小学校のあれは何年だったのだろうか。
たぶん理科の授業だったと思うのだが、月に一度、なんでもでもいい、季節が感じられるものを見つけてそれを書きなさい、ということを、一年間続けた。ちょうど絵日記のように、紙の上半分に絵が描けるような枠があり、下には罫が引いてあって文章を書くようになっている。そこに毎月、桜が咲いた、鯉のぼりを見た、あじさいの花の色が変わった……などと書いていったのだろう。
自分が何を書いたかまったく覚えていないのだが、学年の終わりにみんなでそれをまとめて発表会をやった。自分のことはもちろん、ほかにどんな発表があったかも記憶にはない。たったひとつ覚えているのは、その発表会を見に来た副校長先生の講評だ。
みんなは季節の移り変わりといったら、自然現象ばかりだと思っているのではないか、スーパーの店先だって、街のショウ・ウィンドウにだって、道を歩く人にだって季節はあるのだ、もっといろんなところにある季節にも目を向けてほしい。そんな内容の話だった。
こうやってみると、自由な発想というのは、かならずしも子供のものとは言えなさそうだ。「理科の授業でやる」ということから、自然現象のなかから探さなくてはならない、というふうに思いこんでしまったのだから。
おそらく毎月苦労して書いていたのだと思う。チューリップやあじさいなどのように、即座にむすびつく花が見つかる月ばかりではない。図鑑を見ながら、あまりよく知らない植物の絵を描いたこともあったような気がする。
だが、副校長先生の話を聞いて、しまった、そんなにむずかしく考えないでいいんだった、もっと自分の身の回りに目を向ければ良かったんだ、と思った。図鑑の絵では実感のあろうはずがない。だが、日常のなかに自分が「ああ、冬だ」と思えば、そこにほかならぬ自分の「実感」がある。そんな機会でもなければ流れていってしまうような些細な「実感」でも、つなぎとめておけば自分の「歳時記」だ。
もちろんそのとき、そんなことまで思ったわけではないだろう。それでも、季節の移り変わりが自分の実感として刻まれるようになったのは、その出来事がきっかけだったように思う。
ピアノの鍵盤にふれて、指先からしみわたってくる冷たさ。動かすたびにどんどん指がかじかみ、動かなくなっていく。手を離し、息を吹きかけ、こすって暖め、凍えて堅くなった指をほぐしてから、また鍵盤にのせる。それを繰りかえすのが、当時のわたしにとっての冬だった。
あるいは、朝、目を覚まして部屋を出ると、ぷんと灯油のにおいが鼻をつく。そのにおいのおかげで、ストーブのある部屋の暖かさが、部屋に入るより先にわたしの身の内に起こるのだった。蒸気でくもったガラス窓とストーブの上で湯気をあげているやかん。
学校へ行くとき、近道をするために空き地を横切る。運動靴の下のざくざくいう感触が楽しくて、霜柱のあるところを選んで歩いた。
寒がりのわたしが、寒い、寒い、と言っていると、いつも「肩の力を抜いてごらん」というクラスメイトがいた。寒いときには体が縮こまって、肩に力が入っているものだ。そこで肩の力を抜くと、かえって寒くなくなるよ。その子は口癖のようにそう言っていたのだが、肩の力を抜くと、首筋がスースーして、やはり寒かった。
ひとりで暮らすようになって、冬を実感するのは、結露だ。毎朝カーテンを開けて、びっしょり濡れた窓ガラスを拭く。朝一番の仕事を、11月の終わりぐらいから3月の終わりぐらいまで、四ヶ月間、毎朝続けていく。
例外は雨の朝で、雨がふることで明け方気温が下がらないせいか、結露は生じないのだった。冷たい雨のなか、出かけていかなければならないことを思うと、雨はうれしくはなかったが、カーテンを開けて、めずらしく濡れても曇ってもいない窓から外が見渡せるのはうれしい。窓が濡れているのではなく、窓の外が濡れている。アスファルトの路面に、まばらな街灯が反射し、真っ暗な外は夜中か朝かわからない。それでも新聞配達のバイクの音が、普段より近く聞こえ、早朝であることを教えてくれる。
雨の朝に愛着がもてるのは、この季節だけだ。
