![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/72/0232562b3f056897fbb3724fdda749e9.jpg)
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は信濃の重要拠点として有名な「海津城(松代城)跡 (長野)」です。
行ってきました、川中島。
関ヶ原と並び、戦国ファンならば一度は訪れたい場所ですよね。
こちらへは車で行ってきましたが、道路看板に”川中島古戦場”とか見えただけで…自然とテンションが上がります。
付近のメインは八幡原史跡公園ですが、とりあえずは「海津城址」から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c3/22dfb30e315e10c18843ff0f09bd07bf.jpg?random=499f77ee232712351c337d1fb3914b38)
※見下ろした城内の風景 こぢんまりとした風情
「海津城」が文献に確認できるようになるのは、なんと永禄三年(1560)のことでした。
意外でしたが、結構こっち側なんですねー。
永禄三年は、ゲーム「信長の野望」でもよく開始年になっている、戦国時代の節目ともいうべき年。
三大奇襲戦でもダントツに有名な「桶狭間合戦」、そして「長宗我部元親」の初陣である「長浜合戦」がズバリそちらです。
ちなみに、どちらも5月頃のことでした。
後継者となった甲斐「武田晴信」は、信濃へと侵攻。
北信濃を追われた諸将らに助けを求められたことで、越後「上杉謙信」は武田勢に決戦を挑むこととなったのです。
戦国を代表する両雄が衝突する場所こそが、古来から交通の要衝だった川中島。
そして、付近に位置していた海津城は、北信濃の制圧(統治)・防衛のため、大変に重要な拠点となったのでした。
「川中島合戦」では、しばしば名前が登場しています。
その関係もあって有名なこちらですが、実際の築城年は不明とのこと。
よく分かっていないそうです。
機能・役割から、合戦の前後にはおそらく存在していたと思われるので…第一次合戦の天文二十二年(1553)くらいなのかな。
合戦後も重要な役割であったこちら。
武田氏滅亡後は、その討伐戦や高遠城攻略で活躍していた「森長可(もり・ながよし)」の居城となりました。
付近の四群を合わせて、二十万石だったそうです。
信長死後の混乱期を経て、江戸時代では松代藩。
真田家の居城となったのです。
城名が松代城と変更されたのも、その頃みたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0b/b5d60b8d0c0ca5349d55aed14b4ad9f5.jpg?random=6b8df0ef814d0f66ee46064d091280d8)
※海津城・門 まだキレイです。
国指定の文化財。
城跡は整備され、門や城郭が復元されています。
平成になってからのことらしく、まだ真新しいですね。
本丸内で最も大きさのある太鼓門は、時を告げる太鼓を備えていたことからの命名。
その前には橋が掛かっていたことが判明しており、どちらも復元されていました。
城内は資料館などなく、まだこれからというところでしたが、逆にそんなんが良い風情でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_cry1.gif)
[住所]
海津城(松代城)跡 長野県長野市松代町松代44
[関連記事] 【歴史・その他】
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度
⇒ 「軍師」について
⇒ 海賊大将・藤原純友「承平・天慶の乱」[1 2 3 4]
⇒ 晴明神社 (京都)
⇒ 行こう!八王子城址 [ 前編 中編 後編 ]
⇒ 「高崎城」と「群馬県立歴史博物館」 (群馬)
⇒ 宇都宮城 (栃木)
⇒ 土浦城址 (茨城)
⇒ 風情たっぷり「金山城跡」 (群馬県太田市)
⇒ 太田市立史跡金山城址ガイダンス施設
⇒ 七尾城址 (石川)⇒ 武田神社・石水寺要害山・積翠寺 (山梨)
⇒ 甲府城 舞鶴城公園 (山梨県)
⇒ 広島城 (広島)
⇒ 滋賀県 「姉川古戦場」 (史跡探訪シリーズ)
⇒ 箱根石仏群・記念館 (箱根)
⇒ 行こう!「関ヶ原ウォーランド」 (岐阜)
⇒ 三河武士のやかた 家康館 (愛知県・岡崎公園)
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⇒ 石橋山古戦場・与一塚 (神奈川)
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⇒ 戦国武将・動物愛称いろいろ(調査中)
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※やっぱりこうも漢字が並ぶとかっちょえーですよね。
本日は信濃の重要拠点として有名な「海津城(松代城)跡 (長野)」です。
行ってきました、川中島。
関ヶ原と並び、戦国ファンならば一度は訪れたい場所ですよね。
こちらへは車で行ってきましたが、道路看板に”川中島古戦場”とか見えただけで…自然とテンションが上がります。
付近のメインは八幡原史跡公園ですが、とりあえずは「海津城址」から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c3/22dfb30e315e10c18843ff0f09bd07bf.jpg?random=499f77ee232712351c337d1fb3914b38)
※見下ろした城内の風景 こぢんまりとした風情
「海津城」が文献に確認できるようになるのは、なんと永禄三年(1560)のことでした。
意外でしたが、結構こっち側なんですねー。
永禄三年は、ゲーム「信長の野望」でもよく開始年になっている、戦国時代の節目ともいうべき年。
三大奇襲戦でもダントツに有名な「桶狭間合戦」、そして「長宗我部元親」の初陣である「長浜合戦」がズバリそちらです。
ちなみに、どちらも5月頃のことでした。
後継者となった甲斐「武田晴信」は、信濃へと侵攻。
北信濃を追われた諸将らに助けを求められたことで、越後「上杉謙信」は武田勢に決戦を挑むこととなったのです。
戦国を代表する両雄が衝突する場所こそが、古来から交通の要衝だった川中島。
そして、付近に位置していた海津城は、北信濃の制圧(統治)・防衛のため、大変に重要な拠点となったのでした。
「川中島合戦」では、しばしば名前が登場しています。
その関係もあって有名なこちらですが、実際の築城年は不明とのこと。
よく分かっていないそうです。
機能・役割から、合戦の前後にはおそらく存在していたと思われるので…第一次合戦の天文二十二年(1553)くらいなのかな。
合戦後も重要な役割であったこちら。
武田氏滅亡後は、その討伐戦や高遠城攻略で活躍していた「森長可(もり・ながよし)」の居城となりました。
付近の四群を合わせて、二十万石だったそうです。
信長死後の混乱期を経て、江戸時代では松代藩。
真田家の居城となったのです。
城名が松代城と変更されたのも、その頃みたい。
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※海津城・門 まだキレイです。
国指定の文化財。
城跡は整備され、門や城郭が復元されています。
平成になってからのことらしく、まだ真新しいですね。
本丸内で最も大きさのある太鼓門は、時を告げる太鼓を備えていたことからの命名。
その前には橋が掛かっていたことが判明しており、どちらも復元されていました。
城内は資料館などなく、まだこれからというところでしたが、逆にそんなんが良い風情でした。
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[住所]
海津城(松代城)跡 長野県長野市松代町松代44
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