お寺さんぽ Ver.03

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守れ忍城・リアルなんちゃら無双 「忍城攻防戦」後編

2011年08月21日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
先週は突然おやすみして、すみませんでした。
本日も、こないだ行ってきた関東七名城の一つ「忍城」の攻防戦について、です。


天正十八年(1590) [小田原征伐]
関白「豊臣秀吉」は、北条・真田の事件を切っ掛けに、北条征伐を決断。
武蔵国忍城へは「石田三成」ら二万三千という軍勢が進軍するのです。
城主「成田氏長」らは小田原城へ入ったため、忍城には残った氏長の正室と城代「成田長親」を中心に、籠城の準備を進めるのでした。


豊臣勢によって忍城が攻囲されたのは、同年の六月頃から。
沼や深田で囲まれた忍城は、”忍の浮き城”と言われる、天然の要害。
(※実際には合戦後に言われたんですけどね)
攻め手となった三成は、ここで水攻めをしております。

彼の失敗として有名で、”戦の才がない”と言われる発端となった、こちらの作戦。
しかし、水攻めを指示したのは秀吉で、実際にそうした文献もしっかり残っています。
周囲に何もない忍城を水没させるのは困難なことで、現地の三成はもともと水攻めに反対でした。
”緒将が(水攻めだと判断し)攻める気がない”と、書き送っています。
落城には、もっと激しい戦術が必要であると考えていたようです。

そうした中、秀吉からは明確に水攻めを指示した書状が届き、また”ともかく水攻めをしろ”という内容の書状もあり、それに従うこととなったのです。
さらに秀吉は”後に視察に行く”ということも書いており、どうやら小田原城包囲と共に、こちらの水攻めをパフォーマンスとして考えていた様子がありました。
上杉隊、前田隊にも、堤の完成を手伝うよう指示を出していますね。

ともかく、こうして丸墓山を本陣とした三成は、城の周囲に堤を築き始めました。
七日から開始し、十三日頃には総延長二十八キロという堤(石田堤)が完成。
さっそく、利根川・荒川の水を引き入れ、城の周囲には順調に水がたまっていたんですが…十八日。
この地方に激しい豪雨があり、あっさり堤は決壊。
溢れた水は逆に豊臣勢を襲い、二百七十名ほどが溺死してしまうこととなるのです。
堤を築く際には周辺の住民を動員しておりますが、成田氏に心を寄せる彼らがひそかに手抜き工事をしていた、とも言われております。

こうして、城周辺はいっそうの沼地と化し、足を取られて城へ近づくことすらできないという有様になってしまったのです。
後に「浅野長政」、「真田昌幸」らが参加した一斉攻撃でも連携の乱れから城兵の反撃を受け、寄せ手は多数の犠牲が出し、撤退するのでした。

この際に、武蔵国忍城主「成田氏長(なりた・うじなが)」の妹、あるいは娘と言われる「甲斐姫」も活躍。
武芸に秀でた彼女は水攻めを逆手に取った戦術を仕掛け、さらに乱戦では自らも敵中に飛び込み、槍を振るって奮戦したと言われております。
反乱者を斬り伏せたという逸話もあり、このお姫様は「巴御前」と違って実際に強かったみたいですよ。



そんなこんなで、元々の城の守備力に、城兵の団結、寄せ手の中途半端さから天候などもあって忍城は落城することなく、七月五日に小田原城が開城した後も抵抗を続けるのでした。
小田原にあった氏長の説得により、ようやく十六日に開城するのです。

戦後、黄金九百枚、武具などを献上し、秀吉に許されることとなった氏長。
なお、この際に「甲斐姫」を側室へ献上したとも、後に武勇を愛でられて側室になったとも言われています。
戦後氏長は弟と共に「蒲生氏郷」に仕え、城代であった長親は忍城へ入った「松平忠吉」に仕えました。

天正十九年(1591)
氏長はこの際に「那須資晴」の旧領である下野国烏山城主となり、三万七千石を得て大名に取り立てられてました。
これは「甲斐姫」が秀吉に懇願して、実現したと伝えられています。
彼女は大坂の陣を生き延び、”駆け込み寺”として知られる東慶寺に入ったのでした。




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