陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロバート・シェクリィ「危険の報酬」その1.

2009-01-04 22:54:11 | 翻訳
新年の一発目は、肩の凝らないものをやろうと思います。
Robert Sheckley の "The Prize of Peril"(「危険の報酬」)です。
ロバート・シェクリィ、というと、SF好きの人なら『人間の手がまだ触れない』などでたぶんよくご存じと思うんですが、それ以外の方にとっては初めて聞く名前かもしれません。

この作品が雑誌に発表されたのは1958年、アメリカではテレビが一般家庭に爆発的に普及していく時代です。いまのわたしたちから見ると、筒井康隆にも似た短篇はあるし、映画にも同じアイデアのものがありますが、そんな時代に書かれたと思うと、ちょっと驚くものがあります。

SFの作品に出てくる「未来」が、いまのわたしたちにとってはすでに「過去」になっているものも少なくない。それでもわたしたちの身の回りにはアンドロイドもいないし、タクシーも宙を走らない、火星にも行ってない。それでも、この短篇の舞台は、いまのわたしたちと意外なほど近いかもしれません。

たぶん八日ぐらいで訳していくと思うので、まとめて読みたい人はそのくらいにまた来てみてください。

原文はhttp://arthursclassicnovels.com/arthurs/sheckley/prizep10.htmlで読むことができます。

* * *

The Prize of Peril(「危険の報酬」)
by Robert Sheckley


レイダーは用心しながら窓の下枠から頭をもたげた。そこから見える非常階段は、細い路地に通じている。路地には雨ざらしにされた乳母車とゴミの罐が三つ。様子をうかがっていると、一番向こうにある罐の陰から黒い袖が現れた。何か光るものを握っている。レイダーは身を伏せた。弾丸が頭のすぐ上の窓を撃ち抜き、天井を砕いて、漆喰がシャワーになって降りかかった。

 これで路地の状況はわかった。見張られている。ドアと同じだ

 ひび割れたリノリウムの床に体を伸ばしてあおむけになると、ドアの向こうの気配に耳をすませながら、天井の弾痕をながめた。レイダーは長身だったが、眼は血走って、二日ぶんの無精ひげが伸びている。その顔は垢と疲労に隈取られていた。恐怖のせいで、顔の筋肉がこわばり、神経はひくひくとけいれんしている。いまの彼はぎょっとするような形相だった。死を目前にして面貌が一変していた。

 路地には銃を持った男がひとり、階段にはふたり。彼は追いつめられていた。もはや死んだも同然である。

 ああ、そうだ。レイダーは考えた。まだ動けるし、息もしているが、それも死神のやつの不手際ってだけの話じゃないか。もう何分もしないうちに、やつが片づけに来るんだ。死に神がおれの顔も体も穴だらけにして、血でこの服を芸術的な色合いに染め上げ、おれの手脚を使って墓場バレエ団のグロテスクなポーズを取らせるのだ……。

 レイダーはきつく唇を噛んだ。死ぬのはごめんだった。何か方法があるはずなのだ。

 ごろりと身を回転させて腹這いになると、給湯設備もない、薄汚いアパートの部屋を見回した。殺し屋たちに追われてここに逃げ込んできたのだ。ちっぽけな一間きりの部屋は、棺桶と呼ぶにうってつけだ。ドアはあるが見張りがいるし、非常階段も同様。あとは窓のない浴室があるだけだ。

 彼は浴室まで這っていき、そこで立ちあがった。天井には、ほぼ十センチ四方のぎざぎざの穴がひとつ開いていた。この穴を広げることができたら、上の部屋に這い上がることもできるのではあるまいか……。

 くぐもったような音が聞こえた。殺し屋たちは辛抱強くはないのだ。ドアを破ろうとしているらしい。

 天井の穴を調べた。考えてもムダだ。広げる時間などない。

 ドアを壊そうと、うなり声をあげながら体当たりしている。じきに錠が引きちぎられるか、腐った柱からちょうつがいが吹き飛んでしまうかするにちがいない。ドアが破られて、無表情な殺し屋がふたり入ってくる。上着の埃をはたきながら……。

 だが、かならず助けの手がさしのべられるにちがいない! 彼はポケットから小さなテレビを取り出した。画面はぼやけていたが、わざわざ調節するには及ばない。音の方は雑音もなく、はっきりと聞こえる。

