自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

「コットン紙,できませんか」(1)

2019-12-06 | 野草紙

わたしの住むまちは織物生産で成り立ってきたといわれるほど織物で生計を立てる家庭が多かったところです。今では斜陽産業になって散々なすがたなのですが,その面影はいくらでも見ることができます。

ところで,まちおこしの一環としてなんとかコットンの意義を伝承しようと各種のコットンを栽培してるグループがあります。試行錯誤を重ねて,都市交流も続けているグループです。その中心メンバーの方から「コットン紙がつくれないだろうか」と相談を持ち掛けられました。もしできるならインパクトがあるのだが,との話です。

わたしの返事は,「絵画用のコットン紙がありますが,あれだけ丈夫なものを素人がつくるのはまず無理でしょう。わたしも以前にデニム紙を漉いたり,織物製造で出て来た綿埃で紙をつくろうとしたりした経験があります。なんとかできましたが,それはとても困難な作業でした」というもの。

紙をつくるには植物繊維を水の中で絡ませればよいだけなのですが,コットンの繊維は長さ・太さは問題なくても,いわゆる"腰"が弱すぎます。いってみれば,コットンを手にすればわかるとおりふわふわなのです。これでは漉いて乾かしてもふわふわに近くなります。素人が表面処理(サイジング)をして多少腰を強くしても,コットン紙と銘打つほどの質には至りません。職人が手漉きでつくるコットン紙はわたしには夢のような質を備えた紙です。

わたしは即座に「やりましょう」とはいえませんでした。しばらく思案。そうして躊躇しつつも,まちおこしという提案を貴重な相談と受けとめ,改めて試みることを決意しました。ただ,やり方として次の内容を提案しました。

  • コットンの混合率を変えてみる。蕎麦(十割蕎麦,二八蕎麦)と同じように十割コットン,八割コットンというように。
  • コットンに混ぜる他の繊維をガンピ(雁皮)にする。

ガンピは和紙の材料で,地元の山林にも自生しています。ただ,これを混ぜすぎるとガンピ紙ではないかと指摘されるでしょう。混ぜるガンピは少ない程よいでしょう。

さて,後日,コットンとガンピが持ち込まれました。コットンの種子はすでに相談者の手で取り除かれていました。ガンピは生木です。その靭皮繊維はわたしが取り出しました。樹皮をはぎ取ればよいだけなのでとても簡単です。それをアルカリ剤で煮沸します。

コットンは繊維そのものなので煮る必要はないようなものの,多少なりともセルロース繊維以外の成分,たとえば油脂成分などが含まれていれば除去しておかなくてはなりません。そうでないと繊維同士の結合が弱まる恐れがあります。脱脂綿はそうしたうえで漂白されたもの。ここでは漂白しないものの脱脂綿に近い素材にしておくのです。コットンもガンピ同様煮ます。

 

 

次は叩解工程です。この工程ではコットン繊維をさらに適当に短くするのです。当初石臼・杵を使って搗こうと思っていました。こうすることで,繊維の長さがばらばらのものが混ざり,千切れた断面が引き千切ったようになるはずと単純に考えていました。ところが実際にやってみると,ほとんど変化が見られないことがわかりました。おまけにかなり時間をかけたために疲れました。これでは誰もがいつでも再現するというのは無理です。

 

 

そこでやむなくミキサーを使うことにしました。結果,繊維は短くなりました。この繊維を洗って水に入れ,かき混ぜてみました。すると,繊維のもつれ,つまりダマがじつにたくさんできいます。均等にばらける状態ではありません。粘財を入れて混ぜてみました。ダマはなかなかなくなってくれません。繊維同士の強い絡まりができていて,粘財がその中に分け入って分散させるまでには至らないのです。いくら強くかき混ぜても,粘財を多めに加えても無理。

 

 


’19 秋,虫の目写真シリーズ(68)~オナモミ~

2019-12-06 | 植物

“魚露目”に続いて,“虫の目”でオナモミの風景を写しに行きました。

仕事は休み。幸い晴れ。お蔭さまでゆっくり準備できました。電車が通過する直前,小さな雲が一つふんわり。

 

電車が来るのを肉眼で確かめてからファインダーを覗きます。中央奥の山を過ぎて鉄橋に差し掛かったとき,シャッターを切りました。あとで確認すると,加速しながらやって来た電車が比較的しっかり写り込んでいました。それに山も全容が写っています。

 

オナモミを主役にした風景はなかなかすてき! 撮影後服を見ると,オナモミの実が三つ付いていました。