お寺さんぽ Ver.03

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「高崎城」と「群馬県立歴史博物館」 (群馬県高崎市)

2011年07月17日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「高崎城」と「群馬県立歴史博物館」です。

高崎市に行った一番のメインは、「白衣大観音」を見るためでした。
ただ、お城の名前もあったため、どうせならそっちも見たいよねーということで行ってきたのです。

「群馬県立歴史博物館」は美術館などもある、”群馬の森”の施設。
高崎駅からは、バスでだいたい二十分くらいという距離でした。
駅近くに城があるのだし、どうせなら付近に作ればいいと思うんですが…そちら県立で、お城の管理とかは市なのかな。
そういった系統の、ややこしい問題があるのだ、とかタクシーの方が言っておりました。
そんなんかー。
実際、高崎市の本庁舎は高崎城の本丸あたりに位置しているそうです。
どかーんとデカイ、そりゃー立派な建物(地上二十一階なのだとか)で、見た目にも大変感じ悪いですよ。


※群馬県立歴史博物館 …お洒落な建物です

話逸れましたが、「群馬県立歴史博物館」
原始から近代までの歴史展示物があり、入ってすぐは「昭和のくらしコーナー」という、昭和な家庭風景から学校までが再現されています。
狩猟風景ジオラマから埴輪群などがあった後は、注目の中世です。
上野国であった頃の武士団についても資料が色々とあるんですが…「新田義貞」も「長野業正」の支配は刹那的で、争奪戦の中心地みたいな感じだったためか、コレというポイントは弱め。
博物館内の「ミュージアム・ショップ」も残念ながら戦国っぽさありませんでした。
結構期待していたんですけどねー。
ただ、企画展示は「親鸞と妙心寺」ということで、仏像など見れて良かったですが。

ちなみに”群馬の森”は芝生の広がるイイ感じな広場が多く、休日ともあって家族連れでいっぱいでしたよ。


※昭和のくらしコーナー …テレビがいいよね。

続いて駅から歩いて五分くらいの「高崎城」
いきなりなんですが、ぶっちゃけ…コレを目指して訪れるタイプな施設ではありません。

もともと高崎城は、慶長三年(1598)に徳川四天王の一人「井伊直政」によって着手されています。
(※直政が入ったのは、箕輪城です)
交通の要所として重視したんですね。
結局直政は関ヶ原の功によって近江(滋賀)に入ったため、実際に整備・完成をさせたのは三代ほど続いた安藤氏だった様子。
最終的に名は農家に払い下げられ、納屋として利用されていたところ、文化財の指定を受けて復元されたみたい。

現在残っているのは、土塁と水堀、乾櫓に東門がある程度。
櫓に上がることもできず、ざらりと外観を眺めるくらい。
何かのついでに立ち寄るのがイイでしょう。
(※ちなみに、高崎観音は反対側ですが)


※高崎城 …こう見るとかっちょえーですが。

過去には豪族・和田氏が居城とした「和田城」が付近にあったようで、こちらの通称もそのまま「和田城」
それを高崎とした切っ掛けも直政にあるみたい。
箕輪から和田へと移る際、下野から招いていた「白庵和尚」に地名を改めることについて相談したところ、”成功高大”の意味から「高崎」としたのだとか。
ほほー。
調べてみなきゃ分からないものですね。



[住所]
 高崎城 群馬県高崎市高松町
 群馬県立歴史博物館 群馬県高崎市綿貫町992-1

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