 耳を傾けたのは、大勢の視聴者に向かって話しかけるマイク・テリーのめりはりのきいた声だった。

「……恐ろしい事態になりました」テリーは続けた。「そうです、みなさん、ジム・レイダーは、まさに絶体絶命の窮地に追い込まれているのです。みなさんも覚えていらっしゃるように、彼はこれまで偽名を使って、ブロードウェイにある三流のホテルに潜伏していました。これで無事であろうと思われたのです。ところがベルボーイが彼に気がつき、情報をトンプソン一味にたれこんだのです」

 ドアが繰りかえされる攻撃に悲鳴をあげている。レイダーは小型テレビをにぎりしめ、耳を凝らした。

「ジム・レイダーは、きわどいところでホテルから逃げおおせたのです。あわやというところで、ウェスト・エンド街156番地の石造りのテラスハウスに飛び込んだのでした。づたいに逃げようとしたのです。うまくいくはずでした、視聴者のみなさん、確かにうまくいっていたのです。ですが、屋根に通じるドアに鍵がかかっていた。万事休す、と思われました……。ですがレイダーはアパートの七号室が空き部屋で、しかも鍵がかかっていないことを発見したのでした。彼は侵入しました……」

 テリーは効果を高めるために一息置いたあと、声の調子を上げた――「そうしていまや彼はそこにとじこめられてしまっているのです。まさにワナに閉じこめられたネズミとなってしまったのです! トンプソン一味はいまドアを破ろうとしています! 非常階段にも見張りが! カメラ・クルーが付近のビルにいます。クローズ・アップをお届けしましょう。ご覧ください、みなさん、しっかりと! ジム・レイダーにはもはや一縷の望みもないのでしょうか?」

 一縷の望みもないのか? レイダーは声に出さず繰りかえした。暗く息詰まるような狭い浴室で、間断なくドアにぶつかるくぐもった音を聞きながら、冷や汗を流していた。

「ちょっと待って!」マイク・テリーが叫んだ。「がんばるんだ、ジム・レイダー、もう少しがまんしろ。望みがあるかもしれない! たったいま、視聴者の方から緊急電話がありました。“善きサマリアびと”の専用回線に電話があったのです。君を助けられる、という方からの電話だよ、ジム。聞いているかな、ジム・レイダー?」

 レイダーは待った。腐った柱からちょうつがいが吹き飛んだ音が聞こえてくる。

「お話ください」マイク・テリーが言った。「お名前は?」

「ああ……フェリックス・バーソロモウです」

「心配なさらなくていいんですよ、バーソロモウさん。話を聞かせてください」

「わかりました。レイダーさん」老人のふるえる声が聞こえてきた。「わたしは昔、ウェスト・エンド街156番地に住んどりました。レイダーさん、あんたがいま閉じこめられている、そのアパートですな――で、その浴室は、レイダーさん、窓があったんです。上からペンキを塗ってしまったんだが、窓が――」

 レイダーは小型テレビをポケットに押し込んだ。窓の輪郭を探り出し、蹴破った。ガラスが割れ、日の光が降り注ぐ。のこぎりの歯のようになった窓の敷居を払い、急いで下をのぞいた。

 コンクリート敷きの中庭まで、かなりの高さがある。

 ちょうつがいははずれていた。ドアが開くのが聞こえる。急いでレイダーは窓によじのぼり、指先でぶらさがってから、飛び降りた。

 衝撃が襲う。よろめきながら立ちあがった。浴室の窓から顔がのぞいた。

「逃げやがったな」男が言うと、身を乗り出して、銃身の詰まった38口径で慎重にねらいをつけた。

 その瞬間、浴室内部で発煙弾が炸裂した。

 殺し屋の発砲は大きく外れた。殺し屋は振り向いて、悪態をつく。さらに何本かの発煙弾が中庭で炸裂し、レイダーの姿は見えなくなった。

ポケットの小型テレビから、マイク・テリーの興奮した声が聞こえる。「さあ、逃げるんだ!」テリーは叫んでいた。「走れ、ジム・レイダー、命がけで走れ。いまのうちに、発煙筒の煙で殺し屋どもの目が見えなくなっているあいだに逃げるんだ。それから“善きサマリヤびと”のサラ・ウィンターズさんに感謝するのを忘れるな。発煙弾五発を寄贈してくださり、その投てき役を雇ってくださったんだからな」声を落としてテリーは続けた。「ウィンターズさん、あなたは今日、ひとりの人物の命を救ったんですよ。視聴者のみなさんに聞かせてあげてください、あなたがどのように……」

 レイダーはその先を聞いている暇はなかった。煙の立ちこめた中庭を駆け抜け、物干しロープをかいくぐって、表通りへ出ていった。

(この項つづく)