古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

畑の石垣下を草刈りして感じたこと

2023年09月15日 18時16分08秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は、畑の石垣下の草を刈ろう。
 昨日から心に決めていました。午後草刈りをはじめましたが「どうも、手にあまる感じ」です。「これくらいなんでもない」と思うのに気持ちがすすみません。
 ぼくは草刈りは25年くらいやってます。退職して大豆畑トラスト『むーな村』をひらく前に(1999年に)、エンジン式の草刈り機を買って、土手の草を刈りはじめました。あれからエンジン式は3台目を使いつぶしました。それからいまのバッテリー式です。
 三木に移住してからは下の畑の土手を刈りました。高い土手なので足場を自分でつけました。とにかく毎年、4月から10月まではあちこちの草刈りをしました。なんでもないのに、なぜか「手に余る」感じがしたのです。年寄りになって、「楽な草刈り」しかできなくなったか。ゴミ・ステーションや裏山の平らな芝生を刈るのは気分よくできますがね。
 自分で「大丈夫か」を感じながら、無理をしないで仕事をします。

 道子さんの金胡麻は、収穫が去年より多いようです。炒って、摺って、香りを味わおう、という方、いかがですか。生の胡麻はあまり売ってありませんが、あっても国内産でないのもあるようです。香りがちがいます。
 
 夕方、家の裏の犬走りでムカデを見かけました。15センチほどのりっぱなムカデです。そのままどこかに行きました。我が家ではムカデを好きではないけど、尊敬しています。ナメクジやゴキブリも食べるのです。でも家の中には入ってほしくない。
 家を建てるとき、大工さんに言われました。「山のそばはムカデが多い。いまも溝でムカデを殺したけど、気を付けてください」ここに住んで17年。家の中でムカデと出会ったことも何回かありますが、嚙まれたことはありません。どうかこのまま一生を終えますように。
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〈お休み〉の日でした。

2023年09月14日 21時02分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日はカンカン照りの天気でないし、畑の石垣下の草刈りができるなあ。昨日ブログに書いた気持ち(「草刈りするぞ!」)はそのまま生きてます。刈る気満満。曇りだし、夕方でなく朝から刈ってもいいな。
 ところが、いざ着替えて外に出ようとすると、なぜかぐずぐずしてしまう。そのまま一日がすぎてしまいました。夕方になって気がつきました。「今日は〈休め!〉と言ってるんだ」。
 自分ではやれるつもりだったけど、ぼくという生命体の奥のほうで「今日は外仕事をするな」と言ってるんです。だれかわからんけど。その声はきこえなんだけど、夜になって今日をふり返って「やっぱり、休みになる日だったんだ」と自然に感じました。

 阪神タイガーズ、セ・リーグ優勝だね。18年ぶりか。日本シリーズでも優勝するでしょう。今年の阪神は強い!

 
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連日の〈草刈り〉ですが/少しずつ/少しずつ。

2023年09月13日 23時24分33秒 | 古希からの田舎暮らし
 夏に一カ月放置しておくと、畑/山/花壇/庭/裏山/はどこも草が伸び放題。草抜き、草刈りは生やさしくありません。老人の仕事は、ぼくの草刈りも道子さんの草抜きも連続2時間はしんどい。無理はしたくない。
 少しずつやっています。
 明日は畑の石垣下を刈ります。いま胡麻を干しています。パラパラとシートの上に落ちています。道子さんは、時間があると「金胡麻のゴミ取り」に精を出します。細いピンセットで白いお盆に広げた胡麻のなかからゴミを拾います。彼女の胡麻への執念。日本人はよく胡麻をつかうのに、そして作ろうと思えばいくらでも作れるのに、全部輸入に頼っています。ここに移住してきたときは、隣の村にも東条町のとどろき温泉の裏にも、胡麻をつくっている人がありました。散歩で見かけてうれしかった。いまはゼロです。

