおりてきて、ゆっくりと移動しながら、動くものの姿がないか目を光らせている。レイダーは息を殺し、身を潜めた場所に沿って歩いていく彼らをやり過ごした。
リボルバーの短い発射音が響いた。だが、殺し屋が仕留めたのはリス一匹だった。ぴくぴくしていたリスも、やがて動かなくなった。
茂みに横たわったまま、レイダーは頭上で旋回しているテレビ局のヘリコプターの音を聞いていた。カメラは自分の姿をとらえただろうか。ありそうなことだ。もしだれかそれを見たら。万一それが『善きサマリアびと』なら。
そこで仰向けになって、ヘリコプターに向かって敬虔な表情を作り、両手を組んで祈った。視聴者はこれみよがしな信仰の仕草は好まないかもしれない、そこで声は出さなかった。だが、唇は動かすことにした。これぐらいのことはしてかまわないだろう。
唱えたのは本物の祈りだった。以前、読唇術を身につけた視聴者がいて、ある逃亡者が祈るふりをしながら実際には九九を唱えていたことを見やぶったのである。そんな男をどうして助ける必要があろう!
レイダーの祈りが終わった。時計に目を走らせる。あと二時間ほどの辛抱だ。
死にたくはなかった。いくら金を積まれても、こんなことで死ぬのはごめんだ。まったく頭がどうかしていたんだ。あんな気ちがいじみた契約に同意してしまうなんて……。
だが、ほんとうはそうではなかったことを彼はよく知っていた。自分は徹頭徹尾、正気だったのだ。
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ちょうど一週間前、彼はスポットライトもまばゆい『危険の報酬』のステージに登場していた。マイク・テリーが握手を求めてきた。
「さて、レイダー君」テリーはおごそかな声で言った。「君がやろうとするゲームのルールは、よくわかってるね?」
レイダーはうなずいた。
「ジム・レイダー君。もしあなたがこれを受け入れるなら、あなたは一週間の間、追われる身になるのです。殺し屋たちがあなたを追いかけるんですよ、ジム。凄腕の殺し屋です。ほかの罪状でお尋ね者になっている連中が、この一件のみ、任意自殺法が適用されるために免責扱いとなる。彼らは君を殺そうとするだろう。そのことはわかってるんだね?」
「わかってます」レイダーは言った。同時に、一週間生き延びれば、二十万ドルが手にはいることも了解していた。
「レイダー君、もう一度尋ねるよ。わたしたちは君に命を賭けるよう、いかなる強制もするつもりはないんだからね」
「おれがやりたいんです」レイダーは言った。
マイク・テリーは観客に向き直った。「紳士淑女のみなさん、わたしがここにもっているのは、一通の徹底的な心理テストの結果です。これはわたしたちの申し出を受け入れたジム・レイダー君に対して、第三者機関が心理テストをおこなったその結果なのです。この写しは、ご希望の方に25セントの送料をご負担いただいた上でお送りいたします。この結果によりますと、ジム・レイダー君の精神状態はまったく申し分なく、あらゆる面において責任を負うことが可能であるということです」そこで今度はレイダーの方を向いた。
「ジム、君はほんとうに競技への出場を希望するんだね?」
「はい。そうするつもりです」
「すばらしい!」マイク・テリーは叫んだ。「ジム・レイダー君、君を殺そうとする連中をお目にかけよう!」
ギャングのトンプソン一味が舞台に登場し、観客からブーイングが浴びせられた。
「やつらを見てやってください、みなさん」マイク・テリーが軽蔑もあらわに言った。「どうですか、みなさん。反社会的で、骨の髄まで冷酷、道徳心のかけらもない。連中にあるのは闇社会のねじ曲げられた掟だけ、彼らには規範なんてものは存在しないんだ。彼らには誇りもありません。かりにあったとしても、雇われ殺し屋の腰抜けの名誉です。彼らは滅びゆく連中だ。彼らの行為をもはや許容できないわたしたちの社会のなかにあって、滅ぼされる連中、早晩、惨めな末路をたどることが宿命づけられた手合いなのです」
観衆は熱狂的な歓声を送った。
「何か言いたいことはあるかね、クロード・トンプソン?」テリーは尋ねた。
クロード、トンプソン一家のスポークスマンがマイクの前に立った。きちんとひげを剃った、痩せて地味な格好をした男だった。
「思うんだが」クロード・トンプソンはしわがれた声で言った。「おれたちが世間の連中にくらべて格別あくどいってわけじゃない。戦争中の兵隊を見てみろ、人を殺すことには変わりないんだ。政府だって組合だって、同じことじゃねえか。みんな袖の下を取ってるんだ」
それがトンプソンにとっての精一杯の理屈らしかった。だが、マイク・テリーはいともたやすく、また、きっぱりとした口調で、殺し屋どもの言い分を完膚なきまでにうちのめす。テリーは相手を問いつめ、薄汚れた魂をまっすぐに貫いた。
インタビューの終わるころには、クロード・トンプソンは汗だくになり、絹のハンカチで顔をぬぐいながら、子分の方にちらちらと目配せしていた。
マイク・テリーはレイダーの肩に手を載せた。「ここに君たちの獲物になることに同意した人物がいる――ただし、君たちに捕まえることができたら、の話だが」
「わけなく捕まえられるさ」トンプソンは言ったが、ここへ来て落ち着きを取り戻したらしかった。
「いい気になるなよ」テリーは言った。「ジム・レイダー君は凶暴な牡牛とだって闘ったことがある――こんどの相手は小物だからな。彼はありふれた男だ。大衆の一員だ――最終的に、君や、君の同類を滅ぼしてしまう大衆のな」
「捕まえてやる」トンプソンは言った。
「それからもうひとつ」テリーがなごやかな調子で言った。「ジム・レイダー君はひとりじゃない。アメリカ中の人びとが彼の味方だ。全国至るところにいる偉大な人びとが『善きサマリヤびと』として、彼を助ける。武器も持たず、身を守るすべもないジム・レイダー君だが、彼はみんなの援助と応援を味方につけているんだ。彼は大衆の代表なのだからな。だからいい気になるんじゃないぞ、クロード・トンプソン! ありふれた人びとはみなジム・レイダーの味方だ――ありふれた人びとの数は多いぞ!」
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(※ジム・レイダーの運命やいかに。明日怒濤の最終回)