陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロバート・シェクリィ「危険の報酬」その3.

2009-01-06 22:35:47 | 翻訳
その3.

 地下鉄はうなりをあげて、マンハッタンの下を走っていた。レイダーは包帯の巻いてある手を新聞の下に置き、帽子を下げて顔を隠して、うとうととまどろんだ。まだ見つかってはいないのだろうか? トンプソン一味をふりきったのだろうか。それともいまちょうど、誰か連中に電話をかけているところか。

 ゆめうつつのうちに、自分は死に神の手から逃げおおせたのだろうか、それとも巧みに動かされている死体なのだろうか、と考えていた。あっちやこっち、うろつきまわっているのも、死に神のやつがもたもたしてるってだけなんじゃないか?(やれやれ、きょうびの死神は、えらくのろまになったもんだな! ジム・レイダーは死んでから何時間もうろつきまわって、きちんと埋葬される直前まで、みんなの質問に答えてたらしいぞ!)

 レイダーははっとして目を開いた。夢を見ていたような気がする……気持ちの悪い。だが、中身を思い出すことはできなかった。

 ふたたび目を閉じると、自分が厄介ごとに巻き込まれていなかった日々があったことがよみがえってきて、何か不思議な気分に襲われた。

 二年前のことだった。彼は大きな図体の気のいい青年で、トラックの運転助手を務めていた。とりたてて才能があったわけではない。野心を抱くほどの傲慢さもなかった。

 きつい顔つきの小柄な運転手が、彼に代わって夢を見た。「ジム、おめえ、テレビに出てみないか? おめえほど見栄えがすりゃ、おれだったら絶対そうしてるぜ。テレビじゃあ、平凡な好青年ってやつが好きなんだ。とりたててぱっとしねえようなやつがな。一般出場者としてぴったりなんだ。だれでもそんなやつが好きだからな。やってみろよ」

 言われるまま彼はやってみた。地方テレビ局の支配人が、もっと詳しい説明をしてくれた。

「ジム、大衆は鍛え上げられた運動選手がどれだけすばらしい反射神経を見せようが、プロ根性を見せつけようが、そんなものには飽き飽きしてしまっているんだ。だれがそうした連中に感動できる? 感情移入ができる? 確かに世間の人間はワクワクするようなものは見たがってはいる。だがな、利口ぶったやつが一年に五万ドル稼ぐようなものはお呼びじゃないんだ。だからきちんとお膳立てされたようなスポーツ番組ってのは、どれも不調なのさ。代わりにスリル番組がヒットしてるんだ」
 
「はあ」レイダーは答えた。

「六年前、議会は任意自殺法を通過させた。当時、古い議員連中は自由意思だの自己決定権だのさんざん言い合ったもんだ。だが、そんなヨタ話なんてどうだっていい。問題はその法律が本当は何を意味してるかってことだ。そいつはな、素人がでかい賞金目当てに、自分の命を危険にさらしたってかまわない、ってことなんだ。プロがやるんじゃなきゃな。昔はプロのボクサーやフットボールやホッケーの選手でもならなきゃ、頭を殴られて金を稼ぐことは違法だった。だが、いまじゃ一般人にもそのチャンスが開かれたってわけだ。おまえさんのような人間にもな、ジム」

「はあ」レイダーはまたそう言った。

「これはどでかいチャンスなんだぞ。そいつをつかまえるんだ。君にはこれといって並はずれたようなところはないだろう、ジム。君にできることなら、ほかの誰だってできる。君はまさに平均値なんだ。スリル番組にうってつけだ」

 レイダーは夢を見てもいいのかもしれない、と思った。才能もなければ訓練も受けていない、気のいいだけの若い者にとって、テレビに出ることは金持ちになる確実な道かもしれなかった。そこで『一か八か』という番組に、写真を同封して手紙を出したのだった。

『一か八か』は彼に興味を持った。JBC局は調査した結果、彼がまったく平凡な人間で、これ以上ないほどのうるさ型の視聴者さえ、文句のつけようがないことがわかった。親兄弟や関係者に至るまでが調査された。そしてとうとう彼はニューヨークに呼ばれて、ミスター・ムーランの面接を受けたのだった。

 ムーランは色の浅黒いエネルギッシュな人物で、しゃべるあいだもガムを噛むのをやめなかった。「君ならいけるよ」語気鋭く言った。「だが『一か八か』じゃない。『転落』に出るんだ。3チャンネルの昼間の30分番組だ」

「すごいや」レイダーは言った。

「礼には及ばんよ。一位か二位になれば賞金千ドル、負けても残念賞が百ドル。だがそんなことはたいしたことじゃない」

「そういうものですか」

「『転落』なんてつまらんショーだよ。JBCでは試験として使ってるんだ。『転落』で二位以内に勝ち残った者は、つぎの『非常事態』に移ることになる。『非常事態』での賞金は、はるかに高額だよ」

「それは知ってます」

「もし君が『非常事態』でいい仕事をしたなら、一流のスリル番組、『一か八か』とか『海底危機一発』が待っている。こいつらは全国ネットで放送するし、賞金もとんでもない額になる。そうしていよいよ一流になるんだ。どこまでいけるかは、君にかかっている」

「ベストをつくします」レイダーは言った。

 ムーランは少しの間、ガムを噛むのをやめて、おごそかともいえる口調で言った。「君ならやれる、ジム。だが、忘れるんじゃない。君はありふれた人間だ。ありふれた人間というのはな、なんだってできるんだ」

 そのいい方を聞いていると、レイダーはつかのまミスター・ムーランが気の毒になった。色の黒い、ちりちり頭で飛び出した目をしたミスター・ムーランは、どう考えてもありふれた人間とは言い難かった。

 ふたりは握手を交わした。そのあとレイダーは、自分が競技中に生命や四肢、あるいは理性を失ったとしてもJBCの一切責任を問わないという内容の書類にサインした。さらに、任意自殺法に基づく権利を行使する、という別の書類にもサインした。これは法が求めるだけで、単に手続き的なものに過ぎなかった。

三週間後、彼は『転落』に出た。

(この項つづく)