 半藤一利の『ノモンハンの夏』を読み返しています。読みとばせる本ではありませんし、また読みとばしたくない。数十ページ読むと、漢字ナンクロ、テレビ、なんとなくブラブラ、などで時間をあけます。「軍隊の上層部は、兵士ひとりひとりや庶民ひとりひとりのことなんか心配しなかった。あの思い上がりを告発しないまま歴史は流れている」。そのことへの「怒り」をかかえたまま庶民は逝くしかなかったのか。
 船戸与一の『満州国演義』を読んでも、阿部牧郎の『神の国に殉ず』(東条英機と米内光政)を読んでも、伊藤佳一の兵士目線の小説(彼の中国戦線での自分の体験です)を読んでも、気持ちが波立ちます。「兵士」や「庶民」という人間を、自分と同じ一人の命ある人間として考えなかった。
 空襲で落とされた焼夷弾はバケツの水なんかで消せない。逃げるしかない。なのに「逃げないで消火しろ。逃げたら処罰するぞ」といって多くの庶民を焼死させた。言い出したヤツは敗戦後告発されたか。処罰されたか。
 あの軍の上層部の連中を、敗戦後徹底的に反省させねばならなかった。「一億総ざんげ」でごまかしてはいけなかった。ドイツのナチス告発の文学作品を読むにつけ、日本の「まー、まー、まー」と口をぬぐった時流がいまだに口惜しい。
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草刈り(村のゴミステーション)をしました。

2023年09月12日 23時11分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 耳の手術(水抜き)から5日が過ぎて「外仕事をしてもいいかな」。元気ですし。よし、今日は〈草刈り〉をしよう。
 ゴミ・ステーションの草を刈りました。ここの草刈りボランティアは去年「満85歳になる10月までやろう」と自分で決めて、宣言していました。しかし、いざ85歳になってみるとそれなりに元気があります。
 そこで85歳を過ぎても刈ることにしていました。2023年のゴミ・ステーション草刈りを4月からやっています。このまえは8月3日に刈りました。(コロナで寝込む直前でした)そして今日は9月12日。きれいに刈りました。
 元気に復帰できたのがうれしいです。
 軽トラで村のバス停にまわってみました。草は生えていますが、停留所のベンチのまわりはシートで大丈夫です。ちょっと疲れたしバス停はパスします。来月は刈りましょう。
 畑の草、裏山の草は、よく生えています。ぼちぼち刈っていきます。

 今日は歯医者の日。少しずつデザートに食べていたブドウ(翠鳳)がなくなりました。また歯医者横の薬局で入手するつもりで早く出かけました。しかし「翠峰(字が間違ってました。「ホウ」は「鳳」でなく「峰」でした。)はもうおしまいです」といわれて、「クインニーナ」と「ゴルビー」を入手しました。
 歯医者のあとは蕎麦屋の〈稜庵〉。今年まだ食べてなかった『ひやかけ』にしました。〈ひやかけ〉は稜庵だけのメニューです。熱い「かけそば」の「冷やし版」ですが、蕎麦が「冷水でキュッとしめられて、歯ごたえが独特です。」そして〈かけそば〉ですから、おつゆはたくさん。このつゆの味が独特のおいしさです。添えられたレンゲで何杯も飲みたくなります。うまかった。
 その帰り道、道端の里脇ブドウ園の売り場で車を止めました。見ると薬局で買ったクインニーナより粒が大きい。一つ買いました。道子さんが〈翠峰〉のことをきいてみると「まだありますよ」。奥のブドウ園から持ってきてもらいました。粒が大きい。翠峰は粒が大きく、あっさり系です。「今年はもうおしまい」と思っていた翠峰がまた味わえます。
 結局、今日買ったブドウは、クインニーナ2パック/ゴルビー/翠峰/の4パックです。毎食後のデザートに食べて半月以上あります。三木のブドウは樹から切ったところですから、冷蔵庫では一カ月大丈夫です。また長いたのしみができたなー。
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「《米寿》のお祝いは大型テレビがいいな」

