誰にでも記憶に残る恩師がいると思います。
私にもいますが、最近私のもとでレイドウレイキを学んだ方から「レイキを青木先生と小川先生から学べて幸せだ」と言われました。
多くのご縁ある皆様とレイドウレイキは出会って来ました。早20年レイキの道を活きている私たちは多くの研究生と共にレイキの素晴らしさを探究しています。
歓びも悲しみもいろいろありますが、長い道のり!20年を皆様の幸せを祈りレイドウレイキはレイキと共に生かされているのです。
宇宙のご縁があってお会いできた全ての皆様の御蔭とこころより思います、私たちからレイキを学んでくれて「有難う」と伝えます。
先日品川にある「来福寺」に参拝したときに、「雑誌に掲載された、ある学校の女性の先生が書いた実話」というコピーをいただきました。
その感動を、ブログを訪ねてくれた皆様にもご紹介してみましょう。
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5年生の担任になったときに自分が受け持った生徒の中に一人だけ非常に不潔でだらしない、どうしても好きになれない少年がいた。
そんなこともあり中間記録には悪いところばかりを書くようになった。
そんな時、1年から各学年を担当した先生たちの記録を見る機会があった。
先生はその記録を読んでびっくりした。
1年の時の担任が書いていたのは「ほがらかで友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」と書いてあった。
それを見た先生は「これは間違いだ。ほかの生徒の記録に違いない。」と思った。
2年生の時の担任の記録には「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する。」
3年生の時の担任の記録には「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする。」
さらにその記録の後半には「母親が死亡、希望を失い悲しんでいる」とあった。
4年生の時の担任の記録には「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、この少年にたびたび暴力をふるう。」とあった。
その記録を読んだ先生は心に非常に激しい痛みをもった。
なぜかというと、「駄目だと決め付けていた一人の生徒が【母親の死】というものを乗り越えていこうとしている最中だということに気がついた」から。
それから先生は自らその生徒に声をかけ「先生は夕方まで仕事をしているから、あなたも勉強していかない?わからないところは先生が教えてあげるから。」と言った。
そのとき少年は、初めて心を開き、その先生に初めて笑顔を見せた。
それから少年は、来る日も来る日も教室の自分の机で予習・復習を熱心に続けた。
しばらく経ったある日、授業中に少年が初めて「わかりました」と手を上げた時に、先生も嬉しかったが、少年自身も徐々に自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後に少年が小さな包みを持ってきて、それを先生の胸に押し付け、何も言わずに黙ってそのまま帰ってしまった。
あとで職員室に行き、包みを開けてみると「小さな香水の瓶」だったのだが、先生は「この香水はこの子の亡くなった母親が使っていた香水に違いない」と気が付いた。
先生はその香水を数的身体につけて夕暮れ時にわざわざ少年の家を訪ねた。
そうすると、雑然とした部屋で一人本を読んでいた少年が、先生に気が付くと飛んできて、先生の胸に顔を埋め泣き叫んだ。
「あーお母さんのにおいがする。今日は素敵なクリスマスだ。」と、先生の胸で泣いた。
6年生で先生は少年の担任ではなくなったが、卒業のとき、先生に少年から1枚のカードが届いた。
「先生はぼくのお母さんのようです。そして今まで出会った一番すばらしい先生です。」
6年が経ち、またカードが届いた。
「先生と出会えたことへの感謝と、父親に暴力をふるわれた体験があるから、患者の痛みがわかる医者になれる」
またその最後には、「ぼくはよく5年生のときの先生を思い出します。あのまま駄目になってしまうぼくを救ってくださった先生を神様のように感じてます。大人になり、医者になったぼくにとって最高の先生は、5年生の時に担任してくださった先生です。」
さらに1年が経ちまたカードが届いた。それは、結婚式の招待状だった。
その招待状の最後には「先生ぜひ、ぼくの母の席に座ってください。」とあった。