その2.
彼は63番街を進んでいったが、長身を隠そうと背を丸め、その足取りは疲労と空腹、それに睡眠不足のせいでかすかにふらついていた。
「そこのあんた!」
レイダーは振り返った。中年の女がブラウンストーン造りの家の前の階段に腰をおろし、眉をひそめて彼を見ている。
「あんた、レイダーさんでしょ? 殺されそうになってる人だよね」
レイダーは立ち去ろうとした。
「家へお入りよ、レイダーさん」女が言った。
これは罠にちがいない。だがレイダーは、自分が一般人の思いやりと親切に頼らざるを得ないことを理解していた。自分は一般人の代表であり、一般人が自分自身を投影させている像であり、困難に瀕している平凡な男なのである。一般人の存在がなければ、彼は敗れるのだ。一般人がついていてくれさえすれば、彼は無事でいられる。
人びとを信じろ、とマイク・テリーも言っていた。人びとは君を悪いようにはしない、と。
女のあとについて客間に入っていった。女は、すわんなさい、と声をかけてから、部屋を出ていったが、間もなくシチューの皿を持ってきた。彼が食べているあいだ、動物園の猿がピーナツでも食べているのを見るような格好で、立ったまま眺めている。
子供がふたり、台所から出てきて、じろじろと彼を眺めた。オーバーオールを着た男が三人、寝室から出てきて、テレビ・カメラの焦点を彼に合わせた。その部屋には大型テレビがあった。レイダーは、がつがつとむさぼりながら、画面に映ったマイク・テリーを眺め、彼の力強い、心の底から心配しているような声に耳を傾けた。
「みなさん、ここに彼がいます」テリーは言った。「ジム・レイダーはいま、この二日間で初めて、まともな食事を取っているところです。わたしたちのカメラ・クルーがみなさんに映像をお届けしようと、現場に張り込んでいたのです。クルー諸君、どうもありがとう……。みなさん、ジム・レイダーは63番街343番地のミセス・ヴェルマ・オデールの下で、ほんのひととき、安らぎの場所を得ることができました。「善きサマリヤびと」であるオデールさん、どうもありがとう。ありとあらゆる分野から、これほど多くの人びとが、ジム・レイダーを応援してくださっているとは、実にすばらしいことではありませんか!」
「あんた、急いだ方がいいよ」ミセス・オデールが言った。
「そうですね、奥さん」レイダーは答えた。
「あたしんとこでドンパチやられちゃ困るからね」
「もう食べ終えるところですよ」
子供のひとりが聞いた。「あいつら、おじさんのこと、殺そうとしてるんだろ?」
「黙ってな」ミセス・オデールが言った。
「そうだよ、ジム」マイク・テリーは歌うように言った。「君は急いだ方がいい。殺し屋たちは君のすぐ後ろに迫っているんだ。奴らだって馬鹿じゃないよ、ジム。極悪非道なアウト・ロー、常軌を逸した連中ではあるが、馬鹿なんかじゃない。彼らは君の血の跡をたどってるんだ――君の手を負傷したところから血が流れているんだよ、ジム」
レイダーはそれまで窓の下枠に手をついたときに切り傷ができていたことなど気がついていなかった。
「さあ、包帯を巻いてあげるよ」レイダーは立ちあがって、手に包帯を巻いてもらった。それがすむと、ミセス・オデールは茶色い上着と、灰色のつばのひろい帽子を出してくれた。
「うちのダンナのものよ」彼女は言った。
「みなさん、彼は変装しました!」マイク・テリーはうれしそうに叫んだ。「これは新しい展開です! 変装とは! あと七時間で彼は安全になるのです!」
「さあ、もう出てってよ」ミセス・オデールが言った。
「ええ、行きます」レイダーは言った。「奥さん、どうもありがとう」
「あんたも馬鹿な人だよ」と彼女が言った。「こんなことにかかずらわるなんて、ほんと、馬鹿だよ」
「そうでしょうね、奥さん」
「まったく割りの合わない話さ」
レイダーは夫人に礼を言うと、そこを出た。ブロードウェイを歩き、地下鉄に乗って59番街まで行ってから、今度はアプタウン行き各駅停車に乗り換えて、86番街に向かった。そこで新聞を買うと、マンハセットまでの直通急行に乗った。
* * * * *
(この項つづく)