2023年09月12日 01時52分29秒 | 古希からの田舎暮らし
 ワタクシは2年後に満年齢で88歳になります。《米寿》ですから、もう一年して満87歳を過ぎたら少し早めにお祝いしてもらうかな。あと一年少々というところです。
「何をお祝いしてもらおうか」と道子さんと話して、二人の間ではずっと前から「大型テレビがいい」ということになっていました。道子さんが娘たちとおしゃべりしていて、先日「米寿の祝いは大型テレビがいい」ともらしたところ、急にこの話が現実になろうとしています。いまは42型テレビですが、それを70型以上にするという話ですから、映画館みたいになります。
「阪神タイガースの《日本シリーズ》を、おじいちゃんに大型テレビで見てもらおう!」
 阪神はめったにリーグ優勝しない。来年はどうなるかわからん。「日本シリーズ見てもらうとしたら今年しかない」ということか。うれしいような、まだ早くて、ちょっと季節外れみたいな、妙な気分もありますが、この現実に対応していく気になりつつあります。
 我が家のテレビは、地上デジタル/BSテレビ/WOWOW/CS放送……(ガオラスポーツ)時代劇専門チャンネル/ディスカバリー/アニマル・プラネット/囲碁将棋/などをセットにした放送)/などが見られるようにしています。地デジにはほとんど見るものがありませんし、映画は一年か数年待てばWOWOWで、コマーシャルやカットなし、文字付で見られるし、大型画面なら映画館と遜色ありません。いつまで生きるかはちょっと脇に置いといて、老人にとってテレビは大きなたのしみです。
 テレビを大型にするなら台も変えねばなしません。模様替えするか。
 しばらく思案します。
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耳鼻科で診てもらいました。

2023年09月08日 17時19分48秒 | 古希からの田舎暮らし
 コロナのあと「耳のきこえ」がわるくなっていました。高齢で耳が遠くなるだけでなく、八月はじめに熱が出てから、両耳がすっぽり何かにおおわれたように「音の世界が遠くなって」いました。いままでの距離で話をしても相手の言葉が全然聞こえません。
 コロナが治ったら「耳鼻科に診てもらい、補聴器をつけよう」と考えました。そして今日、耳鼻科に診てもらいました。聴力検査をすると相当ひどいです。実は10年前〈聞こえ〉がわるくなり、この耳鼻科で診てもらっていました。そのときは「左耳の鼓膜内側に水がたまっているから鼓膜に穴をあけて水をぬいてみよう」ということになりました。そして一回でよく聞こえるようになっていました。今回も同じ症状のようです。しかも両耳。
 処置してもらって、やっとふだんの音の感覚にもどりました。やれやれ、これでふだんの生活に復帰できる。補聴器は症状が安定してからつけよう。
 やれやれ。これで日常生活の全部が復帰できる。お昼は悠庵で食事をすることにしました。いつもの〈あなごどんぶり〉にしました。この店の穴子丼はなかなか立派です。
 夜中に息苦しいような気がして「まー、めぐまれた人生だったな」と家の中を歩いたときもあったけど、どうやらこのたびはこの世に復帰したようです。いましばらく、この世のお仲間でいさせてもらいましょう。
 よろしくお願いします。
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ブドウ『翠鳳』を買いました。

2023年09月07日 17時05分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 食後のデザートにしているブドウがなくなったので、今日は朝から買いに出ました。「よかたん」ではいろんな種類のブドウを販売していますが、かなりの人が狙って行くらしい。そういうところは老人は苦手です。歯医者さんのとなりの薬局に行きます。
 買ったのは『ゴルビー』と『翠鳳』です。ゴルバチョフの愛称からとって「ゴルビー」と名づけられたブドウは甘い。ちょっと小粒ですが、甘さがたのしみです。「翠鳳」は前に買ったときより粒が大きくなり、冷蔵庫において数日後に食べると皮がむきやすく、おいしい。9月いっぱいはブドウがたのしめます。〈三木〉はいいところですねー。
 東条図書館で借りた本の期限が過ぎてるので、図書館に寄りました。実は近ごろ新しい作家の本を借りなくなりました。どれもおもしろいかもしれないけど、新しい作品に入っていくのが苦手になりました。読むスピードが遅くなり、名前や状況が入りにくくなり、読んだところを見返すことが多くなりました。ですからなじみのある作家の本をよく借ります。今野敏/中山七里/重松清/の小説と半藤一利の『ノモンハンの夏』を借りました。
『ノモンハンの夏』は四度以上読み返したことがある戦争の本です。半藤さんはノモンハンの戦闘だけでなく、その背景や当時の世界情勢を同時進行的に書いています。わかりやすい。この本は持っていましたが「もういいだろう」とどなたかにあげました。しかし図書館で見かけて「また読んでみよう」という気になりました。
 本ってそれでいいんだな。 
 昼寝してから外仕事をするつもりでしたが、なんとなく午後の半日をダラダラ。「無理しない」を心がけて生きます。
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「ふだんの86歳のおじいさん」に復帰します。

