鈴木大拙先生の書「禅と精神分析」(1960年刊行)は私の学びの原点です。
靈氣の祖臼井甕男先生と同じ時代に生きた鈴木大拙先生(1870年明治3年~1966年昭和41年)の書の中でエーリッヒ・フロム(社会心理学者1900年~1980年)の言葉はいまでも私のこころに留めておかなければならない重要な部分があります。
皆さんにその一部分を紹介してこれからのレイドウレイキの展望としてのあり方について共に探訪してみたいと思います。
「われわれ(フロムの言葉)西洋人は感情経験に対して精神分裂病的無能力の状態にあり、つねに不安で、憂鬱で、絶望的である。
われわれは幸福とか、個人主義とか、立派な口先だけの目標は揚げるけれども、本当の目標がない。何のために生きているのか、そのあらゆる努力の目的が何であるかと尋ねられれば、みな当惑してしまう。家族の為に生きるとか、楽しむ為にとか、金を儲ける為にとか云うだろうが、実際には誰も何の為に生きているのかを知らない。
われわれは不安と孤独を逃れようとする要求以外には目標を持たないのだ、と「世紀の病・・という概念」が述べられています。」
この書が記されているのは今から50数年前のことですが、よく見てみれば今の時代でもその当時とあまり変わっていないように感じます。むしろその状態は21世紀に入ってさらに深刻さは増しているのではないだろうかと危惧されます。
レイキが何故、世界中の人々に受け入れられ広まりを見せているのでしょう?
身体・こころ・魂の三元を探究するレイドウレイキの本質は「生きることの本来の意味や意義を探究する」ことにあります。
和の国日本は世界に冠たる癒しの大国であったことを思い出し「癒しの本質を求められている」時代となっているのではないでしょうか、精神世界に精通する西洋人はすでにそのことを認識して東洋に意識を向けていました、その二つの大きな流れがインドと日本なのです、そしてアジアの諸国に広がり中国・韓国へと魂の探究を深める必要を感じています。
今はまさに心を取り戻す大切な時代の真ん中にいます、レイキ探究の道も単なる理屈や思索からの展開だけでなく、自分自身の生き方に繋がる実践的学びが求められているのです。
病気から学ぶ健康を喜び、日々感謝のこころでより良い自他との人間関係を構築していく、そして「幸福とは何か(人類の命題)」に取りくむ、真の癒しの文化に目覚めるいく時代が到来しているとレイドウレイキは洞察しております。
靈氣の祖臼井甕男先生と同じ時代に生きた鈴木大拙先生(1870年明治3年~1966年昭和41年)の書の中でエーリッヒ・フロム(社会心理学者1900年~1980年)の言葉はいまでも私のこころに留めておかなければならない重要な部分があります。
皆さんにその一部分を紹介してこれからのレイドウレイキの展望としてのあり方について共に探訪してみたいと思います。
「われわれ(フロムの言葉)西洋人は感情経験に対して精神分裂病的無能力の状態にあり、つねに不安で、憂鬱で、絶望的である。
われわれは幸福とか、個人主義とか、立派な口先だけの目標は揚げるけれども、本当の目標がない。何のために生きているのか、そのあらゆる努力の目的が何であるかと尋ねられれば、みな当惑してしまう。家族の為に生きるとか、楽しむ為にとか、金を儲ける為にとか云うだろうが、実際には誰も何の為に生きているのかを知らない。
われわれは不安と孤独を逃れようとする要求以外には目標を持たないのだ、と「世紀の病・・という概念」が述べられています。」
この書が記されているのは今から50数年前のことですが、よく見てみれば今の時代でもその当時とあまり変わっていないように感じます。むしろその状態は21世紀に入ってさらに深刻さは増しているのではないだろうかと危惧されます。
レイキが何故、世界中の人々に受け入れられ広まりを見せているのでしょう?
身体・こころ・魂の三元を探究するレイドウレイキの本質は「生きることの本来の意味や意義を探究する」ことにあります。
和の国日本は世界に冠たる癒しの大国であったことを思い出し「癒しの本質を求められている」時代となっているのではないでしょうか、精神世界に精通する西洋人はすでにそのことを認識して東洋に意識を向けていました、その二つの大きな流れがインドと日本なのです、そしてアジアの諸国に広がり中国・韓国へと魂の探究を深める必要を感じています。
今はまさに心を取り戻す大切な時代の真ん中にいます、レイキ探究の道も単なる理屈や思索からの展開だけでなく、自分自身の生き方に繋がる実践的学びが求められているのです。
病気から学ぶ健康を喜び、日々感謝のこころでより良い自他との人間関係を構築していく、そして「幸福とは何か(人類の命題)」に取りくむ、真の癒しの文化に目覚めるいく時代が到来しているとレイドウレイキは洞察しております。