たぶん理科の授業だったと思うのだが、月に一度、なんでもでもいい、季節が感じられるものを見つけてそれを書きなさい、ということを、一年間続けた。ちょうど絵日記のように、紙の上半分に絵が描けるような枠があり、下には罫が引いてあって文章を書くようになっている。そこに毎月、桜が咲いた、鯉のぼりを見た、あじさいの花の色が変わった……などと書いていったのだろう。
自分が何を書いたかまったく覚えていないのだが、学年の終わりにみんなでそれをまとめて発表会をやった。自分のことはもちろん、ほかにどんな発表があったかも記憶にはない。たったひとつ覚えているのは、その発表会を見に来た副校長先生の講評だ。
みんなは季節の移り変わりといったら、自然現象ばかりだと思っているのではないか、スーパーの店先だって、街のショウ・ウィンドウにだって、道を歩く人にだって季節はあるのだ、もっといろんなところにある季節にも目を向けてほしい。そんな内容の話だった。
こうやってみると、自由な発想というのは、かならずしも子供のものとは言えなさそうだ。「理科の授業でやる」ということから、自然現象のなかから探さなくてはならない、というふうに思いこんでしまったのだから。
おそらく毎月苦労して書いていたのだと思う。チューリップやあじさいなどのように、即座にむすびつく花が見つかる月ばかりではない。図鑑を見ながら、あまりよく知らない植物の絵を描いたこともあったような気がする。
だが、副校長先生の話を聞いて、しまった、そんなにむずかしく考えないでいいんだった、もっと自分の身の回りに目を向ければ良かったんだ、と思った。図鑑の絵では実感のあろうはずがない。だが、日常のなかに自分が「ああ、冬だ」と思えば、そこにほかならぬ自分の「実感」がある。そんな機会でもなければ流れていってしまうような些細な「実感」でも、つなぎとめておけば自分の「歳時記」だ。
もちろんそのとき、そんなことまで思ったわけではないだろう。それでも、季節の移り変わりが自分の実感として刻まれるようになったのは、その出来事がきっかけだったように思う。
ピアノの鍵盤にふれて、指先からしみわたってくる冷たさ。動かすたびにどんどん指がかじかみ、動かなくなっていく。手を離し、息を吹きかけ、こすって暖め、凍えて堅くなった指をほぐしてから、また鍵盤にのせる。それを繰りかえすのが、当時のわたしにとっての冬だった。
あるいは、朝、目を覚まして部屋を出ると、ぷんと灯油のにおいが鼻をつく。そのにおいのおかげで、ストーブのある部屋の暖かさが、部屋に入るより先にわたしの身の内に起こるのだった。蒸気でくもったガラス窓とストーブの上で湯気をあげているやかん。
学校へ行くとき、近道をするために空き地を横切る。運動靴の下のざくざくいう感触が楽しくて、霜柱のあるところを選んで歩いた。
寒がりのわたしが、寒い、寒い、と言っていると、いつも「肩の力を抜いてごらん」というクラスメイトがいた。寒いときには体が縮こまって、肩に力が入っているものだ。そこで肩の力を抜くと、かえって寒くなくなるよ。その子は口癖のようにそう言っていたのだが、肩の力を抜くと、首筋がスースーして、やはり寒かった。
ひとりで暮らすようになって、冬を実感するのは、結露だ。毎朝カーテンを開けて、びっしょり濡れた窓ガラスを拭く。朝一番の仕事を、11月の終わりぐらいから3月の終わりぐらいまで、四ヶ月間、毎朝続けていく。
例外は雨の朝で、雨がふることで明け方気温が下がらないせいか、結露は生じないのだった。冷たい雨のなか、出かけていかなければならないことを思うと、雨はうれしくはなかったが、カーテンを開けて、めずらしく濡れても曇ってもいない窓から外が見渡せるのはうれしい。窓が濡れているのではなく、窓の外が濡れている。アスファルトの路面に、まばらな街灯が反射し、真っ暗な外は夜中か朝かわからない。それでも新聞配達のバイクの音が、普段より近く聞こえ、早朝であることを教えてくれる。
雨の朝に愛着がもてるのは、この季節だけだ。