彼は63番街を進んでいったが、長身を隠そうと背を丸め、その足取りは疲労と空腹、それに睡眠不足のせいでかすかにふらついていた。
「そこのあんた!」
レイダーは振り返った。中年の女がブラウンストーン造りの家の前の階段に腰をおろし、眉をひそめて彼を見ている。
「あんた、レイダーさんでしょ? 殺されそうになってる人だよね」
レイダーは立ち去ろうとした。
「家へお入りよ、レイダーさん」女が言った。
これは罠にちがいない。だがレイダーは、自分が一般人の思いやりと親切に頼らざるを得ないことを理解していた。自分は一般人の代表であり、一般人が自分自身を投影させている像であり、困難に瀕している平凡な男なのである。一般人の存在がなければ、彼は敗れるのだ。一般人がついていてくれさえすれば、彼は無事でいられる。
人びとを信じろ、とマイク・テリーも言っていた。人びとは君を悪いようにはしない、と。
女のあとについて客間に入っていった。女は、すわんなさい、と声をかけてから、部屋を出ていったが、間もなくシチューの皿を持ってきた。彼が食べているあいだ、動物園の猿がピーナツでも食べているのを見るような格好で、立ったまま眺めている。
子供がふたり、台所から出てきて、じろじろと彼を眺めた。オーバーオールを着た男が三人、寝室から出てきて、テレビ・カメラの焦点を彼に合わせた。その部屋には大型テレビがあった。レイダーは、がつがつとむさぼりながら、画面に映ったマイク・テリーを眺め、彼の力強い、心の底から心配しているような声に耳を傾けた。
「みなさん、ここに彼がいます」テリーは言った。「ジム・レイダーはいま、この二日間で初めて、まともな食事を取っているところです。わたしたちのカメラ・クルーがみなさんに映像をお届けしようと、現場に張り込んでいたのです。クルー諸君、どうもありがとう……。みなさん、ジム・レイダーは63番街343番地のミセス・ヴェルマ・オデールの下で、ほんのひととき、安らぎの場所を得ることができました。「善きサマリヤびと」であるオデールさん、どうもありがとう。ありとあらゆる分野から、これほど多くの人びとが、ジム・レイダーを応援してくださっているとは、実にすばらしいことではありませんか!」
「あんた、急いだ方がいいよ」ミセス・オデールが言った。
「そうですね、奥さん」レイダーは答えた。
「あたしんとこでドンパチやられちゃ困るからね」
「もう食べ終えるところですよ」
子供のひとりが聞いた。「あいつら、おじさんのこと、殺そうとしてるんだろ?」
「黙ってな」ミセス・オデールが言った。
「そうだよ、ジム」マイク・テリーは歌うように言った。「君は急いだ方がいい。殺し屋たちは君のすぐ後ろに迫っているんだ。奴らだって馬鹿じゃないよ、ジム。極悪非道なアウト・ロー、常軌を逸した連中ではあるが、馬鹿なんかじゃない。彼らは君の血の跡をたどってるんだ――君の手を負傷したところから血が流れているんだよ、ジム」
レイダーはそれまで窓の下枠に手をついたときに切り傷ができていたことなど気がついていなかった。
「さあ、包帯を巻いてあげるよ」レイダーは立ちあがって、手に包帯を巻いてもらった。それがすむと、ミセス・オデールは茶色い上着と、灰色のつばのひろい帽子を出してくれた。
「うちのダンナのものよ」彼女は言った。
「みなさん、彼は変装しました!」マイク・テリーはうれしそうに叫んだ。「これは新しい展開です! 変装とは! あと七時間で彼は安全になるのです!」
「さあ、もう出てってよ」ミセス・オデールが言った。
「ええ、行きます」レイダーは言った。「奥さん、どうもありがとう」
「あんたも馬鹿な人だよ」と彼女が言った。「こんなことにかかずらわるなんて、ほんと、馬鹿だよ」
「そうでしょうね、奥さん」
「まったく割りの合わない話さ」
レイダーは夫人に礼を言うと、そこを出た。ブロードウェイを歩き、地下鉄に乗って59番街まで行ってから、今度はアプタウン行き各駅停車に乗り換えて、86番街に向かった。そこで新聞を買うと、マンハセットまでの直通急行に乗った。
* * * * *
(この項つづく)