2023年09月06日 20時46分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 かかっている病院で診てもらい、数値に問題はなくてコロナ前に復帰しました。
 しかし自分では〈コロナ以前の自分〉にもどった感じがしない。このたびは、ぐっと歳(とし)をとってしまったという気分〉です。これからは、このレベルで生きていく気構えが必要なんですね。
 今日は病院のあとスーパーの〈イートイン〉で昼食をとり、散髪をしました。このまえは8月3日に散髪していました。ブログで確認して、こうして書いておかないと、どんどん忘れがひどくなる気がします。
 午後は草刈りの仕事をするつもりでしたが、昼寝をして起きたら5時でした。
 少しずつ食後のデザートとして食べていたブドウがなくなりました。グリーン系の翠鳳がほしいので明日、薬局に買いに出ます。あそこは吉川町長谷のブドウ園のいろんなブドウが売ってあります。ゴルビー/雄宝/翠鳳/クインニーナ/ピオーネ/など。

 ところで阪神タイガースは強いねえ。長い人生にはこんなこともあるんだ。 
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吉村昭『戦艦武蔵』から引用します。

2023年09月05日 22時06分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 吉村昭の『戦艦武蔵』を時間をかけて読みました。300ページの文庫本ですが、数日じっくり読みました。思いはあふれますが、最後の部分だけ引用します。「何かを訴えよう」というのでなく、作家・吉村昭が取材して書いた「事実」をそのまま引用します。


※ アメリカ軍飛行機の執拗な集中攻撃をうけて、浮沈戦艦といわれた戦艦武蔵は、昭和19年の秋、フィリピン沖で沈没します。小説の最後の部分を、長くなりますがおしまいまで引用します。(文庫本は縦書きなので、数字は表記のままにします)。


