レイドウレイキブログ「ヒューマン&トラスト研究所」 レイキヒーリングで人生に違いを作り出そう!

レイキヒーリングで幸せ体質になろう。
身体、心(感情・精神)、スピリチュアルの全体性からの癒しを探求しましょう

平凡にして非凡な存在でした

2016年09月13日 | 霊気ヒーリング

人めには みえぬものから かがやくは こころの底の 光なりけり 「光といふことを」という題で詠われた明治天皇の御製があります。

目に見えるものではありませんが 輝いていると感じるのは 心の中の光です。(明治神宮解説)

私はこの和歌にふれた時、どういう訳か若かりし両親の姿が脳裏に浮かんできます。戦後二人は結ばれ私は長男として生命を授かりました。戦後復興に向けてものが十分にはなかった時代です、全力で頑張っていた当時の両親、父は鉄の時代と鉄鋼関係の仕事に従事して記憶に残る嗅覚は機械油の匂いです、母は家事と手内職をして少しでも家計の足しにと励んでいました。両親共働きだったので子供心に幼稚園・小学校と家族で参加するイベントにはいつも一人でいたことを思い出します。

父は徹夜で仕事することもあり、幼い私は父親の仕事場に着替えを風呂敷に入れて届けたことがありました。まだ小学生になる前の子供には切符を買って指定された駅に降りるまでの緊張感と会社までの地図が書かれたメモを握りしめておっかなびっくり父の勤める仕事場について油だらけの顔をした父を見た時の安心と嬉しさの交差する中で父は輝いていました。風呂敷を投げ捨てて父親の胸に飛び込んだことを今でも覚えています。

その後、勤め先の工場長となって多くの工員さんを束ねて仕事に励み、その結果独立して会社を立ち上げ社長になりました。その頃から父は家に帰ると仕事場でのストレスが鬱積してか母に対しての暴力や長男の私に厳しい躾をするようになりました。躾とは今で言えばDVですが子供心にもよく怒られ、殴られたことのトラウマは私が癒しの世界の探求で一番最初に取り組んだ課題となりました。

小学生3年から6年まで健康を害した子供たちと寄宿舎生活に入ったのにはいろいろと意味があったのでしょう。平穏な日々でしたがやはり月に一度の面会日に両親は忙しいことを理由に来ることがありませんでした。

優しい父親から怖い父親、母親を守ろうとする自分そして鉄拳を受けたこと等、その延長戦が父に対する抵抗と対抗心から確執がうまれ反抗期に入っていきます。高校生になって親子喧嘩ちゃぶ台ひっくり返して「出ていけ」の一声で「分かった」と返した言葉、大きな風呂敷に布団と学用品を入れて知り合いの部屋に世話になったこと、途中駅前の交番で泥棒と間違われて職務質問、親元に電話確認したら「家出です」と言った父親、気まずい関係はこの段階から親からの独立する機会となったのです。あたたかいご飯を食べれるのはどれほど有難い事か身にしみてわかりました、昔々の話ですがそんな時代を生きてきました。

それから「わだかまりが解放するまでに」は随分時間がかかりましたが、この間の父と息子の有様はまたいずれ書きとどめておきましょう、私は父親から光と影を学ぶ歴史だったことだけは確かなことでした。

私がレイキを学んでよかったことの一つに、胃がんの疑いがあると言われて施術して病理検査でその疑いが晴れたこと、そして父親が脳梗塞で倒れて病院に搬送されての一週間をレイキヒーラーとして全力で施療できたことでした。すべてのわだかまりはその時に解放されるもの、と同時に父は自らの「生と死」を私に伝えてくれたのです、穏やかに最期を迎えた生命エネルギーの変化など尊い学びを身をもって知らしめてくれました。

今日は何故か父親の事をブログに書いています、お彼岸の季節だからでしょうか、昨夜の夢に若かりし父親が強烈に現れてきたことが因となっているのでしょう。自分のやりたい仕事に出会えてよかった、少しでも人様のお役に立てることが出来ることは幸せな事だ・・・こんな言葉を彼岸から聞こえてきました。

 


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