古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

老人には結構忙しい日でした。

2019年12月02日 02時35分56秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は老人にとっては結構忙しく感じる日でした。
 まず朝8時から、村の役員で八幡神社の草刈りがありました。ガソリンとの混合油がなくなっていたので急いでつくり、軽トラに草刈り機を積んで出掛けました。15分前に家を出ましたが7人の役員のうちすでに4人は来ていて、元旦のお参りと厄神さんの行事にそなえて草刈りがはじまりました。7人で境内の草を刈り、落ち葉を燃やして片付けました。
 日曜日で、「大豆のサヤもぎり」手伝いに大志くん一家が来てくれるというので、裏山の炭火焼きの用意をしました。木炭/金網/バーベキュー用の道具などを出しました。道子さんは片付けと掃除をしました。「人が来る」というときは《掃除パワー》があがります。
 次に二人で、退職者用配布物を配りに出掛けました。1時間かかります。
 帰ってサヤもぎりをしました。そして裏山で炭火焼き。

 焼くものに厚揚げを加えるのが我が家流です。パンやおにぎりも焼きます。そしてマシュマロ焼きも。
 午後は、おじいちゃんはまずお昼寝。起きて、車の給油に出掛けました。月曜日に右目の白内障手術をするので、数日間運転できません。給油して道子さんが運転しやすいように準備しました。
 畑で残り大豆のサヤもぎりをしていたら、ゴミステーション当番の人が「ゴミ置き場の屋根がたわんでる」と言ってこられました。目の手術前に直しておく必要があります。畑に4メートルの鉄筋があるのでそれを使って修理することにしました。4メートルの鉄筋を運べるのも軽トラのお蔭です。
 夕方5時には夕食を食べて、6時から村の全戸集会がありました。今年はぼくも役員ですから早めに出掛けました。大きな空き家に新しい住人が住むようになり、紹介/あいさつ/がありました。村の全戸に配る品物を用意しておられました。
 ぼくらがこの村に来たときは、元旦の村の集りにお酒をもってあいさつをしたのは覚えています。ご近所と近くの家にあいさつにうかがったのも覚えています。でも村の全戸に配った覚えはありません。13年前のことですが「記憶がうすくなりました」。むかしのことは覚えているのにこの10年くらいのことは、ぼんやりしています。
 全戸集会のやりとりは、よく聞こえないし、耕地のことみたいで、よくわかりません。ただぼーっとしていました。
 大仕事をしたわけでもないのに、忙しく感じました。
コメント
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