 (戦艦武蔵が沈没して) 全乗組員二千三百九十九名中千三百七十六名の生存者は、駆逐艦清霜、浜風でマニラへ向ったが、途中で急にコレヒドールへ回航になった。かれらは大部分が、下腹部まで露出した裸身で一人残らず素足であった。かれらがマニラへ上陸することは、武蔵の沈没を知らせるようなもので、それをおそれた海軍中枢部は、かれらをコレヒドールへ向けたのである。
 かれらは、コレヒドールに上陸すると、素足で石だらけの道をのぼらされ、山腹の仮兵舎に収容された。海軍にとってかれらは、すでに人の眼から隔離しておきたい存在だった。武蔵乗組員という名は、かき消したかったのだ。かれらの所属は、どこにもなかった。かれらは副長の姓をとって加藤部隊という名を与えられ、さらにいくつかの集団に分けられた。
 生存者中四百二十名は、同年十一月二十三日マニラ出航の輸送船さんとす丸に乗船、台湾の高雄(たかお)に向かったが、途中バシー海峡で敵潜水艦の魚雷二本をうけて轟沈(ごうちん)、再び海中に投げ出された。かれらは五時間から十九時間泳ぎつづけたが、漂流中、敵潜水艦に味方艦船から投じられる爆雷の衝撃で内臓破裂を起こしたものが多く、救助された後にも五十名が死亡、結局生存者は三〇パーセント弱の百二十名に過ぎなかった。かれらは高雄の警備隊に編入されたが、後には半ば以上が内地に送られ、瀬戸内海の小さな島で軟禁同様の生活を強いられた。
 また他の一隊二百余名は、同年十二月六日改装空母隼鷹(じゅんよう)で内地送還の途中、野母崎(のもざき)南五〇浬の海面で敵潜水艦の雷撃を受け、呉入港予定を変更して艦体傾斜のまま佐世保へ十二月十日に入港した。かれらは所属もないままに佐世保から呉へと移動し、最後には、久浜落下傘部隊の仮兵舎に監視の下に収容され、やがて各地へ散らされた。
 生存者の半ばを占める六百二十名の乗組員は、内地送還も許されず現地軍の要請にもとづいて、その地に残された。一隊百四十六名は、マニラ防衛部隊及び南西方面艦隊司令部に配属され、翌年二月三日マニラ北方より戦車軍を先頭に進出してきた米軍と激戦を展開、百十七名が戦死又は行方不明。また油井国衛中尉以下の乗組員は、マニラ湾口防衛部隊に編入され、鈴木新栄少尉のカラパオ地区隊三十五名は二十三名が戦死、油井中尉、新津清十兵曹長の率いるコレヒドール地区隊三十五名は、「最後の一兵まで戦う」という通信を最後に玉砕、この地区での生存者は、衛生兵長猪俣浩一 一名だけであった。さらに浅井春三少尉の率いる軍艦島地区隊は、それぞれ、自決又は戦死によって全員玉砕。
 またマニラ地区のクラーク飛行場作業員として使役に使われた者三百二十名は、武器を所有していないため突撃隊に編入させられ、棒つき円錐弾(えんすいだん)、ふとん爆弾等の俄か(にわか)づくりの爆薬を手に敵戦車の下に飛びこんで玉砕。この地区での生存者は、佐藤益吉水兵長一名だけであった。


 この小説は、上の文でおわっています。この本は昭和46年に新潮文庫になり、平成29年には80刷、80万部超読み継がれています。感想は書きません。
 
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老人は阪神タイガースの『アレ!』が待ち遠しいのです。

2023年09月04日 17時07分57秒 | 古希からの田舎暮らし
 どの新聞も落ち目です。購読部数は減ってきるし、新聞の枚数は少なくなるし、全面広告がいっぱいだし、読むところがありません。先日その新聞にチラシが入っていました。写真をアップできないので、中身を書きます。


 デイリースポーツ ご購読プレセント    定期購読は、駅、コンビニで買うよりも一カ月で1,000円以上お得です。
 一カ月購読料  3,700円
  アレに向けて…勝利の雄叫び!


 阪神ファンはずっと〈我慢の子〉で応援しているのに、今年は強い。ファンなら『デイリースポーツ』でじっくり勝利を味わいたい。大きな写真を見て、いいところは何度も読み返したい。一カ月だけ『デイリースポーツ』とってもええかなあ。そんな老人たちの心をくすぐるチラシです。
 いまや野球は若者には落ち目のスポーツみたいです。サッカーで興奮して応援し、バスケットボールで熱狂的に応援し、ラグビーもバドミントンも、バレーボールも、アメリカン・フットボールも。いっぱい見るのがあります。
 でもおじいさんは、あの地鳴りのようなタイガースの応援がうれしい。そんなおじいさんが、街にも田舎にもいるのでしょうね。
 このチラシ、宣伝効果があるのかなあ。あればいいな。

 ここからは夕方書きます。道子さんは今日はよく働きました。胡麻を全部切り取って、ウッドデッキに干しました。これから雨に気をつけながら一週間は干します。それからピンセットでゴミをとりのぞきます。香り高い「煎り胡麻」が待ち遠しいです。
 午後は軽自動車で三木の街に買い物に出ました。帰りに喫茶店(コメダ)によって、ぼくはかき氷/道子さんは珈琲フロートでひと息いれました。ずいぶん久しぶりです。帰ったら5時過ぎ。「今日の仕事はなしにする」と心を決めました。
 



 
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夕方4時過ぎから〈草刈り〉をしました。

2023年09月03日 17時59分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日も〈ならし運転〉です。夕方4時過ぎから裏山の芝生を〈草刈り〉しました。夏の間、芝生はよく伸びるので10日か2週間おきに草刈り(芝刈り)をするのですが、今年は伸び放題。それを刈ってみました。
 ぼくの草刈りには〈美学〉があります。「きれいに刈る」。下の畑の土手を刈っていたときは、毎月、きれいに刈った土手の写真を撮って、よくブログにもアップしていました。あの〈刈り方〉がきれいだと思う人は村にもいました。100歳を超える高齢で亡くなられたおじいさんは、ぼくの刈る土手を車イス散歩で見て、いつも感心していました。
 ぼくは、自分でも刈った土手を見て、気に入っていました。あの畑(一反三畝の田んぼ)は2008年~2018年の「足掛け11年」(ぼくが71歳~81歳)お借りして精いっぱいつくりました。なかでも土手の草刈りは、ぼくの毎月の仕事として「きちんと刈る」ことを決めていました。4月、5月、6月、7月、8月、9月(曼殊沙華の咲く様子を見ながら)10月、(11月か12月)、と年に8回刈りました。
「きれいに草刈りをする」(草刈りの美学をこころにもっている)を意識しておられる村の方は、やはり刈った土手がちがいます。
 草刈りはいまでも好きな仕事です。

 道子さんは「金胡麻」を折ってウッドデッキに並べはじめました。もう少し畑に残っています。これから日に干して、胡麻がパラパラ落ち、収穫します。今年も胡麻は順調に収穫できるようです。絶滅危惧種といわれながらこの村で一人頑張っています。
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少しだけ〈草刈り〉をしてみました。

2023年09月02日 22時25分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 新しいパソコンに慣れなくてうまく写真をアップできませんが、今日は〈草刈り〉をしてみました。自分の感じでは、体調はよくなり、病み上り感が消えました。何かかぶせられたように、耳が聞こえにくくなっているのには困っていますけど。
 そこで娘たちの許可はまだ出ていませんが、ためしに草刈りをしてみました。草刈り機を振りまわさなくてもいいように、ナイロン・コードで刈りました。道端の草はしっかり伸びていますが刈れました。
 この調子なら少しずつ復帰できそうです。
 
 吉村昭の『戦艦武蔵』を読んでいます。彼はこの小説を書くために、現地・長崎に100回以上出かけて取材しています。建造の途中に重要な機密だった設計図の紛失が出てきます。小間使いの少年の気まぐれな出来心だったのですが、その官憲の捜索がすごい。当時の官憲・軍・企業の、庶民、民衆に対する高圧的、強圧的な態度、仕打ちに心が痛みます。
 吉村昭は、歴史的現実を自らの眼で取材して書いています。事実に対して自分の感じを交えず、事実でこたえています。小説への彼の姿勢に、あらためて敬意を表します。こんな小説は二度と誰も書けない。
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9月1日です。

2023年09月01日 05時01分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 8月がおわりました。9月1日です。8月のはじめには「一昨年みたいに31日間毎日〈水やり〉をするのか」と思いました。しかしぼくの人生は意外な展開がセットされていました。
 そうか。この3年ほど世界は「コロナ騒ぎ」に巻き込まれたが、ぼくもその騒ぎに巻き込まれたのか。これも「あちらにいったら、〈この世のみやげ話〉になるなー」。
  さて9月ですが、まだ外仕事の許可は娘たちから出ません。家の中でゴロゴロしています。「力があふれる感じ」というより「病み上がり」という感じです。家の中でゴロゴロしていたから、そんな気分になってしまったのか。これくらいが本来の年齢相応の体調なのか。
 思案しても仕方がないので月曜日まで我慢します。そして、月曜日になったらまず草を刈ります。畑も裏山の小道も、バード・フィーダーも、草ぼうぼうです。秋はマムシが子をうむときです。マムシは卵胎生です。卵を体内でかえして、口から子マムシを生みます。親マムシは攻撃的になりやすい。なんかうずうずしてきたなあ。
 我慢我慢! 
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